前日譚

第52話 気仙隕石

 1850年6月13日、旧暦では嘉永三年五月四日にその隕石は落ちてきた。東北地方にある長圓寺境内に、北北西方向から轟音をたてて落下した。長圓寺は現在の岩手県陸前高田市気仙町にあった。気仙町は、今も全国的にその名が知られる気仙沼と、響きは似ているが別物である。気仙沼の方は昔から栄えていて人口も多かった。両者の地名の由来については諸説あるがはっきりとはしていない。


 当時も今も気仙町周辺地域の主な産業は農業と漁業である。人口はそれほど多くは無い。隕石が落ちた翌年に農村地区である今泉地域の農村で小佐波時寝、漁村地区である長部地域の魚村で三船豊水は産まれた。二つの地域は距離的にはさほど離れていないし、人口も多くはないので人的交流もあるが、そこで過ごしていたころには両者に面識はなかった。


 江戸時代の庶民は苗字が無く、明治時代に適当に付けたと思われがちだが、実は公称はできないものの殆どの人間は苗字を持っていた。小佐波家も三船家も私称ながら、それぞれの地域では何代も続く家だった。銘家というわけではないが、極貧というわけでもない。


 産まれた当時は二人に特別なところがあったわけではない。それは子供時代も同じである。家も村も、もちろん現代社会に比べれば物質的に豊かであったとは言い難いが、二人は江戸時代の普通の庶民家庭で普通の人間として育った。少し人と違う所があるとすれば、当時としては二人は共に器量良しではあった。江戸時代も後期になると、顔の良し悪しの判断基準は現代社会ともそう大きくは変わり無かった。


 時寝は現在の年齢に直せば14歳の頃には本吉郡気仙沼町という、気仙町近隣では一番人口の多い町の商家に女中奉公に出された。当時はどこの家庭も子だくさんで、時寝も6人兄弟の3番目だった。長男長女以外はある程度の年齢になれば丁稚奉公に出るのが普通の時代だった。


 商家での女中勤めに特に目立ったところがあったわけではないが、数年が過ぎたところで、たまたま観光で江戸から来ていた料亭の女将の目に留まって、江戸の東部にある両国で女中勤めをすることになる。他の多くの若い娘がそうであったように、時寝も江戸に憧れのようなものを抱いていて、二つ返事でOKした。両親も娘が定期的に仕送りをしてくれるのであれば、断る理由もなかった。


 一方豊水の方は漁師である家の仕事を手伝いながらも、幼少のころから寺子屋通いをしていて、田舎の漁村の子供としては珍しく読み書きができれば算術にも長けていた。その才を見込まれて15歳の頃には時寝と同じく気仙沼町の両替商で丁稚奉公をすることになる。


 気仙沼の町には気仙町出身のものは他にも何人かいた。同郷という事でここで二人は出会う事になる。但し時寝の方は数年後には江戸に出てしまうので、お互いに幼かったこともあってか男女の関係などには発展することも無かった。


 その後明治維新後に豊水が東京の地に行くまで二人が再会することは無かった。

二人が東京で再会するのは日清戦争も終わった1895年の事である。その時は二人とも45歳になっていた。


 時寝が自分の特異体質を確信したのは30代も後半を迎えた頃だった。最初は周辺から小佐波さんは年の頃にしてはお若くていらっしゃるというような事を言われていただけだったが、何年経っても顔には皴ひとつはいる事がなく、歳を重ねるに連れ見た目と年齢のギャップはどんどんと広がって行った。


 40歳を超える頃にはその違和感は相当なものになっていて、職場も最初に働いた両国の料亭から転々としていた。そんな中で豊水と再会した。


 それは全くの偶然だった。30年以上ぶりに出会った二人はお互いを見て驚いた。もちろん気仙沼町で見知った十代の頃よりは若干老けてはいたのだが、どう見てもお互いに45歳という風には見えない。いいところ20代前半ぐらいの見た目である。


 豊水も時寝からはやや遅れてであるが、40歳手前でこの不思議な現象には気が付いていて、独自に研究を進めてきた。もちろん当時の科学水準ではヒントになる事象を見つけることはできなかったが、再会した時寝が同様の状態であったことから、同地域出身であることが関係していると推測するに至った。


 再会後時寝と話していて、実は二人は誕生した年も同じで日付もわずかに違うだけだという事に気が付いた。気仙沼にいた頃はそこまで深い話をすることは無かったので気が付かなかった。そうしてお互いの親が身ごもった時期を考えれば、二人の産まれた地域と時節に秘密を解く鍵がある事が予測できた。二人が生まれる前年1850年と言えば気仙町に巨大な隕石が落下したことは親から聞いて知っていた。


 気仙隕石は現在に至るまで記録に残る中では日本に落ちた最大の隕石である。理屈については不明であるが、二人の生誕に関して他に目立った共通条件は無いように思えた。


 豊水は丁稚奉公していた両替商からは独立して、江戸が東京と呼ばれることに違和感が無くなった頃には、本業を投資業としていた。その頭の回転の速さから、時寝と再会した時には既に巨万の富を築いていた。その財力を背景に隕石の影響と二人に起こった不思議な現象についての研究は現在も続けている。


 豊水は元来勉学好きなのもあってか、ありとあらゆる学問をかじってきた。時間だけは嫌になるほどあったので、大いなる暇つぶしともいえる。更に100年以上が経過して、ここ何十年かはネットというものが広く社会に浸透し、そこから得られる情報量は無限に近いものがあるので退屈することが無い。


 一方時寝の方は、両国の料亭勤め時代にあこがれの人に近づきたいという邪な動機ではあったが、町道場に通い始めて武術に触れたことをきっかけに、空いた時間は稽古に費やしてきた。最初は護身術の習得位に考えていたのだが、水が合ったのだろう。どんどんと武術の道にのめり込んでいった。


 彼女の本業の方は今も昔も変わらない日本の男性優位社会の中で、女性がつけるであろう職業を転々としてきた。長い時間の中で様々な職業を経験した。日露戦争時は従軍看護婦をしていたこともある。


 昭和に入って高度経済成長期には豊水の助言もあって、彼ほどではないが資産も膨らんで今では都内にいくつかの不動産を所有している。そのうちの一つのビルの一階で喫茶店を開いたのも、まだ年号が平成に変わる前の事だ。

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