第6話 化け狐(その2)
三人は帰りもタクシーに同乗していた。あれほど血まみれになった部屋からの帰りなのに、誰にも血のシミ一つついていなかった。奥にいた男は、生爪を剥がすまでもなくあの後すぐに口を割った。そりゃそうだろうと思う。口から出たのは聞き覚えのある吉森大臣の政敵の名前だった。
「さすがは『化け狐』ですね」
草壁さんが興奮気味に発言した。
「『化け狐』?」
そう聞く僕に
「日露戦争の時に、日本刀を持って暴れまわる赤い軍服を着た日本兵がいて、ロシア軍からは『化け狐』って呼ばれて恐れられていたそうです」
草壁さんが凄い話をしてくれる。
「もうそんな100年以上も前の話やめてください。照れるでしょう。あの時は私もまだ若くて血の気も多かったから…。今日は一人も殺してないでしょう?ちゃんと太い動脈は避けてますよ」
トキネさん、そこは照れるところなんですか?
僕も薄々は気が付いていた。剣道も柔道も最高段位になるには相当な年数の修練が必要だろう。どんな理屈なのかは分からないけども、彼女が171歳というのはきっと本当なのだろう。
僕がそんなことを考えていたら、草壁さんのスマホが鳴った。彼女はすぐに応答すると
「吉森大臣からです」
と言ってスマホをトキネさんに渡した。
トキネさんはしばらく会話してから「はいはいはい」と沢山のはいと共に電話を切った。
「草壁さん、あなたなんてテルちゃんに報告したの?」
トキネさんは不満気に草壁さんに聞く。
「襲撃の依頼者の名前を報告しただけです。あと、小佐波さんが襲撃犯の関係組織と思われる場所に行って、8人を短刀で刺して病院送りにした旨概略を加えてメールしておきました」
草壁さんは嘘は言っていない。
「あとは自分がやるから、大婆(おおばあ)はもう顔を突っ込むなってテルちゃんに言われましたよ。ここからが面白そうなのに……」
トキネさんは少し残念そうに話した。自分の事を大婆と呼んだことには気が付いていない様だ。
「しかしあれだけ暴れたら、警察も黙ってないですよね?」
僕は普通の良識ある一般人として思った事をそのまま言ってみた。
「あんな裏仕事している連中が、若い女一人にやられたなんて言えるわけないでしょう?大体あの場所教えてくれたの警視総監だし…」
本当にトキネさんは底が知れない。では彼女が見せた別の顔に僕がひくかといえば、それは更なる魅力にしか映らなかった。恋心とは誠にやっかいなものだと思った。
「一ついいですかね?トキネさんのスマホの待ち受け画面、つまりは祖母の残した写真に写っていた男性は誰だったんでしょうか?」
タクシーの助手席に座っていた僕は、身を乗り出して後部座席の方を振り返ってそう聞いた。
「ああ、分かりませんでした?あれは乃木希典さんです。私の初恋の人」
もう驚くのはやめよう。乃木希典と言えば言わずと知れた乃木将軍の事だろう。教科書にも載っているよく知られた写真より、全然若くて全く考えが及ばなかった。
「あの人放蕩癖があって、若い頃随分と遊んでたんですよ。その頃私は両国の料亭で働いていたんです。そこで一緒にキャーキャー言ってたのが茂木静子さんでした。そうね…北原さんのおばあちゃんのおばあちゃんかひいおばあちゃんくらいですかね。結局乃木先輩は別の女性と結婚したけど、後で奥さんの名前を静子に改名させるあたり、今なら最低の男とか言われるんでしょうね」
そう言ってからトキネさんは視線を上の方に向けて、何かを思い出しているような仕草をする。
「でも乃木先輩には今時の男にはない色気みたいなものがあったんですよ。…北原さんにもちょっとだけその面影がありますよ」
トキネさんは話しながら僕の顔をじっと見つめている。
「?それって茂木静子は乃木将軍と…」
僕にはなんとなく分かってしまった。
「もっと知りたければ自分で調べてください」
トキネさんはそう言うなりそっぽを向いてしまった。
「もしかしてそれで喫茶店の名前が『乃木坂』なんですか?」
きっと僕の発言は図星だったのだろう。その質問にトキネさんは、そっぽを向いたまま頬を赤らめるだけで答えてはくれなかった。なんだろう、ちょっと悔しい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます