第39話 財団

 田村さんと当番日が重なるまでにはもう一度日曜日があった。定例の道場稽古には先日の話の通り広崎さんも参加した。彼女は自分の剣道着を持ってきていてそれに着替える。もちろん長十郎さんと小佐波さん、ダニエルさんの三人も参加している。


 短槍については先週と同じ稽古の繰り返しで、型を練習する場面では広崎さんはもとより、長十郎さんと他の二人にもまだ見学してもらう。一通りすべての稽古が終わったところで居残りで広崎さんには縮地の動きを教えた。丁度いいと言って同様に小佐波さんがダニエルさんと長十郎さんにも縮地を教えている。縮地は古武術では比較的メジャーな動きだが、長十郎さんはそこまでは会得していなかったらしい。


 広崎さんが繰り返し動作を練習する中、自分は横目で小佐波さん達の練習風景もチラ見しながら、先週彼女に言われた「覇気がない」という言葉の意味をぼんやりと考えていた。覇気とは殺気のような意味なんだろうか?達人という域に達すれば、あの時通り魔の殺気に気が付いて、事件を防ぐことができたのだろうか?父は今もどこかで武術の修練に励んでいるのだろうか?


「先輩、こんな感じですか?」広崎さんに声を掛けられて自分は我に返る。

「うーん。広崎さんは剣道をやっているからどうしても左足が地面を蹴っちゃう感じになるね」剣道では右足を前に出して左足で蹴るのが基本動作だ。縮地では左右交互に足を前に出して移動する。蹴りを入れてしまうと予備動作が発生してしまうので、相手に動きを読まれてしまうし、その分一拍動作が遅れる。なので縮地では蹴りを入れずに、足は地面と水平に動かすのが基本だ。口で説明するには限界があるので、とにかくまずは見て覚えるのが一番だろうという事で、彼女の前で繰り返し縮地の動作をしてみせた。


 そんな感じで居残り練習を終えるころには、道場に残っているのは自分と広崎さん、小佐波さん達の計五人になっていた。居残り組だけで道場の拭き掃除を終えたところで、広崎さんが気になることを言った。


「ここ数日ちょっと祥子の様子が変なんですよ」その名前を聞いて心臓がドキリとする。

「どう変なの?」自分は平静を装って広崎さんに聞き返す。

「会って話したわけじゃあないんですけど、チャットで話しかけても返事が上の空というかなんか他の事を考えている感じなんですよね」実は先週の日曜日から、自分も色々な事を考えてしまって勉強に今一つ身が入らなかった。一回だけ田村さん以外との組み合わせで図書委員の当番もあった。彼女が幼馴染だと分かったからと言って、その行き帰りに田村さんのバイト先に立ち寄るのもなんとなくはばかられた。


「今度の金曜日に図書委員で一緒になるから、様子を見ておくよ」自分がそう言うと

「残念ながら恋する乙女とかそういう感じでもないんですよね」と広崎さんは首を斜めにかしげて、自分の方を見ながらそう言った。なんとなく自分の心の内を見透かされた様で、ドキッとした。


「若い人はいいですね」横から声がして、驚いてそちらを見るとまた草壁さんが立っていた。先週と違って稽古中にその姿は無かったので、稽古が終わる頃を見計らってやってきたのだろう。しかし道場に入ってくるその気配には全く気が付かなかった。自分もまだまだだなと思った。


「ちょっとこの後いいかしら」草壁さんが自分に向かってそう言ったのを聞いて

「先輩、私着替えたら帰りますね。また来週もよろしくお願いします」そう言って広崎さんは立ち去った。きっと気を使っての事だろうと思ったが、小佐波さん達三人にはその気配はない。草壁さんの姿を見て、むしろこちらの方に集まってきた。


「薄々小佐波さんにはばれていると思うので、一緒に聞いていただいても構いません。なんか隠し事をしている風にとられても嫌なので…」先週の様子からして、三人と草壁さんは旧知の仲らしい。草壁さんは続ける

「私は確かに文部科学大臣秘書ですが、他にも所属している組織があります。ユーナム財団はご存知でしょうか?」


 ユーナムというのは自分も聞いた事がある。同じ名前の奨学金があるし、国際的ななんかしらの組織というイメージがある。そこが一体自分に何の用があるのだろうか?とにかく自分が軽くうなずくと


「財団では、特殊な才能を持つ若者の発掘と育成にも力を入れています。茂木琢磨さん、あなたもその候補者の一人に上がっています」そう草壁さんが言った。

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