第31話 見学

 それから数日がたった日曜日。自分は昼食を済ませると、すぐに道場に行って着替えると床の雑巾がけを始めた。雑巾がけをしている間に師範代の次郎おじさんが現れた。


「琢磨が雑巾がけなんて珍しいな。今日後輩が見学に来るって言ってたけど性別を聞いてなかったな」次郎おじさんはニヤニヤしながらそう言った。


「あと今日から新たに三人が稽古に加わる。長十郎君は覚えてるかな。北原長十郎君」北原家というのは祖父の姉の嫁入り先で茂木家ともかかわりが深い。何人かは道場に出入りしているし面識はあったが、長十郎という名前には聞き覚えが無かった。


「記憶にないですね。北原姓という事は経験者なんですか?」

「以前はここにも来ていて、琢磨も小さいころに会ってるはずなんだけど覚えてないか…うーん…俺と彼の父親とは従兄弟にあたる。だからお前からするとはとこだな。その彼が他にもう二人を連れてくるんだよ」次郎おじさんが答える。

「一気に人数が増えますね。もう自分が顔を出す必要もないんじゃないですか?」そう言った自分に


「何言ってるんだよ。もうお前が指導する立場だろう。兄さんも戻ってこないし、このままだとこの道場はお前が受け継ぐ事になるんだぞ」次郎おじさんの小言が始まった。跡継ぎだなんだともうそんなものは時代遅れだろう。こんな道場を続けていたところで何も得るものはないし、自分の人生に余計な足枷を付けないでほしい。


 稽古の開始は一時半からだが、そろそろ門下生が集まり始めた。とはいっても集まるのは数人しかいない。先ほど名前の出た北原姓の初江さんと、自分から見ると従兄弟の凛太郎君。凛太郎君は師範代の次郎おじさんのお子さんで中学生だ。あとは近所の子供が二人だけ。そこに今日から稽古に参加するという長十郎さんとほかの二人も現れた。


 三人を見て驚いた。長十郎さんの顔はなんとなく見覚えがあったが、まぁそれはいいとしてもう一人の男はどこからどうみても外人で、身の丈は185cmくらいあるだろうか、自分よりも一まわり大きい。ガタイも鍛えられているのがシャツの上からでも分かる。次郎おじさんから紹介を受ける。名前はダニエル・クリスタルだそうだ。流暢な日本語で「私の事はダニエルと呼んでください」と彼は言った。


 もう一人は女性だった。小佐波時寝と名乗るその女性は20代前半ぐらいだろうか、若い女性と言えば初江さんも美容のために道場通いを続けていると言っていたので、そんな感じなんだろうか。更衣室兼用の用具庫はひとつなので、先に初江さんとその女性に着替えてもらう事にする。しかし出てきた小佐波さんのいで立ちには驚いた。下は普通に袴姿だが、上は真紅の道着を着ている。そんな色の道着は初めてみた。何か変わった三人組である。


 稽古前の準備でバタバタしているところに、田村さんと広崎さんも現れた。当然夏休みであり日曜日であるこの日は二人とも私服だった。田村さんの私服姿は初めてみたが、制服姿に比べるとそんなに派手さが感じられないのは予想外だった。ギャルと呼ばれる人たちとは程遠い。制限のある所で初めて細かいアレンジは利いてくるのかもしれないなと、どうでもいい事を思った。男性陣が着替えをしている間、次郎おじさんに二人を紹介する。おじさんはそうかそうかと頷きながらニヤニヤしていた。師範代としてその緩んだ表情はどうかと思う。

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