第63話 茂木春野
「キエーッ!!」 トキネが自分の間合いに入ったところで井原は竹刀を振り下ろす。それは面では無く、トキネの左肩と首の間に振り下ろされる軌道を描いていた。トキネは下段で構えていた竹刀の切っ先を持ち上げて、振り下ろされてくる井原の竹刀の軌道に合わせた。
バリバリッという音と共に両者の竹刀はバラバラになった。トキネの竹刀の先端が井原の振り下ろされてくる竹刀の芯を捉えたのだ。しかし井原の竹刀の勢いは止まらずにバラバラに砕けてしまったのだ。しかしそれはトキネの竹刀にしても同じ事であった。
一の太刀が受けられて井原は一旦後方にひいた。しかし両者とも竹刀の方はもう使い物にならない。
「ごめんなさい。太刀筋が鋭いので滑らせるのももったいない気がして、垂直に受けてしまいました。竹刀じゃもたないですよね…」トキネは井原に言った。そうして先端がバラバラになった竹刀を見てから続ける。
「面では無く迷うことなく袈裟切りを狙ってきた。剣道では無く違う道を探求してるんですね」
「下段からぶれることなく真っすぐに私の一撃を受けられるなど予想もしていませんでした。躱すのではなく受けて頂いてありがとうございます」井原はそう言ってトキネに一礼した。
「でも困りましたね。私とあなたが手合わせするには竹刀では無理そうです。木刀か真剣でないと続けられそうにありません。しかし現職大臣が同席しているところで銃刀法違反をやらかすのも流石にまずいだろうし…木刀はギリセーフでしたかね。元警察の人間としてはどう思われますか?」トキネは吉森大臣の方を見ながら井原にそう言った。
「木刀なら持参していますが、それでやり合ったら私は無事では済まないでしょう。一手お手合わせ頂けただけで私は充分です。多分嫁も喜んでいる事でしょう」
リングサイドで二人のやり取りを見ていた草壁は興奮していた。もちろん剣術同士の戦いも素晴らしかったのだが、真紅の道着姿に竹刀というトキネの姿に一番心を動かされていた。これでマスクをしていたなら完璧だとも思ったが、それを望むのは贅沢すぎるだろうと自分をたしなめていた。そう、彼女の最も愛する格闘技はプロレスなのだ。
「さぁ前振りはこれぐらいにして、いよいよ本番の余興に入りましょう!!」マイクを持ったゲッツが叫んでいる。それを聞いたマーリンは慌てて喋り出す。
「余興本番の前に新郎新婦にはお色直しをして頂きます。お二人が戻られるまでしばし御歓談ください」それを聞いて草壁と井原は最初に出てきた幕の向こう側へ立ち去って行った。
三人が元居たテーブルの席に戻ったところで、三船氏がニヤニヤしながらトキネさんに声をかける。
「負けちゃったね。トキネちゃん」
「え?トキネさん全勝でしたよね?」
「試合の話じゃないよ、これは結婚式の余興でしょう。新郎はともかくさっきの歓声は新婦に向けられたものだったから、客を喜ばせる余興の演出としては完敗だね」
「いいでしょ別に。今日の主役は新郎新婦なんだから…しかしあの井原君はなかなかすごかったよ。真剣で切り合ってみたいもんだね。ま、殺しちゃうかもしれないから今日は無理だけど」今日じゃなくても新郎を殺しちゃだめですよトキネさん。
「でもあの立会人のサタジットってやつも凄い。彼は次の戦いには出てこないのかな?」先ほども見たが各席には出席者の座席表が配られている。立会人のサタジット氏の名前はトキネ達の対戦相手のテーブルには記載されてなかった。各テーブルには8人ぐらいが座っているので、余興に参加する三人が誰なのかは現段階では分からない。
「あ、さっき言いそびれたんですが、余興本番で戦う相手のテーブル席に茂木春野(はるや)って書いてあるんですよね」僕はトキネさんにそう言った。
「え?茂木春野って琢磨君のお父さんの名前ですよね?なんでユーナム関係者席に座ってるんですか?」トキネさんが聞く。
「それが自分の記憶の中の感じとは全然ちがう風貌なんです。あれっと思ったんですが姿を見ただけでは確証がもてなくて、座席表で名前を確認したらやはりそうでした」僕はそう答える。
「ダニエルもアメリカの道場で会ったことがあるって言ってましたよね?あの人なんですか?」トキネさんはダニエルにも尋ねる。
「うーん…まぁ日本人はみんな同じに見えるので私はあてにしないでください」
「あそこのテーブルはみんなユーナム関係者だと思ってました。良くは分からないけど普通じゃない事だけは分かるんですよね。多分余興参加者はあの大男と、おかっぱ頭の女性、それに道着を着ている茂木晴野らしき男の三人でしょう」そう言ってからトキネさんは目の前に置かれていたシャンパンをぐいっと一気に飲み干した。
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