第38話 涙
彼女を客間に案内して、床の間の横に置かれた仏壇の観音開きの扉を開ける。中には懐かしい母の笑顔の写真が置いてある。自分が燭台の蝋燭に火を灯した後、田村さんはお線香に火をつけてお供えする。両手を合わせて目を閉じてしばらく低頭したあとこちらを振り向いた。
「おばさんはご病気で?」田村さんの問いかけに自分はどう答えていいものか一瞬迷った。女子高生に話すには少々ヘビーな話だ。それでもなんとなく本当の所を知ってもらいたいような気がして話すことにした。
「家族三人でいるところを通り魔に刺されたんだ」自分の発言に田村さんは凍り付く。
「もちろん刺した奴はすぐに取り押さえたけども、刺された場所が悪くてね。救急車で運ばれて病院につく頃には亡くなってしまった」そう言ってから自分は仏壇の母の写真をもう一度見た。そこにはかわらぬ笑顔の母がいた。
「自分も父も腕には覚えがあったのに、母が刺される瞬間には何もできなかった…。それから父は変わってしまった。現実から逃げるように武術の修行に明け暮れて、最後には家を出て行ってしまったんだよね」そう言ってから田村さんの方を見ると、瞳にたまった涙が彼女の頬をつたって下に落ちていくのが見えた。
「もう三年前の話だからね。人の命を助けるのに自分は武術じゃなくて、医学の知識を得る方が大切だろうと思って勉強を始めたんだよ。まぁ今の成績じゃあ医学部はちょっと難しそうだけどね」そう言って笑ってみせたが、田村さんは笑ってはくれなかった。頬を伝った涙を拭いてもらおうと、自分は頭に巻いていた手ぬぐいを解いて彼女に差し出した。
「それはちょっと…」そういって彼女は自分のハンカチを取り出して涙を拭いた。そうしてくすくすとやっと笑ってくれた。
「先輩女の子にもてないでしょう?」彼女の辛辣な言葉が自分の胸を貫いた。ここは否定も肯定もしないでおこう。
その日の午後はバイトは入れてないとの事だったので、彼女を自宅付近までゆっくりと送って行った。実家から先日彼女を送って行った菅野までは1kmちょっとでゆっくり歩いても15分ぐらいだ。その道すがら思い出話に花が咲いた。彼女があのしーちゃんだと分かってから、色々な事を思い出した。どうして今まで忘れていたのかが不思議なくらいだった。広くはない酒屋の裏の中庭だったが、くぼみに水がたまった大きな石や植え込み、じーちゃんが趣味でやっている小さな家庭菜園もあれば、幼い子供たちには楽しい遊びで溢れていた。ある時大きなイモリが出て来て大騒ぎしたことも思い出した。
そんな話をしていると、すぐに先日彼女と別れた場所まで来てしまった。名残惜しい気もしたが
「じゃあ、また次の図書委員で」と言って彼女と別れた。
後からなんで別れ際にスマホでSNSのIDを交換しなかったんだと後悔したが、夏休み中にはもう一度彼女とカウンター当番が重なる日があるのは分かっていた。
図書委員は全部で二十数人しかいないので、確率から言ってもそんなところだう。その時に交換すればいいかと思ったが、一度頭の中を整理すると、きっと彼女に次に会う時は他にも言う事があるようにも思えた。
しかし夏休み中の次の図書委員会の当番日に、彼女は図書館には現れなかった。
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