第85話 ドナルド・マクベイン

 次の瞬間先ほどのサタジットと同じく、二人はお互いに切りかかる前の状態まで戻されていた。トキネは構えを解いて、数歩下がって軽く頭を下げた。


「凄い速さだよ。来ると分かっていても完全には躱し切れなかった。しかも一の太刀は相手の体勢を崩すための陽動なんだね。本命は二の太刀なんだ。いいものを見せてもらった。本来なら刀の刃を下向きにしたら抜きにくいよね。俺の頃は太刀が主流だったから刃は下向きにして腰にぶら下げたもんだけどね」


「いえ、逆向きでの一の太刀を躱されたのは初めてです。でもあなたは次の事を考えずに本気で一の太刀を入れてくるべきでしたね。その場合果たして躱せたかどうかは分からない」


「戦場では一対一で戦うなんて事まずないからね。本当は名乗りを上げてから一騎打ちするなんて礼儀もあったけど、兄貴がそんなことしなくていいって言いだしたから俺も賛成した」


「で、私は行ってもいいのかしら?もう少しやり合いたいところだけど、まだ二人待ってるんでしょう?」

「そうだね、あんまり独り占めしても悪いからね。四賢者になればいつでもここで手合わせできるし…」


「四賢者になる?どういう意味?」

「あれ?分かってて来たんじゃないの?この四層の試練を超えたら、不老と共に四賢者になる資格が得られるんだよ。最も空席が出るまでは関係ないし、普段は自由に生活していていいから大した仕事でもない。不老と言っても不死じゃないから、誰かが死んだときの補欠みたいなもんだね」


「大した仕事じゃないって言っても、あなた今日はわざわざここまで来たんでしょう?香港からも結構遠いでしょうに」

「俺はわざわざここまで移動してきたわけじゃないよ。何だろう、ここに存在するという可能性が残してあって、それと入れ替わったって言ったらいいのかな。同時に外には存在できなくなるけどね。まぁ理屈は俺にも良く分からない」


「私はそんな良く分からないものにはならなくていいんだけど…」トキネは言った。


「一番下に行ったらそう言えばいいんじゃないの?あれ?ソロスとサタジットはなんで君を呼ぼうって言い出したんだろう?まぁいいか、楽しかったから…じゃあまたね」義経がそう言うと、トキネの視界はまた暗転した。



 視界が戻って次の層でもまた正面を見る。目の前にはスーツ姿の、やや明るい茶色の髪を全て後ろに流した紳士が椅子に座っていた。彼はトキネの姿を見ると椅子から立ち上がり

「初めましてチェイベック(かわいいお嬢さん)」そう言って右腕を胸に当てて、軽く頭を下げて会釈した。


「ドナルド・マクベインと申します。普段はイギリスで銀行員をしております」紳士はそう名乗った。


「ごめんなさい。王(ワン)が義経だったのには驚きましたが、貴方のお名前は初めて聞きました。銀行員の方が何か武術を?」

「フェンシングを少々…。私は四賢者の中では最年少ですが、私以外の三人全てが推挙するという事は今回初めてでしたので、お会いできるのを楽しみしておりました」そう言いながらマクベインはスーツの上着を脱ぐと椅子の背もたれに掛けた。そうしてネクタイも外してワイシャツの前ボタンを上から二つ外し、袖のボタンも外して腕まくりをした。


 トキネはその名を知らないが、マクベインは1664年スコットランド生まれでヨーロッパにおいては世界最強の剣士とも言われているフェンシングの達人だ。記録上では生涯百回を超えるデュエル(決闘)で負けなしとなっている。日本でいう所の塚原卜伝のような存在だ。


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