第37話 しーちゃん
彼女を連れて、表通り側から酒屋に入る。酒蔵は通りとは店舗部分を挟んで反対側にある。店内には会計レジ横にカウンターがしつらえてあって、軽く一杯飲んでいけるようにもなっている。世間で言う角打ちというやつだ。田村さんは店に入るなり、物珍しそうにきょろきょろと店内を見回している。
「実家は酒蔵だけど、こうやって酒屋もやってるんだ。もちろん売っているのは自分の所で造っている酒がメインだけども、他にも色々と置いている。あと見たことないだろうけど、店内でも飲めるんだよ」自分が田村さんにそう軽く説明したところで、カウンターの前に立って一杯ひっかけていた人間がこちらを向いた。
「お、タクちゃん彼女連れかい?」日曜日とはいえまだ明るいうちから飲んでいるこの男性は、常連のしげさんだ。
「そんなんじゃないですよ。まだ日も暮れてないのに飲んでていいんですか?」子供のころから店の方にもよく顔を出していたので、常連さんとは大体面識がある。
「家で飲んでたら女房に追い出された。日曜日ぐらい好きに飲ませろってんだよ」
昼間から酒を飲んでいるような人間には、奥さんでなくとも世間の風は冷たいだろう。普通酒屋の店先で飲むときは、ぱっと飲んでさっと帰るのが粋だと言われているらしいが、うちみたいにゆっくりとした時間が流れている角打ちも悪くないと個人的には思っている。まぁまだ自分は酒は飲めない年齢なので他の角打ちはよく知らないが…。
カウンター内には祖父がいて、一人で店番をしていた。茂木正蔵82歳。両親がいなくなってからは自分を養ってくれている。じーちゃんにちょっと後輩を蔵の方まで案内すると告げて、後方の出口から中庭の方へ出る。田村さんはじーちゃんにぺこりと一礼して自分に続いた。
「正蔵さん。今の女の子ってどこかで見た事あるよな」
「だな」
中庭に出ると、酒を造っている大きな木造の建物が見えた。壁は下が板張りで上は漆喰の塗り壁になっている。
「出入り口から覗くだけでいいかな。うちは見学用の設定通路とかないから、中に入るには色々とややこしいんだ」そういって田村さんを酒蔵の入り口の場所まで案内する。大きな扉を開けて危なくないように体全体で抑えながら右手の平で中を指し示す。田村さんはそこから中を覗き込む。しばし眺めてからこちらを振り返った彼女を見たとき、突然自分の中の記憶が蘇った。
「しーちゃん…」思わず口からそう漏れ出た。そう、自分は田村さんの事を前から知っていた。
自分の呼びかけに、田村さんはニッコリと微笑んで答える。
「茂木先輩やっと気が付いてくれましたね」
もう十年近く前の話だろうか?もちろんまだ父もここにいた頃、角打ちの常連だった男性がよく女の子を連れて来ていた。父とは仲が良かったらしく、よく店番もそっちのけで一緒に酒を飲んで談笑していた。そんなとき女の子が退屈しないようにと、自分はその子とこの中庭でよく遊んでいた。ただ、自分が小学四年生になる頃にはその親子が店に来ることは無くなっていた。自分が剣道や柔道を始めたのもその頃だった。
「いつから気付いてたの?」
「図書委員で最初に見かけたときにすぐわかりましたよ。先輩あんまり変わってないから」そういって田村さんはくすくすと笑う。
「なんで言ってくれなかったの?」
「自分で思い出してくれるまで待ってました。今日はおじさんとおばさんは?」彼女がそう呼ぶのはきっと自分の両親の事だろう。当時父も母も酒屋で働いていた。父がお客さんと一緒になって昼間っから飲んでいると、母は文句を言いながらも店番をしていたものだった。
「母は自分が中二の時に亡くなったんだ。それから間もなくして父もどこかに蒸発しちゃったんだよね」自分の言葉に田村さんは固まった。その顔からは先ほどまでの笑みは消えていた。
「すいません。知らなかったから…」
「田村さんの所はお父さんは元気なのかな?」自分は話題を変えようとした。
「うちの父も私が小学生の頃にいなくなりました。生死は不明です。それで酒屋の方に行く機会も無くなりました」彼女の自分と似たような境遇に驚いた。それで店の方には来なくなったのかと合点もいった。父からはそのことは全く聞いてなかった。
「自分の方こそごめん。生死不明という事は自分の父親と一緒で行方不明って事なんだよね?」
「もうすぐ行方が分からなくなってから7年経ってしまうので、死亡扱いにすることもできるんですが、母はまだ父がどこかで生きていると信じてる様なんです。父はちょっと浮世離れしたところがある人間でしたが、絶対に自分たちに黙ってどこかへ行ってしまうような人ではないと、母は今でも言ってます。でもだからこそ亡くなっている可能性が高いかなと私は考えています」自分と違ってお母さんがそばにいらっしゃるのは良かったが、彼女も今までなかなかに壮絶な人生を歩んできたんだなと思った。
「おばさんにはよくお菓子もらったりかわいがってもらいました。お線香をあげさせて頂いてもいいですか?」田村さんは悲しそうな眼をしてそう言った。
「もちろんだよ。母も喜ぶと思う。でも建物の方はもう見なくていいのかな?」という自分の問いかけには
「大丈夫です。建築物自体に興味があるわけではないので」と彼女は答えた。
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