第49話 晩夏
早いもので今年の八月ももうすぐ終わりだ。僕は相変わらず喫茶「乃木坂」に入りびたっていて、今は『この秋一押しの味覚』という記事を書いている。まだ秋になっていないのだから、本当にそれをこの秋に一押ししていいかどうかは定かではない。随分と気の早い話だ。
しかし三か月でアメリカに帰ると言っていたダニエルもなぜかまだ店にいる。そろそろその期限は迫っているはずなのだが、一向に帰国する気配が見えない。
「ダニエル、ビザが不要なうちに帰国するって言ってなかったっけ?」僕は彼にそう聞いて見た。
「ああ、労働ビザを取得したんで三年間は問題ないです。折角毎週ミス小佐波と稽古ができるのに帰国したら勿体ないでしょう」
毎週と言っても週一回数時間だけなのに、一体このアメリカ人はいつまで日本にいるつもりなんだろう。
相変わらず店の中にはトキネさんの他は僕とダニエルしかいない。会話に入ってこないので何をしてるんだろうと思ってトキネさんの方を見ると、彼女はカウンターの中で新聞をじっと眺めていた。
「何か面白い記事でもありますか?」そう問いかけた僕にトキネさんは答える。
「テルちゃんのIT大学構想の話が出てますね。マスコミにリークしたという事は、予算が付く目途が立ったんでしょう。二年後から試験的に運用を開始するみたいです」そう言えばトキネさんの玄孫に当たる吉森文部科学大臣が、そんな構想を抱いていると前にもここで聞いていた。
「市川の道場で会った女子高生が広崎さんの他にもう一人いたでしょう?先日助けた女の子。田村さんと言うんですが、琢磨君の想い人らしいですよ。ま、それは置いといて草壁さんに聞きましたが、彼女がその構想の最初の学生候補らしいです」そうトキネさんが教えてくれた。
「草壁さん曰く、琢磨君はユーナム財団がいう所のギフトっていうやつを持っているみたいですが、田村さんもそんな感じなんですかね?」僕は聞いてみる。
「それとは違うみたいですね。でもほうちゃんがあの子は凄いって言ってました。事の顛末も話しましたよね?あの時もほうちゃんが調べる前に瀬野副本部長と東の存在にまで自分で辿り着いていたみたいです。まぁ流石に女子高生には個人情報を調べ上げて、逆に脅し返すところまでは頭がまわらかったようですが…」そう言ってトキネさんは笑う。女子高生じゃくても普通はそんな事考えないと思いますよトキネさん。
「しかしあれには参りましたね。三船氏から急にラジオDJの体で知らない家に行ってくれとか言われて…」ダニエルが会話に入ってきた。
「そうですか?ほうちゃんからは、ダニエルは物凄いラジオDJ感が出ていてノリノリだったと聞きましたよ」またもやトキネさんは笑いながら言う。
「まぁ日本人には見えないと思いますが、アロハシャツとか久しぶりに着ましたよ」ダニエルは両手のひらを上に向けて、いかにもアメリカ人なポーズをとる。
僕とダニエルはあの日、事の概要を聞いただけで三船氏に連れられて東とかいう男の自宅を訪ね、トキネさんのスマホでの合図を待って家にいた東の奥さんとお子さんに電話を掛けてもらった。
ダニエルは三船氏が用意したアロハシャツを着て、英語のうまいDJ感満点だった。三船氏は三船氏でサングラスをしてディレクター感が出ていたが、僕はなぜだかマイクやら機材やらを持たされて技術スタッフの体だった。鏡を見たら似合いすぎていてちょっと吹いた。
奥さんから東にかけてもらった通話は途中で切れて、その後掛けなおしても通じなかったことから
「残念ながら落選です」と言って立ち去ったが、残された幼い娘さんの悲しそうな表情が今でも忘れられない。
その後詳しくトキネさんから話を聞いたが、父親が突然逮捕されてあの女の子が更に悲しい思いをしているのかと思うと胸が痛んだ…というか、家族持ちのくせに犯罪に走っている、あの東とかいうやつに対して怒りが込み上げてきた。
「東とか言うやつは、また復讐を企てたりしませんかね?人間として破綻しているような気がします」僕はトキネさんに向かって言った。
「警察関係者に聞きましたが結構反省してるみたいですよ」トキネさんではない。その声の方を振り返ると、そこには予想通り草壁さんが立っていた。
「驚くから音を消して入ってくるのはやめてくれますか草壁さん」僕はそう言った。どうしても彼女は扉を開ける時のカラカラ音を立てたくないらしい。
「実際に経験してみないと、自分が同じことをされたらどうかっていう考えに至らないんでしょうね」そう言ってから草壁さんはカウンター席に座って、トキネさんにコーヒーを一杯注文した。
「じゃあもう田村さんは安心ですね」トキネさんがコーヒーを入れながら言う。
「最初から警察に言えばいいものを、どうして高校生をあんな危険に巻き込む必要があったんですか?文科省関係者としては感心しませんね」草壁さんは不満顔でトキネさんに言った。
「またまた~。文句言う割には二つ返事で協力してくれたくせに…琢磨君の実戦シーンを草壁さんも見たかったんでしょう?何と言ってもあの『自分がずっとそばにいてやる』には痺れましたね。なんかあったらいけないと思って暑い中外で待機していた甲斐がありました。ああいうのを『尊い』って言うんでしょう?」 トキネさん、どこでそんな言葉を覚えてきたんですか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます