夏の終わり

第47話 感情

「そういえば琢磨君」

 トキネは今度は琢磨に話しかける。

「さっき真剣……と言っても短刀だけど戦ってみてどうだった?」


「不思議と頭の中は冷静でした。恐怖心もありませんでした」

 琢磨が答える。

「精神が高揚するというか……正直ちょっと楽しかったでしょう?」

 トキネはいたずらっぽく笑いながら琢磨にまた問いかけた。そうして彼の答えを待たずにそのまま続ける。


「武道とは己に勝つ道。自己研鑽…確かにそれはそうだけども楽しくなければ面白くはない……人間は本能的に戦うことを楽しいと感じるようにできているんですよね。もちろん社会生活を送るにはルールを守らなければいけないのは当り前。でも根源的な感情に蓋をするのは私はどうかと思うんです」

 琢磨と祥子、草壁はそれを黙って聞いていた。


「まぁ君たちには想像できない様な地獄の中で、沢山の若者の命を奪ってきた私に偉そうなことは言えませんけどね」

 トキネは悲しそうな眼をしてそう言った。


「来てくれてありがとう」

 祥子が琢磨に言う。

「前にうちの中庭ででっかいイモリが出たとき言ったろ。しーちゃんは俺が守るって」

 最後に来てこれはなかなかいい決め台詞だと思って、琢磨が悦に入っていると

「あれはイモリじゃなくてヤモリ。守るって言ったのも私がたくちゃんに言ったんですけどね……記憶のすり替えってやつかな~。この間は指摘しないでおいたけど」

 と、祥子は笑いながら返した。琢磨はたくちゃんと呼ばれたのは久々だった。



 その日から翌々日は日曜日だった。道場での定例稽古の日だ。小佐波さん達3人と広崎さんの他、田村さんも道場に来ていた。なんでも先日のお礼を長十郎さんとダニエルにも言っておきたいとの事だった。確かにそう言われれば彼らが最初に稽古に参加していた時、田村さんも来ていたので面識がある。


 先日と同じく彼女は稽古前から来て見学をしていたが、お礼を言うだけなら稽古の終わりころにでもくればいいのになと思った。もちろんそれは黙っておいた。言ったらまたもてなさそうと指摘されそうな気がした。そういえば稽古が始まる前に彼女がこっそりと自分に教えてくれた。


「以前草壁さんについてネットで調べたときは、彼女の公的プロフィール以外は一切出てきませんでした。それもまぁ不自然なんですが、小佐波さんに関しては公式どころか一切の情報が出てきませんでした。一般人ならそいう事もあるかもしれませんが、あの人の場合、何というか……不自然だったんですよね。誰かが切り取って消去しているような感じがしました。私はANYさんの仕業じゃ無いかと睨んでいます。昔馴染みだって言ってたし……」

 自分はあんまり人の詮索はしない方がいいんじゃないかとだけ彼女に言ったが、正直小佐波さんの人となりについては結構気にはなっている。あれだけの腕を持つ武術家についての情報が、一切ネットに出ていないという事があり得るのだろうか? 田村さんの事だから相当深いところまで調べているはずだ。


 その日の稽古も筒が無く終わり、先週と同じく居残り練習をしようかとなったところで、長十郎さんとダニエルに向かって田村さんが金曜日の事についてお礼を言った。改めて小佐波さんにも頭を下げている。


「ここにいるトキネ……小佐波さんに言われて訳も分からず、知らない人の家にラジオ番組のふりして、三人で行っただけですから大したことはしてません」

 長十郎さんはそう言って照れくさそうに頭を掻いた。


「三人?」

 田村さんが反応した。

「ええ、僕とダニエルと三船さんで……」

 長十郎さんがそう答えると

「三船さん?」

 と田村さんが聞き返した。


「ああ、小佐波さんの昔馴染みの方ですよ。彼は何でもすぐに調べちゃうんですよね」

 そういう長十郎さんを田村さんはじっと見ている。


「あれ? 僕なんかまずいこと言っちゃいましたかね?」

 長十郎さんが小佐波さんの方を見て言った。小佐波さんは笑っている。


「いいんじゃないですかね? そういえば田村さんのHNは最近MORAに変える前はTARAだったんですってね。TAMURAだから略してTARAってところでしょうか。ANYに聞きました」

 そう言ってから小佐波さんはニヤリと笑ってこう付け足した。


「ANYの正体は秘密という事でお互い痛み分けと行きましょう」

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