第三章 男装官吏と謀略の王妃

第16話 正義の味方


「————子供の頃、町で掏摸すりにあって、祖母の形見の巾着を盗まれた事があったんです。私は驚いて、ただ立ち尽くしていたのですが、その事に気がついた友人が直ぐに北の高台の上に登って」

「高台? あぁ、華陽の北門の上にある……」

「ええ、子供からしたらものすごく高い建物でしたし、当時は老朽化で床に穴がいたから立ち入り禁止の場所でした。私は巾着より、友人の命の方が大事でしたから、危ないと言ったのですが、すぐに彼女は『見つけた!』と言って走り出して————」


 その後、その友人は本当に犯人を見つけて、巾着を取り返してくれた。

 立ち入り禁止の場所に入ったため、後で大人に怒られはしたけれど、大事な巾着は中身もそのまま綺麗な状態で戻ってきたという。


「————あの時から、彼女は私の正義の味方なんです」


 ミオン王妃がそう言って笑っている夢を、ヒョンジェは見た。

 これは、ヒョンジェが科挙の後ミオン王妃と話した時の記憶。

 なぜそんな夢を見たのか、理由はわからない。

 けれど、今となって思えば、それはある意味予知夢だったのかも知れない。


 西派の重臣達に急かされ、東派の重臣達に反対されてきたミオン王妃の廃位。

 最終的に、流刑に決めたのは自分だ。

 その決定が覆る預言を、あの夢はしていたのだ。


「————ですから、ミオン王妃様は嵌められたのです」


 アン官吏が、ヒョンジェの前に証人をつれて現れた、この時を————




 * * *



 アン官吏が証人を連れてくる二日前。

 朝礼会議でヒョンジェの目の前に、大量に積まれた上書。

 その半分は、ミオンを廃位の上流刑ではなく、死刑にするべきという西派の官吏たちからのものだ。

 長い間、東派の勢力に押されていた西派は、最初の王妃と大王大妃の死後、どうにか権威を強めようと必死だった。

 そんな中、起きたのが東派の家門出身であるミオンが後宮で起こした事件。

 西派の高官の息子たちが科挙で不正を働いたというのが摘発されて、また新たな策を考えなければと思っていた矢先の出来事だった。

 西派はこれを機に、一気に政権を東派から奪おうと必死なのだ。


「人を呪い殺そうとしたのですよ? 直接手を下してないとはいえ、これは立派な犯罪です」

「ええ、王妃ともあろうお方が、その嫉妬心から呪詛なんて……流刑だなんて甘すぎます」

「そうですよ! 呪詛を使う王妃なんて、なんと恐ろしい。今にも廃妃にした我々を恨んで、呪いをかけているかもしれません。ファヨン王妃との間に王子が生まれないように何かしているのでは?」


 ミオンを批判しつつ、さらに東派の不正がどうのこうのと難癖をつける。


「まじないや呪いなんかを信じているなんて、なんて頭の悪い奴らだ。そんなもの、本当に効くわけがないだろう」

「そうだそうだ! 見たことがあるのか? 呪詛で死んだ人間を」


 西派と東派の重臣たちは王の前で言い争いを始める。

 どちらが悪い、そちらが悪い、東派は政に関わるな、西派ごときが何をいう、なんだとこの頭でっかちのジジイめ、若造は黙っていろ…………などと罵詈雑言が飛び交う。


(ああ、毎日毎日同じことの繰り返し……疲れる)


 ヒョンジェはうんざりしていた。

 国のいく末について、まつりごとについて議論するはずのこの場所は、西か東かの論争ばかり。

 大王大妃は一声でぴしゃりとその場を抑え、次々と問題を解決して行ったが……誰一人、王の意見など聞きやしない。

 誰一人、傷ついたヒョンジェの気持ちを慮ってはくれない。


(アン官吏に会いたい……あの者なら、私の話も聞いてくれる。こんな毎日同じ話をする老人たちと違って、私の知らない話をたくさん聞かせてくれるのに……)


 アン官吏が後宮をファヨン王妃から追い出された後、ヒョンジェは彼に一度も会えなかった。

 司暦寮に行こうとすると、ナム内官に仕事が溜まっていると引き戻され、溜まりに溜まった仕事を終わらせて、やっと司暦寮を尋ねるともう帰りましたと口の臭い官吏に告げられる。

 では翌日……と再び尋ねると、その日はアン官吏はもともと休みの日が重なり今日から三日間出勤しないと言われてしまった。


 今日やっと、アン官吏が出勤してくるのだが、この上書の量に、この無駄な朝礼会議の様子じゃ、一体いつ時間が空くかわからない。


「ナム内官、アン官吏は今日から出勤するんだよな?」

「ええ、夜勤と聞いておりますのですので、夕方には司暦寮に着いているかと」

「そうか……夕方か……よし」


 ヒョンジェはアン官吏と話がしたくて、必死にその日の仕事を終わらせるよう頑張った。


「素晴らしい! 王様、一体どうしたのですか、こんなにも数をこなすなんて……!!」


 サボってばかりだったヒョンジェが熱心に仕事をしていることにナム内官は泣きそうになる。

 やっと王がやる気になってくれたと、感動していた。


 そうして、必死に全てを終わらせて、その足で司暦寮を尋ねると、アン官吏は観測台の上にいるから、少しお待ちくださいとホン課長は王を座らせ、お茶と菓子を出してくれた。


(まだだろうか……遅いな……)


 観測台から司暦寮までは少し距離がある。

 ヒョンジェは今日はどんな話をしてくれるのだろう、どんな質問をしようとそわそわしていた。


「————お待たせいしてすみません。王様」

「アン官吏!」


 アン官吏が戻って来て、ようやく会えた嬉しさでヒョンジェは立ち上がる。

 ところが————


「アン……官吏?」

「はい、どうしました?」


 ヒョンジェはじっとアン官吏を見つめる。


(なんだ……? どうしてだ……?)


 見た目はどうし見たってアン官吏そのも。

 だが、何かが違うとような気がしてならない。


(————……匂いだ。匂いが違う)


「何か使っているものを変えたか? 石鹸とか香とか……」

「え……?」


 アン官吏は首をかしげる。

 その仕草も、やはりどう見てもアン官吏だ。


「いや、なんでもない……」


(きっと、気のせいだ。どう見たって、アン官吏じゃないか。きっと、ここへくる前にどこかに立ち寄ったんだろう……うん、きっとそうだ)


 ヒョンジェはそう納得し、気づいていない。

 アン官吏は、背中にじっとりと冷や汗をかいている。

 今日は本人なのだ。

 今日のアン官吏は、あの男装官吏ではなく、本物のアン官吏————ジソンだ。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る