第69話 地味
リング上ではサタジットが休憩が必要かをトキネに確認している。トキネが首を横に振ると、次の対戦相手アルベルトがリングに上がってきた。
黒いジャケットも白いワイシャツも脱いで上半身はランニングシャツ姿だ。下もスーツのズボンを脱いで、黒いスパッツのようなものを履いている。全身はちきれんばかりの筋肉に覆われていて、減量する前のダニエルよりもひと回りももふた回りも大きい。トキネとアルベルトは先ほどと同じく一旦リングの中央に歩み寄って挨拶を交わす。
「今日はウチの草壁の為ニ色々とありがとうございマス」アルベルトはそう言ってトキネに頭を下げた。彼はユーナム財団においては、直属の上司では無いものの草壁の先輩にあたる。
「いえ、こちらこそいつもうちの…親戚筋が草壁さんにはお世話になっています」まさに結婚式披露宴と言った挨拶を交わして、二人はそれぞれのコーナーに戻っていく。
トキネはコーナーに戻るところでリングサイドに草壁がいることに気が付いてこう声をかけた
「ユーナム財団というのは随分と面白い人たちがいるんですね。あのアルベルトさんっていう方は相手の動きが事前にわかるのかしら?」
「まぁそんなところです」そう言って草壁はニッコリと笑った。
「始め!!」マイクを通してマーリンの声が会場に響いた。トキネは先ほどと同じく両肘を曲げて両腕を前にして構えると、少しずつ摺り足でリング中央へと進んでいく。一方アルベルトの方も両手を前に出して構えているが、半身では無く重心を極端に落として、レスリングの構えに近い感じだ。若干左右に体をゆらしながらゆっくりと前に進み出る。
二人の間合いが近づいたところで、今までの手合わせとは違い、先に手を出したのはトキネの方だった。軽くボクシングのジャブのように右手を出したが、アルベルトは上半身を回転させてそれを躱す。今度はトキネは左手を同じように前に出す。それも難なく躱されたところで、右足で蹴りを出した。
アルベルトは今度は躱さずに蹴り脚を左手で受けて、カウンター気味に右掌底をトキネに向かって放った。トキネはすぐに先程のけり脚を地面まで下げて、今度は床を足裏で蹴って体ごと後退した。
リングサイドでは長十郎が草壁に話しかける。
「あのアルベルトって人は本当に相手の動きが先に分かるんですか?」
「彼はプレリードと呼ばれるギフトを持ってるんです。相手の予備動作で感覚的に次の動きが読めるんです」草壁は答える。
「そんなの攻撃しようがないじゃないですか!」
「それはどうでしょうね」長十郎の発言に草壁はそう返した。
リング上ではトキネとアルベルトの攻防が続いていた。単に格闘能力という事であれば、遥かにトキネの方が優っているだろう。それはアルベルトにも分かっていた。武術の達人であれば予備動作というのは限りなく小さい。しかしゼロというわけでは無い。それを事前に感じ取っていち早く動くので、トキネの攻撃はことごとくアルベルトに躱されていた。
逆にアルベルトからの攻撃は通常の格闘戦に近いものなので、トキネの方も全て躱していた。両者共に手を出し合っているのだが、ある意味膠着状態が続いたところで、一旦トキネは後ろに下がって間を置いた。
「地味すぎる…」そう言ってトキネは深いため息をつく。
「下スパッツの上ランニング姿のおじさんと、深紅ではあるけども道着を着ている私との立ち合いに果たして華があるんでしょうか?」トキネは先ほど対峙したユートンの華麗な動きにある意味心を奪われていた。今やっている手合わせは、人の生き死にには関係ない、ただの結婚式の余興だ。こんなところで集中力が高まることが無ければ、生死をかけた戦いのヒリヒリ感を味わうことも当然ない。
まぁそれはそれでいいかなとも思っているのだが、その分観衆、そうして主役である新郎新婦には大いに楽しんでもらわないといけないだろうと頭の片隅で考えていた。
「ちょっとタイム!!」そう立会人のサタジットに告げてトキネは自分のコーナーに下がった。そうしてそのリングサイドにいる草壁に言葉をかける。
「どうにも地味です。あなたのご主人、井原氏は先ほど木刀を持っているようなことを言ってました。ちょっとそれ借りてきてくれませんかね?」
その発言を聞くや否や、ハイッと元気のいい返事をして草壁は新郎新婦席に駆け足で戻っていった、そうしてものの数秒のうちに木刀を抱えて戻って来て、それをトキネに手渡した。手渡しながら
「小佐波さんの剣術を見られることを主人も楽しみだと申しておりました」と言った。
その発言に特にトキネは言葉を返すわけでもなく、右目をウィンクして回れ右してアルベルトの方を向いて木刀を構えた。
「こんな木の棒でも、持って構えればしっくりきますね」そう言ってから今度は両手で木刀を頭上にかがげた。そうして深く一つ息を吸ってからこう叫んだ。
「刀の舞!」
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