第53話 不老

「米戸さんご無沙汰してます」トキネは三船邸の玄関扉を開けてくれた米戸に挨拶をする。

「ほおちゃんは相変わらずお部屋で引きこもりですか?」トキネはあたりを見回すが玄関付近に豊水の姿はなかった。


「小佐波様に比べて三船様の血色の悪いことと言ったら…たまにはお日様の下にも出て頂きたいんですけどね」米戸は言った。

「まぁきっと外が退屈なんでしょうね。そのうち面白いことになって自分から外に出て行くようになりますよ。そんな予感がします」トキネは米戸にそう言うと、親指を立ててサムアップのポーズをした。


「じゃあお邪魔しますね」そう言ってからトキネは奥の部屋の扉の前まで進むと、勢いよく扉を開けた。

 部屋の中には壁一面に広がったモニターの前に座っている三船豊水の姿があった。豊水は扉を開けてトキネが入ってきた気配を感じ取ると、椅子に座ったまま振り向いて

「ああ、トキネちゃん早かったね」と笑顔を見せた。


「相変わらずひきこもってるわね~。運動しないと病気になるわよ」トキネが言う。

「ちゃんと運動はしてるよ。室内だけど…。定期的に窓際で日光も浴びてビタミンDが不足しないようにも気を付けている」豊水の答えに、トキネははいはいそうですかと相槌を打つ。


「で、なにが分かったわけ?別に不老と言っても不死じゃないから、寿命が長いというだけで病気もすれば事故や怪我で死ぬこともある。どうしてそうなってるかなんて私は別に気にしないようにしてるんだけどね。ただ老いという人生の楽しみを奪われた気はしなくはないけど」

「うん。まぁそれはおら…俺も同じなんだけども分からないことがあるっていうのがもやもやするんだよね。折角調べたんだし当事者なんだから聞いておいてよ」豊水はトキネのつれない発言に困惑気味だ。


「前に人間が老化する原因を説明したよね。細胞内の染色体にあるテロメアが短くなると、細胞分裂が起こらなくなるから老化する」そう言って豊水はトキネの方を見る。それなりに真面目に聞いてくれている様な感じではある。


「なので俺とかトキネちゃんが老化しなくなったのは、このテロメアの変化が抑制されているからだと考えてきた。二人の産まれた場所と時期から、この不思議な現象に気仙隕石が関わっているのは間違いないと思うんだけど、その影響で遺伝子が改変されて起こったのかなと考えていたんだ」そう言ってから豊水はトキネの方を再び確認する。付き合いが長いので若干彼女が退屈を感じてきていることが彼には読み取れてしまう。


「でも違うんだ。俺の細胞を検体として、遺伝子を全て解析してもテロメアの減少に繋がりそうな改変は見られなかったんだよ」豊水の言う通り、現在ではゲノム解析によって人間の遺伝子配列は解読できるようになっている。


「もちろん全ての遺伝子配列がどんな意味を持ってるのかは解明されているわけではないから、他のサンプルと比較する事しかできないけども、その限りでは特に変わったところは発見できなかった」


 豊水がそこまで話したところで、部屋の入り口にノック音が聞えた。扉を開けて米戸がワゴンを押して入ってきた。ワゴンの上にはティーポットとティーカップが二つ置いてある。


「ありがとうございます。サーブは自分でやりますからお気を使わずに」トキネは米戸にそうお礼を言ってから、自分でカップにお茶を注ぎ始めた。米戸はお辞儀をして部屋から出て行った。


「物凄い紅茶感が出てるけど、相変わらず日本茶なのね」トキネはそう言ってカップの中を覗き込む。

「俺は気仙茶が好きなんだよね。トキネちゃんもこれ飲むと懐かしいしホッとするだろう?」

「まぁ確かにこれは地元に帰った時とここぐらいでしか飲めないけどね」そう言ってからトキネは立ったままでお茶を一口飲む。


「ああ、ごめん椅子も出さないで。えーっとそっちにある椅子を使っていいよ。ちょっと話が長くなるから」豊水が言った。

「あんたね、女性に対してそこは普通自分で椅子を持ってくるもんでしょう。そんなだからもてないのよ」トキネはプンスカ文句を言いながら、自分で部屋の隅から椅子を運んできてそこに座った。ワゴンは椅子の横に置いて自分だけお茶を飲んでいる。


 それを見て豊水は、二つあるティーカップに自分の分しか入れない彼女も似たようなものだと思ったが、口には出さなかった。そうして話を続ける。


「で、先日最新の量子コンピューターで解析する機会を得てね。ゲノム解析で得た俺の細胞の遺伝子配列と、細胞サンプルも提供してその分裂時のデータをとって解析してもらったんだ」そう言ってから豊水も立ち上がり、ワゴンの上で自分の分のお茶もティーカップに注いだ。


「先ほど老化の原因だと言ったテロメアの短縮は細胞分裂の際に100%起こるかと言えばそうではないらしい。一定の確率で起こるのものであれば、逆に確率によってはテロメアに変化が起きないという事態も存在するという事になるよね」そう言ってから豊水は自分の椅子に戻り、座ってからお茶を一口すすった。


「分かりやすく言うと運がいいと老化しないってことになる。その運がいい状態が体内細胞の60兆個すべてで起こっていて、それが奇跡的にずっと続いている。もちろんその確率は天文学的に低い…というか普通はゼロだよ。それがどういった機序にのっとって起こっているかは分からないけども、だとすれば全ての辻褄が合う」


 そこまで黙って聞いていたトキネだが、我慢の限界にきて口を開く

「ちょっとほうちゃん、機械音痴の私でも知ってるけど、そもそも量子コンピューターなんてまだ実用化されるレベルじゃないでしょう?」


「それがね、あるところにはもうあるんだよ」豊水は続ける

「今までの話は老化の仕組みを追いかけた場合の考察だけども、視点を変えて不老不死について考えてみる。普通は老いもせずに死なない方がいいんじゃないかと思いがちだけども、生物の種として考えれば必ずしもそうではない」そう言ってから豊水はまた気仙茶を一口すすってから続ける。


「生物は各個体が死を迎えることで種としては進化することができる。だから不老不死の個体が存在することは、種全体にとっては害悪ともいえるかもしれない。なのでこれを排除しようとする動きが生物種全体で起こるかもしれない」

「私たちみたいなのは、癌細胞みたいなもんだって事?確かがん細胞も寿命で死ぬことが無いって前に言ってたわよね?」トキネは豊水に聞く。


「俺らと同様の人間は百人委員会のソロスとか、四合会の王、それにドイツのおっさんみたいに世界中探せば他にも結構存在しているみたいだけども、あんまり増えると排除対象になりかねないかもね。その量子コンピューターに細胞サンプルを提供したのはちょっとまずかったかなと今は少し反省している」


 そこまで豊水の話を聞いて、トキネは怪訝そうな顔をして言う。

「ちょっと、その量子コンピューターって…」


「…そこはトキネちゃんの想像通りだよ。今の所ユーナムとは良好な関係を保っているけども今後の動向は分からないし、多分色々と調査が入ると思う。トキネちゃんも少し気をつけておいた方がいいかもね」そういってから豊水は自分のティーカップに入っていた気仙茶を一気に飲みほした。

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