第61話 トキネVS草壁
草壁は特注であろう前代未聞の戦闘用ウェディングドレスの、上着の内ポケットから模造ナイフを取り出した。刃渡りはダニエルのものほど大きくはないが10cm以上はある。もし本物であったなら刺した場所によっては充分相手を殺傷するだけの能力がある。変わっているのはその形状で、柄の部分の先端には穴が空いていて金属製の鎖に繋がっている。鎖の先端には金属製の分銅のようなものが付いていた。草壁は上着を脱ぎ捨てるとリング外へ放り投げた。そうしてその分銅部分を右手で握ると、ナイフ部分を自分の横で振り回し始めた。ナイフはヒュンヒュンと風を切って音を立てる。
「これはまた古風なものを持ち出しましたね。鎖鎌…いや、分銅鎖と言った方がいいか…」トキネはニヤリと笑ってそう呟いた。
「銃火器以外ではこれが私の標準装備です。鎖鎌はドレスに納まらないのでナイフにしました」草壁は嬉しそうにトキネに説明した。
「あんな感じの武器を時代劇では見たことありますが、武道の世界ではメジャーなものなんですか?」リングサイドで長十郎はダニエルに尋ねる。
「私も良くは知りませんが、日本の武芸十八般には鎖鎌術と分銅鎖という武技があるとは聞いてます。ミスター北原は日本人で、十八般の中の槍術もやっているのに知らないんですか?」ダニエルにそう言われて長十郎は答えに困った。武芸十八般という言葉は聞いた事があるが、何をもって十八なのかはさっぱり分からない。アメリカ人のダニエルの方が余程に詳しい。
一方草壁はナイフを回しながらトキネとの間合いを詰めていく。トキネの方も無造作に草壁の方に歩み寄る。そうしてお互いにリングの中間手前で腰を落として構えをとった。間合いは鎖の分草壁の方が長い。二人の距離は素手で相対する場合に比べればかなり長い。
そこへ草壁は振り回していたナイフを前方に飛ばしてトキネに攻撃を加えた。ナイフはヒュンと音を立ててトキネに向かう。それをトキネは上半身は微動だにせずに足さばきだけで横に動いて躱す。草壁は鎖を使って一旦ナイフをひいてからまた前に飛ばした。それをまたトキネが躱す。完全に草壁の攻撃をトキネが見切っているように見えたがそれは違った。三度目の草壁の突きはトキネの道着の脇をかすめた。
「かする筈ないんですけどね…」そういうトキネの言葉は聞こえなかったの様に、更に草壁は何度もナイフでの突きを繰り返した。数回に一度はトキネの道着をかすめていく。
しばらくそんなやり取りが続いた後二人の動きが止まった。
「なるほど、面白い事をしますね」トキネの言葉に草壁は答える。
「ネタはばれていても躱すのはそう簡単ではないはずです」そう、草壁の使う鎖ナイフとでも呼ぶべき武器は攻撃時に音を立てる。草壁は自分のギフトを使ってトキネの左右の耳に入る音波に改変を与えていた。波を増幅したり縮小したり、時には打ち消すなどして、感覚にずれを生じさせていた。
武道の達人になるほどに五感から入る情報を並列に処理してそれに対応して動く。もちろん目でも見て避けてはいるのだが、聴覚から得る情報にずれがあると体を反射的に動かす場合その動きにも誤差が生じてしまう。
「頭では分かっていても、修練を積んだ人ほど勝手に体が反応してしまいますよね」草壁はトキネを前にして不敵な笑みを浮かべた。
「そんな事だろうと思って必要以上に大きく躱したつもりですが、結構紙一重でした。凄い技ですね。草壁さんは基礎的な鍛錬はしっかりできているので、普通に戦っても並みの人間であればまず勝負にならないでしょう。しかしその武を超える存在の人間であった場合、今度はこのからくりに引っ掛かっかってしまう…まぁそうそう負けることも無さそうですね」トキネはそう言ってから懐から手ぬぐいを出す。それを頭に巻いて後ろでギュッと結んだ。
「自分から攻撃するときには実に有効な技です。でも相手から攻撃してきたらどうするんですか?」そう言うと同時にトキネは腰を落として身構えた。
「逃げます!」草壁はそう言って鎖ナイフを回収すると回れ右した。トキネに背を向けて自分のコーナーに向かって走り出す。そうしてリングのロープを支えるポールに駆け上ると伸身で宙返りをした。プロレスで言う所のムーンサルト・プレスだ。ウェディングドレスを纏った花嫁は、白鳥の羽が宙を舞うように回転する。その美しい動きに会場にいた者だけでなく、トキネも魅了される。
しかし半回転してその正面があらわになったところで花嫁が口に笛を咥えていることにトキネは気が付いた。草壁が笛を吹く。前にノイズキャンセラーとしてのギフトを、音の波を相殺することで説明をしたが今回は違う。逆位相の波をぶつければ音は消えるが、同位相の波を重ねれば音は増幅される。鼓膜が敗れる程の音波が耳に到達する前にトキネは両手で両耳を塞いだ。草壁は伸身で空中を一回転し終わったところで、トキネの頭上で体をかがめ、彼女の後方から両ひざで蹴りを加える体制に入る。前方からは鎖ナイフの鎖部分でトキネの首を狙う。両腕を封じられたトキネに対してのまさに空中での挟み撃ちだ。
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