第10話 満月の夜


 今夜は月が大きく見える満月の夜。

 幻栄国では、月が近づく日は子供が産まれやすい吉日とされており、祭祀課では月に感謝を捧げる儀式が行われていた。


「急いで! そこ、早く!」

「は、はい!」


 暦の上では明日の予定だったが、ここ数年、数日のズレが生じ始めている。

 急遽前倒しとなり、祭祀課の巫女たちは儀式の準備に追われていた。


楽士がくし達は!? まだ着かないの!?」

「今こちらに向かってます!!」


(ジソンの言っていた通りね……本当に前倒しになった)


 祭祀課の巫女たちが慌ただしくしている様子を、ジアンは観測台の上から見下ろす。

 ジアンは、ジソンが司暦寮の観象課に配属されたと聞き、頼み込んで今夜の夜勤を代わってもらっていた。

 同じ司暦寮だが、別の課である祭祀課の巫女の様子を伺うためだ。

 ミオンが廃妃となったのは、祭祀課の若い巫女が神託を受けて……ということだと聞いてはいたが、それがどうも気にかかる。

 神託を受けたというのに、巫女はなぜ、悲惨な死に方をしたのか。

 神が王妃の罪を暴いたというのであれば、それは正しい行いのはず。

 その正しい行いをした巫女を、神が殺すとは思えない。


「おーい、アン官吏!」

「ホン課長、どうかしました?」

「どうかもなにも、いつまでそこにいるつもりだ。記録が終わったらすぐに降りて来なさい」

「はーい」


 観象課では、毎日決まった時間に王宮で一番高いところにある観測台に登り、空の様子を記録をしている。

 月や星の位置、暦通りにきちんと動いているかなどの確認作業が主な仕事のため、地味だと言われているが、人々の暮らしにとってこの記録はとても重要なこと。

 星が雨のように降ると予測されている日や、太陽が陰る蝕の日など、空に異変が起きる凶事とされる現象が起きると、すべての行事が取りやめになったり、延期したりする。

 特に、蝕の日に田植えをすると、雨が降らずに飢饉ききんが起こると信じられていた。


 幻栄国が属している大帝国から使うように与えられた暦では、いつ頃田植えをし、稲を借り収穫すると良いかや、吉日とされる日なども記されている。

 婚礼などの祝い事はこの吉日に行うため、暦は生活と切っても切り離せないもの。

 しかし、実は大帝国と幻栄国では若干のズレが生じている。

 そこを改善するために、観象課の記録は役立ち、祭祀課が行う占いにも活かされていた。


「記録が終わったらすぐに降りるようにと、初日にも言っただろう? 観測大の上は王がお座りになる玉座より高い場所にある。王を見下ろすことになるのだぞ?」

「はい。そうでしたね……すみません」


(その理論なら、山の頂上に住んでいる人はずっと見下ろしてることになるんだけどな……変な仕来しきたり……)


 官吏になると、知らなかった仕来りがいくつもあると事前にジソンから聞かされていたが、ジアンにとっては今日が初日。

 早く降りろと声をかけて来た、このいちいちうるさいイルボンとも今日初めて顔を合わせたのだ。

 しかも————


「次は俺の番なんだから、早くしてくれよ」


 下で待っていた同じく新人官吏のテハンは、ジアンが替え玉士として科挙の一次試験を受けた雇い主。

 仲介業者を通していたため、顔は知らなかったし、テハンもジアンの名前までは知らなかった。

 ジソンの口からその名前を聞いた時はまさかと思ったが、二次も最終もギリギリで合格し、同じ観象課に回されて来た本人だった。


 同期ではあるが、歳はテハンの方が二つ上の十七。

 たいして頭がいいわけでもないのに、地方の高官の息子らしく太々しいとジソンが言っていた。

 それと、口が臭い。

 ドブのような匂いがする。


「お、始まったみたいだな……」


 ドンっと大きく太鼓の音が響き、笛と琴の音がそれに合わせて聞こえ始める。

 祭祀課の儀式が始まった。


「ここからじゃ、儀式の様子は見えないんですね……」


 千里眼を使えば、壁や建物を超えた先をみることも可能だが、あまり距離があるとひどく体力を消耗する。

 ジアンは、祭祀課長であるエギョの顔を確認したかったのだが、次の観測はテハン。

 その次の次にジアンの番が再び来る。

 その頃には、もう儀式はとっくに終わっているだろう。


「おい、アン官吏。まさか、初日に俺が言ったことを忘れてないだろうな?」

「初日に言ったこと……?」


 ジソンから観象課の官吏たちや関わるであろう人物の名前と顔の特徴と、最低限の決まりごとは聞かされているジアン。

 しかし、初日にイルボンが何を言ったかなんて、知るわけもない。


「アン官吏、お前は本当に首席だったのか? 一度言ったことを、なにも聞いていないじゃぁないか。すぐに忘れて……」

「すみません」


(うるさいなぁ……仕方がないでしょう? 別人なんだから)


「いいか、よーく聞け。風紀の乱れは仕事の乱れだ」

「…………はい?」


(何言ってるの?)


「ここは官吏も下働きも男しかいないからいいが、女がいる祭祀課とは関わるな! 興味も持つな!」

「あぁ……はいはい」


 イルボンの言いたいことを理解し、ジアンは呆れてしまう。


(確かにこの顔は女にモテるけど、うちのジソンはそんなふしだらな事しないけどね!)


「そうそう。わかります。アン官吏は女が好きそうな男の顔をしてる。それと、男色家にも好かれそうだ……」

「男色家って……僕にそんな趣味ありませんよ」

「いや、お前になくても向こうがあるだろう」

「そうそう。そうですよ、さすが年の功! わかってますねホン課長!」

「イ官吏もそう思うか! うんうん、お前は本当に物分かりがいいな! やはり新人はこうでなければ」


 テハンもイルボンと同じ考えのようで、二人してジソンが祭祀課と関わらないように結託していた。

 イルボンは女性問題で仕事に支障が出るのが嫌で、テハンは自分がモテないからである。


「とにかく、お前は次の番が来るまで、戻って記録の整理をしていろ。それと、次の蝕の日予想を出してないのはお前だけだぞ? そっちも計算しておくように」

「はいはい。わかりましたよ」


 蝕の日予想は観象課の官吏全員が行い、その平均を取るそうだ。

 過去の記録から算術を使い割り出すべきなのだが、ここへ送られて来る官吏は科挙の下位だった者ばかり。

 適当に書いて、偶然当たる運のいいやつもいたとかいないとか……


 幼い頃から趣味で蝕の日を予想して遊んでいるジソンから、すでに予測日、さらにおおよその時間まで聞いている。

 今夜の普段より大きく光の強い満月も、ジソンの予想通りだった。

 ジアンも真似をして計算をしてみたが、ジソンと全く同じ答え。

 当たるに違いない。


(記録の整理……か、面倒くさいわね。それより、どうにかして祭祀課の巫女について知れないかしら? 当日現場にいたとか、死んだ巫女を目撃したとか……なんでもいいのだけど)


 イルボンに言われた通りジアンは一人観象課の部屋に戻ろうと、提灯を片手に歩いていた。

 ところが、まだ観測台から部屋へ戻る道に慣れていないジアンは迷ってしまう。


(えーと、あれ? どこ? ここ?)


 どこで道を間違えたのか、出勤時に避難した老人の家の庭よりも、はるかに大きな池のある場所に出てしまった。

 池の中央には、山形になっている橋もかかっている。


(————庭園? あれ?)


 池には大きな月の光が反射し、もう一つの満月。

 まるで、ジアンとジソンのように、そっくり。


「うわっ……!」


 水面の月に目を奪われながら歩いていると、背の高い男にぶつかった。


「すまない、月を見ていて気がつかなかった。大丈夫か?」


 ジアンが顔を上げると、その男と視線がぶつかる。


(…………誰、だっけ? この顔どこかで、見覚えが……)


 思い出そうとしたその時、内官たちが橋の向こう側からかけて来る。



「————王様!!」


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