第10話 昔馴染み(その2)
トキネさんの昔馴染みが住んでいるというのは文京区だった。日本の最高学府である東京大学をはじめとして、いくつもの大学キャンパスがある場所だ。しかし目立った繁華街も無いので、東京に住んでいる人間でも用が無ければあまり来るようなところではないだろう。その洋館も人通りの少ない静かな場所にあった。とても古い造りではあるが山手線内にも関わらず、結構な広さの敷地に見えた。
重厚な鋳鉄の飾りがある門扉は見た目の古さとは裏腹に、門柱に付いていたインターホンの呼び出しボタンを押すと電動で開いた。敷地が広いとは言っても都内にしてはという話なので、玄関まではすぐに辿り着く。扉の前に立ってそこに付いている金物を鳴らした。確かドアノッカーとかいうやつだ。先ほどの電動門扉と違ってえらくレトロな仕掛けだ。
程なくして扉が内側に開いた。日本では内開きの玄関扉は珍しい。玄関が狭いし、家の中では靴を脱ぐ習慣があるからだろう。西欧では普通内開きだというのは聞いたことがる。
扉が開くと中には給仕服を着た一人の女性が立っていた。それなりに歳はいっている。トキネさんは顔なじみの様で、お久しぶりですと挨拶をしている。その女性がこちらへどうぞと奥の方へと案内してくれた。住居の割には靴を脱ぐ場所が無かった。なので靴のまま奥へと進む。昨日も渋谷の事務所ではこんな感じだったが、どこからも敵意と視線を感じないのは昨日とは違っていた。
玄関ホールを進み、奥にあった大きな木製の扉を開けると、こちらに背中を向けて一人の男が座っていた。男の視線の先には壁の下半分くらいに大きなモニターがびっしりと並んでいる。男はモニターの前に置かれた机の上で、キーボードとマウスを少し操作してから、座ったままで椅子をくるりと回転させてこちらへと振り向いた。
トキネさんは昔馴染みと言っていたが、男は想像よりずっと若くて茶色に染まった髪型も今どきの若者な感じだった。肌の色は女性のように白く、かなり痩せ気味で頬も少しコケている。その上でイケメンと言えばイケメンの部類に入る容姿をしている。
「トキネちゃん久しぶりだね。そろそろ来る頃かなと思ってたよ」そう言うと男は椅子から立ち上がってこちらの方へ歩いて来る。そうして僕の方を見て話を続ける。
「そちらが北原長十郎君だね。なるほど…確かに実物を見れば乃木さんの面影がある。トキネちゃんが連れまわしたくなるわけだ…」男がそう言うとトキネさんは彼の方へ歩み寄り、男の頭を平手で軽くパーンと叩いた。
「相変わらずバカなこと言ってるわね。そんなだからあんたは女にもてないのよ」二人のやり取りを見ればかなり親密な関係である事が分かる。男はひるまずに今度は草壁さんの方を見て話す。
「で、そちらの方が草壁マイさんですね。吉森大臣の秘書って設定でいいのかな?」
「現在の立場はそうです。あなたが三船豊水氏ですね。吉森からもお話しはかねがね伺っております。お会いできて光栄です」そう言って草壁さんは男に会釈した。それを見て僕もあわてて頭を下げた。しかしこの三船氏も草壁さんに引き続き、どうして僕の名前まで知ってるのだろうという疑問が沸いた。しかも乃木希典との血縁関係まで知られているとは…トキネさんが事前に話していたのだろうか?草壁さんに対しての”設定”という言葉も引っかかる。
「トキネちゃんの店の近くで吉森大臣が襲撃されたと聞いて、僕の方でも色々と調べてみたよ。今はネットで結構な情報が集まるからね。ま、結局は自分の目で確かめてみないとはっきりしないことも多いんだけど…」そう言って三船氏は草壁さんの方を意味ありげにチラリと見た。
「どうせあんたの事だから、喜田議員が襲撃を依頼した事務所に私が行ったことや、襲撃の実行犯らしき男を警察に引き渡したことも知ってるんでしょう。今だって連絡しないで来たのに米戸(こめと)さんが出迎えてくれたし」先ほどの家政婦さんは米戸さんというらしい。トキネさんは続ける
「で、喜田議員の後ろに誰がいるのかもご存知なのかしら?」そう聞くトキネさんに三船氏は何も答えずに、後ろを振り返って数歩進んでまた椅子に座った。再びモニターの方を向きなおすとキーボードとマウスを操作し始める。最後に三船氏がトンっとキーボードを叩くと、壁のモニターに二人の男の写真が大写しになった。雑踏の中で撮られたビデオ画像を静止画にして引き延ばした感じだが、解像度はさほど悪くない。
「手前の男の名前はダニエル・クリスタル。アメリカで今注目されている若手の実業家だよ。それで奥の大男がイリヤ・ミロノフ。ニューヨークで格闘術の道場を開いている。副業で要人の警護なんかもしているみたいだね」三船氏が説明する。
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