第12話 夜明けまで



「————それで、この状況はなんだ? イ官吏」

「なんで……しょうね? ホン課長」


 時間になっても中々観測台へ現れない新人官吏を呼びに、観象課の部屋へ戻ったイルボンとテハンは、この状況に理解が追いつかなかった。


「……では、月はこの地の周りを回っていると?」

「ええ、今日のように月が大きくなった様に見えるのは、この地と月までの距離が通常よりも近いからです。月の大きさが変わったわけではないんですよ。特に月が昇ったばかりの頃は大きいですよ」

「なるほど……では、月が赤く見える時があるのはなぜだ?」

「おお! よくご存知ですね、王様」

「ああ、初めて見た時は驚いたものだ。太陽が二つあるのかと思った」

「月が赤く見えるのは、一説によると————……」


 王がいる。

 それも、こんな夜の遅い時間に。

 一体いつからいたのか、お付きの内官は立ったまま眠っているし、室内を照らすロウソクも、取り替えなければそろそろ消えてしまいそうだった。


 波斯国はしこくで作られたものを元に、大帝国が作った地球儀と丸い玉を使って王に月の軌道について説明しているジアン。

 王はそれがとても気に入ったようで、目をキラキラと輝かせながら何度も頷き、次々と疑問に思ったことを訪ねる。

 まだ官吏になって一週間とは思えないほどの知識量で、王の疑問にスラスラとわかりやすく答えていくその姿は、頼もしくもあるが同時になんだか怖かった。

 この道二十年のイルボンが、何年もかけて覚えたような知識を、この若さで王に披露しているなんて……信じられない。

 テハンなんて、一体なんの話をしているのかわからず珍紛漢紛ちんぷんかんぷんだ。


 王は以前から月や星について疑問に思うことが多く、その謎が解明できて楽しくて仕方がない。

 今まで知りたいとは思っていたが、そういった話をしようにも大王大妃には「王様はそんなこと気にしなくていいです。天のことは、巫女に任せればいいのです」と話題にすることさえ許されなかった。


 ジアンはありとあらゆる書物を読み漁っていたおかげで、天体に関する知識も抱負。

 月の満ち欠けがどうとか、火星がどう動き、時に予測外の動きをするとか、ジソンから聞かされたものもある。

 ジアン自身もこの類の話には興味があり、話題に事欠くことはなかった。


「まさか……王様に近づくとは……」


 祭祀課に近づくなとは言ったが、王に近づくなとは言ってないイルボン。

 これこそ、風紀の乱れなんじゃないかと思えてくる。

 王は中々子ができないと聞いていたが、もしかして、そっちの気があるのではないかと疑ってしまうほど、二人は仲が良く、意気投合していた。


 花より美しい新人官吏と、若くして亡くなった先王の生き写しのように気高く品位ある現王の姿は、まるで絵に描いたように美しい。

 この道二十年、新人の時に就任式で辞令を頂いたのが、先王に会ったのは最初で最後だったイルボンは、なんだか泣けて来た。


「————あの、王様……そろそろ、夜が明けるのですが……」


 立ったまま眠っていた内官が、ハッと気がついて王に声をかける。

 そこでようやく、二人の会話が止まった。


「夜が明ける……?」


 ジアンは、こちらを見ていたイルボンとテハンに気づき、慌てて水時計を見る。

 とっくに観測の時間は過ぎていた。


(ああ、やってしまった……)



 * * *



「————ああ、本当に腹が立つ!! なんなのよ!!」


 一方、後宮ではファヨンが癇癪かんしゃくを起こしていた。

 王が部屋を出て行った後、全く手をつけずに残された食事と酒が乗った台をひっくり返し、床に散らばったそれらを女官たちが片付ける。


「やっと邪魔者がいなくなったのに、なんでよ!! どうして、どうして王はいつもああなの!? どこへ行ったのよ!?」

「今、探しておりますから、落ち着いてください、王妃様」

「私の何が気に入らないって言うのよ!!」


 西派の重臣の娘であるファヨンが王の側室となり後宮に入ったのは五年前。

 ファヨンが十七歳、王が十五歳の頃だ。

 とにかく早く世継ぎを……と、西派の重臣たちが言い出して、大王大妃も渋々了承。

 ファヨンともう一人はどの派閥にも属していない貴族の娘が側室に選ばれる。

 当時の王妃に懐妊の兆しが全くなく、もしかしたら妊娠しにくい体なのではないかと噂されていた。


 側室になったからには、とにかく先にお前が王子を産めと父に言われている。

 幼い頃から王に恋心を抱いていたファヨンにとって、それは嬉しい役目だったのだが、もう五年。

 自分の何が悪いのか、わからない。


「私が一番なのに……後宮の中で、この国の女の中で、私が一番美しいのに、どうしてなの?」


 精がでるといわれている食材を使った料理や、男がイチコロになるという香を焚いても、王は全く興味を示してくれない。

 王の食事に惚れ薬を入れたこともあったが、「変な匂いがする……」と、口もつけなかった。

 今日なんて、部屋に入るなり真っ青な顔で走って逃げて行った。


 ファヨンは知らないのだ。

 王の嗅覚が人より優れていることを。

 そのおかげで、何度か毒殺されそうになったのを回避している。

 この能力は、外部に漏れないよう徹底されており、知っているのは今やナム内官だけだ。


「やっと邪魔者が消えたのに……あの東派の女が廃位になって、やっと私が王妃になれたのに……うあああああああん」


 怒っていたかと思うと、今度は大声をあげて泣き出すファヨン。

 お付きの女官はなだめようともせず、ただじっと、ファヨンが泣き止むのを待った。


「そうだ、エギョを呼んできて」


 女官の思った通り、ファヨンはすぐに泣き止んで泣いていたのが嘘のようにニヤニヤと笑いながら突然そう言った。


「……エギョ……司暦寮の巫女様のことでしょうか?」

「それ以外に、誰がいるって言うの?」

「こんな時間にですか? もう遅いですし、明日にした方が……」

「いいから、呼んできてって言ってるでしょ? 私の言うことが聞けないの?」

「も、申し訳ございません……」


 キッと女官を睨みつけ、ファヨンは手がとどく範囲にあるものを一つ一つ投げつける。


「早くしなさい。それで? 王様はどこへ行ったの?」

「で、ですから、今探しておりまして……」

「何もかも遅いのよ!! あんたも行きなさい!!」

「は……はい、かしこまりました」


 女官は後宮を出て、王を探しに行った別の女官を探す。

 すると、ちょうどその女官が戻ってきているところだった。


「王様は!? 王様は見つかったの!?」

「は……はい、それが……」


 ぜいぜいと息を切らしながら、女官は告げる。


「司暦寮の……観象課です…………!!」

「司暦寮!? どうしてまた、こんな時間に?」

「詳しくはわかりませんが、その……すごく……」

「すごく?」

「すごく綺麗な顔の官吏様と、一緒にいます!!」

「…………は?」


 結局、王は夜が明けるまで観象課に入り浸り、ファヨンの元へ帰ってくることはなかった。

 そして、それからと言うもの、王は夜になると後宮よりも、観象課へ行くことが多くなって行く————



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