第33話 剣道十段

 トキネさんに言われて僕がダニエルと道場で手合わせをしたのが金曜日。それから間一日置いてすぐに日曜日になった。稽古は午後の一時半に始まるとの事だったので、午後一時に道場前でトキネさんとダニエルと待ち合わせをした。揃って玄関を入ると、そこには知った顔があった。岩崎師範代の他、はとこの茂木琢磨君と従妹の北原初江だ。琢磨君は十年以上ぶりだが、昔の面影がある結構なイケメンに成長していた。初江とは数年前に祖母の葬儀で会って以来だが、あまり久しぶりという感覚はない。


「え、長十郎兄ちゃんがここに来るなんてどういう風の吹き回し?」初江は僕の顔を見て驚いている。彼女とは小さいころから顔を合わせる機会も多くて、未だに名前に兄ちゃんをつけて僕を呼ぶ。


「まぁちょっと色々あってね」僕はそう言ってから、横にいるトキネさんとダニエルを紹介した。お互いを紹介し終わったところで、初音は僕を道場の隅の方に連れて行って

「小佐波さんて長十郎兄ちゃんのこれ?」と、小声で小指を立てて僕に聞いてきた。初江よ、それは昭和の表現だろう。そうか彼女ももう30を過ぎたんだなとその時改めて思った。言ったら殺されるので口には出さない。見た目だけならトキネさんより歳上だ。


「だったら良かったんだけどね」僕はそう言ってから

「ほら、後が詰まるから先に初江とトキネさんで着替えるんだろう」と初江の背中を押した。トキネさんに一度振られていることも、わざわざここで初江に言う必要は無いだろう。


 二人が着替えている間に、岩崎師範代の息子さんが現れた。名前は凛太郎君で中学生だそうだ。僕がこの道場によく顔を出していたのは彼と同じく中学生くらいまでだったろうか、高校生になってからはだいぶ疎遠になって、大学を出る時分にはもうすっかり来ることは無くなっていた。


 既に着替えを終えている岩崎師範代と琢磨君以外の、僕とダニエル、凛太郎君と他にも小学生ぐらいの男の子二人が用具庫に入って着替えをする。ダニエルは上下とも柔術用の道着だ。僕はと言えば10年以上ぶりに引っ張り出した道着と袴を身に着けた。金曜日に急遽決まった話なので、土曜日に慌てて洗濯した。凛太郎君と小学生二人も道着に袴姿だ。小学生の小さな袴姿は見ていてかわいい。


 自分の短槍はどこに行ったか分からなかったので、道場に置いてある予備の短槍を借りることになった。それはダニエルやトキネさんも一緒だ。剣道の場合、児童用や女性用で長さが何種類かあるが短槍は一種類だ。短いとはいっても槍なので突きの動作はいいとしても、子供の頃は振るのが結構きつかった。


 着替え終わって道場に戻ると、女の子が二人増えていた。年のころは女子高生ぐらいだろうか。琢磨君と話をしているが着替える様子はなく見学の様だった。一人は黒髪が長い清楚な女子高生という感じだが、もう一人は明るい髪の色でやや派手目な印象の女の子だった。琢磨君の知り合いだろうか、なかなか彼も隅に置けない様だ。


 全員が着替え終わると、道場の正面を向いて槍を横に置いて正座した。正面に向かって礼をしたあと、「お互いに礼」と言ってもう一礼した。横にいるダニエルはちょっと不思議そうな顔をして

「先生方に礼は無いんですね」とトキネさんに向かって言った。

「まぁ剣道や柔道とは違いますからね。ここは2回なんでしょう」とトキネさんは答えた。逆に僕は柔道や剣道では礼は3回するもんなんだという事を初めて知った。


 礼をしたあとに僕達三人は師範代に前に呼ばれて各々が自己紹介をした。その後素振りが始まったところで、僕と琢磨君でトキネさんとダニエルに槍の基本動作を教える。琢磨君は指導しながらも先ほどの二人の方をちらちらと見ている。『若いな』と僕が思ったその瞬間、トキネさんが素振りを一振りすると琢磨君が固まった。


「こんな感じでしょうか?」

素振りをした後トキネさんはニッコリと微笑みながらそう琢磨君に問いかけた。

「先ほど剣道の経験があるとおっしゃってましたが、有段者の方なんでしょうか?」琢磨君がトキネさんに聞き返す。

「剣道なら十段ですよ」トキネさんが答える。


 琢磨君はそれを聞いて一瞬固まる。そうして気を取り直して

「ははは、確か剣道は八段までしかないですよね」彼は笑ってそう返した。前に渋谷の事務所で草壁さんから、トキネさんが剣道十段と聞いたあと僕も調べてみた。確かに剣道の十段は2000年に審査が廃止されたが、もとより昭和49年から誰もいなかったらしい。そりゃトキネさんには最近の出来事かもしれないが、昭和49年と言えば50年近く前の話だ。大体八段昇段の最年少記録も46歳らしいので、これは冗談という方向にもっていかないとややこしい話になりそうだ。


「自称、喧嘩十段みたいな話ですよ」と、僕がフォローする。琢磨君から見えない位置でトキネさんに指で×マークを作って合図を送った。その場は一旦それで納まったが、次の突き素振りでもトキネさんの動きは凄かった。剣道はよく知らないが、きっと動作が似ているのだろう。槍の突き動作はたくさん見てきたので僕にも分かる。単槍が聞いた事のない音を出している。状況を読んで加減してくださいトキネさん、と心の内で叫んだ。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る