トキネVS回向院流槍術

「しかし誕生した経緯が殺人術だったとしても、武術は一方では己の精神の鍛錬の場でもあるわけです」

 そう言ったのは岩崎師範代だった。


「なので回向院流槍術では試合形式の稽古では勝敗には重きを置いてませんし、他流試合も禁じていません。他流派と関わることでより自己研鑽できればそれいいという考え方です」

 僕がこの道場に通っていたのは学生時代までであった。華道や茶道のような礼儀作法を学ぶ場と言った感覚で、武術としての意味を深く考えた事は無かった。


「師範代、折角なので一手お手合わせ願えませんか?」

 トキネさんが岩崎師範代に向かってそう申し出た。


「それはありがたいお話です。是非ともお願いいたします」

 師範代はそう言ってから用具庫にはいり、自分の短槍を持って出てきた。

 造りは先ほど僕が使ったものと同様だが、柄の部分は黒光りしている。長い修練の結果なのだろう。先端の竹でできている部分は古くなれば交換するが、堅木でできた柄の部分は長い間使い続けることができる。


 二人は先ほどの僕とダニエルの様に道場の中央に相対する形で立つ。立ち合いというか審判役は僕にもダニエルにも務まりそうにはないので、二人で道場の端に正座してそれを見ている。


「用具庫には通常の竹刀もありますが素手で宜しいでしょうか?」師範代がトキネさんに聞く。


「対剣道でも面白いんですが、ダニエルの修練も兼ねているのでまずは素手での戦い方を見せておこうかと思います」

 そう言ってトキネさんはニッコリとほほ笑んだ。


 二人はまずお互いに一礼をする。

「お手柔らかに願います」

 師範代はそう言ってから構えた。構えは先ほどの僕とは違って下段だった。

 下段ではあるが槍の先端をゆらゆらと上下に揺らしている。一方トキネさんは両手を肘から曲げて前の方に出して構える。先ほどのダニエルに似た構えだ。違うのは手のひらは伸ばして手刀の様にしているところと、脚は右足を前に出しステップなどは踏まずに腰を落としているところだろう。顔面は師範代の方を向いているが微動だにしない。


 トキネさんの方を向いた槍の先端は、上下にゆらゆらと揺れているが、その揺れ幅は大きくなったり小さくなったりしている。

 しばらくにらみ合いが続く。見ている僕の方にも緊張感が走る。気が付くと音が消えていた。静寂があたりを包む。


 師範代の槍の先端の動きが一瞬止まると、そのまま前に突き出される。同時にトキネさんの上半身は一切の予備動作なく前へ動いていった。

 横から見ていて槍の先端と重なり合ったが、体に触れることは無かったので、まっすぐ前ではなく槍の動きを見切った上で、少し横にも動きながら進んだのだろう。

 次の瞬間トキネさんの体は師範代のすぐ左斜め前に移動していた。そうして彼女の右腕の手刀が首筋に入ろうかという所で、師範代は槍の柄を握っていた右腕を開放して、その手首を掴んだ。二人の動きが止まった。


 目線を下に向けると、トキネさんの左腕は師範代の左足の太ももを掴んでいた。

 すぐさま二人はお互いの体を離し、共に後ろに下がって礼をした。


「もし短刀が二本であったなら、師範代は大腿動脈を切断されてましたね」

 どこかで聞いた声が後ろでした。僕が振り向くとそこにはなぜか草壁さんが立っていた。


「なんで草壁さんがここにいるんですか?」

 そう言った僕の方をダニエルも見た。草壁さんの存在にも気が付いて驚いた顔をしている。


「ちょっと別件で来てたんですけど、さっき聞いたら道場に剣道十段柔道十段の達人が、元米軍特殊部隊の人間に稽古をつけに来るって言うじゃないですか…どうして私に内緒でそんな楽しいことをしてるんですか」

 いや、草壁さん。あなたは大臣秘書であって、この件には関係ないですよね?


 手合わせが終わってこちらの方に向かって歩いてきたトキネさんも、草壁さんの姿を見て声をかける。

「不思議な人がいらっしゃいますね。文部科学省は古武術にも関心があるのかしら。まぁテルちゃんが茂木家と関りを持っていても不思議ではないですが…」

 草壁さんは軽く一礼した後答える。

「今日は文部科学省の仕事とは別案件です。しかしいいものを見せてもらいました」


 草壁さんの話は置いておいて、こちらのほうへ戻ってきたトキネさんに

「あっという間ですね」

 と僕は言った。


「勝負は一瞬ですよ。実戦では映画やドラマの様に長時間やりあったりすることはまずありません。剣道や柔道とも違います」

 と、トキネさんは言った。そうしてダニエルの方を向いて

「間合いの長い武器と相対する場合は、相手の懐に入るのが基本です。あなたの場合は上半身の動きに頼りすぎています。もう少し重心を下げて、足さばきの練習から入るのがいいでしょう」と言った。


「縮地は予備動作無しで相手の懐に入る足さばきですが、基本は摺り足です。まぁちょっと違いはありますが摺り足は剣道でも基本動作です。どの道アメリカ流の柔術ではあまり馴染みがないかもしれませんね」

 トキネさんにそう言われて、その後はなぜか僕がダニエルに摺り足を教えることになってしまった。トキネさんは岩崎師範代と草壁さんを交えて話をしている。


「流石は見事な縮地でした」

 そう言う師範代に

「最後に私の右手首を掴んだ動きは柔術でしたよね?柔術の心得も?」

 とトキネさんは聞いた。


「若いころは他流派も色々と学びました。今は門外不出という時代でもないので、色々と交流していった方がいいというのが私の考えです」

「岩崎さんが師範代という事はこの道場には他に師範がいらっしゃるんですよね」

 トキネさんは聞く。


「それが今は空席になっています。代々茂木家の嫡男が師範を受け継ぐことになっているんですが、先代は高齢のため引退されています。あ、私の苗字が茂木でないのは養子に出ているからです。本来師範であるはずの兄が数年前から行方知れずになってしまいまして…なので兄の長男が跡を継ぐ事になるんですが今はまだ高校生です。まぁ年齢の話もありますが、どうも他にも色々と問題が…」

 師範代は口ごもる。


「問題?」

 トキネさんが聞く。

「彼は合気に関して類まれなる才を備えていて、はっきり言って私では全く歯が立ちません。幼少のころから剣道や柔道も嗜んでいましたが、同世代どころか大人を含めてどこに行っても、こと武道に関しては父親以外には相手になる人間がいませんでした。所謂天才というやつですね。その父親もいなくなった現在、全く武道というものに興味を示さなくなりました。今は無理やり週に一度だけ日曜日に道場に顔を出させてますが、全くやる気がありません」

 そこまで師範代が話したところで、横から草壁さんが口を挟む。

「詳しくは言えませんが、私が今日この道場に伺ったのも彼についての話です。一度小佐波さんが稽古をつけてあげたらいかがですか?何かを感じ取ってくれるんじゃないでしょうか?」

 それを聞いてトキネさんは一旦考え込む…


「茂木家直系の高校生ですか…」

 そう言ってからトキネさんは、道場の端から端を摺り足で往復していた僕とダニエルを呼び寄せた。そうして唐突にこんなことを言い出した。


「これから毎週日曜日はこの道場で稽古に参加させていただくというのはどうでしょうか?」

 いきなりの話に僕とダニエルは驚く。毎週稽古をつけてもらえるのかとダニエルは喜んでいるし、僕は僕で日曜日にもトキネさんと会えることに反対なわけもない。


「夏の山は虫が多いですからね。秋になるまでの間は若い人たちと一緒に体を動かすというのもいいかもしれない」

 そう言ってからトキネさんは僕と岩崎師範代を交互に見た。


「あの人の血を継ぐ青年、中年と来てからの少年…実に興味深い」

 …34歳の僕の事を青年と言っていただけるのはありがたいんですが、心の声が漏れてますよトキネさん。

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