第64話 自己紹介
「お色直しは時間がかかりそうだし、ちょっと挨拶に行ってきますか」そう言ってトキネさんは田舎のおじさんのように近くにいたウェイターからビール瓶を強奪して、対戦相手のテーブルに向かっていく。いや、トキネさん、本番前に酒はまずいんじゃないですか?
「ご一緒します」そう言って僕もトキネさんの後を追うことにした。
リングをまわりこんで向こう側のテーブルに僕とトキネさんが近づくと、席に座っていた面々が一斉にこちらの方を見た。
「そこの大きな方とそちらの女性、それに道着を着てらっしゃる茂木春野(はるや)さんが今日の余興の参加者ですね」トキネさんの言葉はいつでもストレートだった。それを聞いて春野おじさんはトキネさんに答えるでもなく僕の方を向いて口を開く。
「最初名前を見た時はまさかと思ったが、先ほどの槍術を見て君が長十郎君だということは確信した。どうして君が小佐波さんと一緒にいるんだい?」
「春野おじさん、どうしてここに居るのかはこっちのセリフですよ。日本に帰って来てることは琢磨君に知らせてあるんですか?」先日道場で会ったときには琢磨君はそんな事は一言も言っていなかった。きっと知らないんだと思う。
「今更どんな顔して会えばいいというんだよ。あいつももう大人だから俺なんか居なくても大丈夫だろう」
「琢磨君は会いたがってると思いますよ」横からトキネさんが口を挟んできた。
「小佐波さんは息子をご存知なんですか?」春野おじさんは驚いている。
「これも縁なんでしょうね。琢磨君だけじゃなくて、岩崎師範代も、あなたのおじいさんのひいおじいさんも存じ上げてますよ」そう言ってトキネさんは笑った。
「しかし草壁さん、春野さんの事を調べておくとか言いながら、自分の結婚式の余興でトキネさんと戦わせるとかどいうつもりなんですかね?」僕はトキネさんに言った。それに答えたのは春野おじさんだった。
「ゲッツ氏から小佐波時寝と手合わせ出来ると聞いて、僕の方から参加を申し出たんだ。あの人とユーナム財団には何かと修行の手伝いをしてもらっている恩もあるしね」春野おじさんが言った。
「子供をほったらかして世界中修行してまわってるらしいですね。それで何らかの答えは出たんでしょうか?」トキネさんが春野おじさんに聞く。
「何も分からないし、答えがあるのかも分かりません」そういって春野おじさんは首を横に振った。
「まぁお若いですからね。まだまだこれからでしょう」トキネさんの言葉に春野おじさんは答える。
「小佐波さんはかなりの長い年月修練を積んだと聞いておりましたが、お若く見えますね。失礼ですがおいくつでらっしゃるんでしょうか?」あ、それ怒られる奴だと思ったが手遅れだった。
「あなたのところは女性に年齢を聞くのが失礼だって事を、代々忘れている家系なのかしら?」いや、でもそりゃ聞きたくなりますよトキネさん。
トキネさんはそう言ってから、自分がビール瓶を持って来ていた事に気が付いて酌をしてまわろうとする。当然春野おじさんは断った。隣に座っていた大男も
「大変光栄ナンですが、試合前なのデ、今は飲めまセン。余興が終わったラ今度は私の方カラお酌しニ伺いマスね」と言って断る。少しだけイントネーションのおかしなところもあるが、見かけに似合わず流ちょうな日本語だった。大男にそう言われてトキネさんは更に隣にいたおかっぱ頭の女性の方を見る。
「私も彼と同じです。あ、彼の名はアルベルト・フォードで私は若杉雨桐(ユートン)と申します。9月生まれのおとめ座です。この後の余興はよろしくお願いいたします」トキネさんの視線に対して、彼女はそう言った。生まれ月の星座がどう関係してくるのかは良く分からない。
対戦相手が分かったところで、トキネさんはお酌はあきらめて一向に中身の減らなかったビール瓶をユーナムのテーブルに置いた。そうして自席へと戻る感じだったので僕もそのあとを追う。
「あの大男…アルベルトでしたっけ、頭の中で何回かちょっかい出したんですが全てに反応してました。春野さんも相当鍛えあげてますね。あの女の子は良く分かりませんでしたが、これは手合わせが楽しみです。そう言いながら席に戻ったトキネさんは、オードブルは食べても二度とシャンパンを飲むことはなかった。
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