三船邸

第9話 昔馴染み(その1)

 翌日また、開店時間に『乃木坂』に行くと、中には既に草壁さんの姿があった。トキネさんは草壁さんが持ってきたであろう資料を眺めている。昨日と同じく店内にあるテレビの電源はオンになっている。吉森大臣襲撃事件の真犯人が逮捕されたという話はまだどこも報道していないようだ。


 昨日はあのあとすぐに警官が店に駆けつけて、襲撃事件の実行犯らしき男を連行していった。男は発砲する前に草壁さんとトキネさんに取り押さえられていたので、警察に連行された後に店に来た捜査官による現場検証はすぐに終わった。


 男は自分では動ける状態ではなかったので、担架に乗せられて運ばれていった。警察病院に送られたと思われる。逮捕場所が喫茶店『乃木坂』だと知れると世間がうるさいので、そのあたりは伏せるようにとトキネさんがどこかに電話して手をまわしていた。僕も口外無用と口止めされた。確かにライターではあるが、そんな気の利いた記事を書けるような所と仕事はしていないので、心配には及ばないのだが…。


 僕が店に入ったときに「いらっしゃいませ」と言っただけで、書類から目を離さないトキネさんだったが、テレビで緊急速報の音が流れるとそちらに目線を移した。僕と草壁さんもテレビを見る。テロップで速報が流れた後、アナウンサーが更に詳細を口頭で述べている。

「今朝ほど衆議院議員、喜田淳太郎氏が遺体で発見されました。滞在先のビルの屋上から転落したと思われます。事件性があるか自殺なのかは現在警察が捜査中です」


 それを聞いて三人はしばらく黙り込んでしまった。沈黙を破ったのはトキネさんだった。

「手際がいいですね」

そうしてまた書類をざっと見て

「…この子…喜田議員にも家族や、もしかしたら親御さんもいるでしょうに…」それだけ言って今度はカウンターに入ってコーヒーを入れ始めた。僕は草壁さんと奥のテーブルに腰かけて、黙ってコーヒーが入るのを待った。いや、まだ注文をしていなかったが、ソーダ水以外はコーヒーしかないのでそこは分かりやすい。


 程なくコーヒーのいい香りが、店内に広がる。トキネさんは入れたてのコーヒーを持ってきて、トレーからテーブルに置くと自分も空いてる椅子に腰かけた。


「だめだ。腹が立って仕方がない」トキネさんは右手でこぶしを握ると、テーブルを『ドンッ』と軽く叩いた。叩いた手はテーブルの上にそのまま置いて、僕と草壁さんの方を見て言った。


「相手はここが分かっています。草壁さんも北原さんも顔が割れているかもしれません。当面は来ない方がいいでしょう」

「当分店は閉めるという事ですか?」僕がトキネさんに聞く。

「そうですね、お客さんに迷惑がかかってもいけないし…幸い明日金曜日から3日間は店休日ですから、その間にケリがつかなければの話です。とりあえず今日もこれで店仕舞いします」そういうとトキネさんはカウンター内に戻り、片づけを始めた。


「この後どうされるんですか?」草壁さんは、あわててコーヒーを数口飲んでから、カウンター越しにトキネさんに聞く。

「昨日なんとなく予想はつくと言ったと思います。とりあえず昔馴染みに事の次第を知ってそうな人間がいるので会ってきます」そう答えるトキネさんに草壁さんが返す。


「私も同行してよろしいでしょうか?全く無関係というわけではありませんから…あと北原さんも別行動するよりも、小佐波さんの傍にいた方が安全という気がします」そう言ってから草壁さんは僕の方を見て

「どうですか?北原さん」と聞いてきた。


 昨日のような状況にはあまり遭遇したくないのは確かだが、ここでいきなり蚊帳の外に出されるというのも寂しい話だ。

「こう見えて、普通の人間よりは腕に覚えがあるつもりです。格闘戦になったらあまり役には立たないとは思いますが、足手まといにならないようにはがんばります」昨日刃物を見て足がすくんでしまったことは黙っておこう。


「さすがは乃木先輩の血筋ですね。昨日の現場を見ても逃げ出さないというのはなかなかの度胸です。まぁ別に今から殴り込みに行くわけでもないですからね」現場というのはどっちのことだろう。ビジュアル的には事務所内のトキネさんの姿の方がトラウマだ。

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