第5話 化け狐(その1)
隣で中の様子を伺っていたのだろう。先ほど通ってきた部屋に続く扉が開いて男が3人中に入ってきた。立ち上がったトキネさんの方に向かって歩いてくる。あっけにとられて呆然としている僕に草壁さんが言う。
「私たちは邪魔にならないように隅の方に避けておきましょう」
彼女に促されるまま、二人で部屋の隅の方に移動していると、ドカンという音がして後ろを振り返った。見ると男が一人床の上に転がっていた。更にもう一人がトキネさんに近づいてくるのが見えた。男の手がトキネさんの体に触れるか触れないかの瞬間、男の体は宙を舞う。
「見事な空気投げですね」
草壁さんが僕の横で興奮気味につぶやく。
僕も空気投げという言葉は聞いたことがあるが、もう少し袖をとるなり腕を使った投げ方だと思っていた。目の前で繰り出された技は、本当に触れるか触れないかのうちに相手を投げ飛ばすもので、名前の通りの技だった。
「北原さん、柔道の紅帯って知ってますか?」
横にいる草壁さんが言った。
「漫画かなんかで読んだことがあります。確か柔道の最高段位で十段ですよね」
「現在数人いますが、彼女もその一人です。まぁ十段までしかないからそうだともいえますが…」
なにか草壁さんは先ほどから嬉しそうだ。
そんな会話を二言三言かわしているうちに、部屋に入ってきた三人の男は全員床に転がった状態になった。うごめいていてすぐには立ち上がれそうもない。
「わざと受け身をとれないよう投げてますね。えげつない」
草壁さんがまた嬉しそうに言う。
間髪入れずにまた数人が部屋に入ってきた。今度はトキネさんは待つのではなく、彼らの方に腰を落とした姿勢で歩み寄ると、すれ違いざま目にもとまらぬ速さで次々と投げ飛ばして行った。人間はこんなに速く動けるものなのかというのが僕の正直な感想だった。
こうなってくると、相手が次にどうするか相場は知れている…人質だ。男のうちの一人が短刀を持ってこちらに向かってきた。刃物を持った人間に迫られるのはもちろん人生で初めてだ。逃げようにもすぐには足がすくんで動かない。男が目と鼻の先まで近づいてきた時に、今度は草壁さんが動いた。素早く短刀を持つ男の手首を握ったかと思えば後ろに捻り上げる。たまらず男は短刀を床に落とす。
「その短刀を小佐波さんに投げてください」
良く分からないが、草壁さんに言われるままに短刀をトキネさんに向かって投げた。しかしそんなものは投げたことが無いので、柄の部分と刃の部分が回転してしまった。これでは僕がトキネさんを攻撃しているようだと思ったが、かなりあさっての方向に飛んでしまったので当たる心配はなさそうだ。いや、それでは意味がない。
しかし次の瞬間トキネさんは素早く短刀の行きつくであろう先に移動し、器用に柄の部分を持って受け止めた。最初に投げ飛ばされた男三人は起き上がりかけていた。
「投げ飛ばしたぐらいじゃそうでしょうね」
トキネさんはそう言うなり、ようやく立ち上がった男たちの方へ向かっていく。今度は彼らを投げるのではなく短刀で刺していく。腹や上半身ではなく、膝から上の太ももの正面側だ。野太い男の悲鳴が鳴り響く。刺さった刃物は抜かない限りは出血も抑えられるが、刺しては抜いてを繰り返しているので、そうはいかない。ズボンが邪魔して血しぶきこそ起こらないものの、本能的に止血の為に傷口を手で抑えて、男たちはもれなく全員が動けなくなった。
「剣道の最高段位も十段なんですよ。もっとも誰もとれる人がいなくて、九段から上は2000年に廃止されたので、今では彼女一人ですけどね」
やはり草壁さんはちょっとうれしそうだ。そうして聞いてもいないのに解説を続けてくれた。
「まぁ、あれは剣術より短刀を使う小具足(こぐそく)という武術に近いので柔術の一種ともいえますね」この血なまぐさい状況で、冷静に話す草壁さんも結構怖い。そうしてよく見ると、彼女は日本人離れした端正な顔立ちをしている。足がすくんで動けないほどの状況なのに何を考えているんだろうと僕は自分に呆れた。
こうなると更にお決まりの展開だった。机に座っていた男は引き出しから銃を取り出して、トキネさんに向かって構える。構えながらも手は震えている。
「おいおい、今の動き見てそんなもので本当に的に当てられると思ってるのかい?銃を向けるって事は、死んでもいい覚悟ができたと受け取っていいんだね?」
トキネさんは全く動じることもなく、薄笑いを浮かべながら男を睨みつけている。手にもった短刀からは血が滴っている。トキネさんが一歩男に近づくと、すぐに男は机の上に銃を置いて両腕を上に上げた。
「で、依頼者は誰なんだい?」
男の頬を血まみれの短刀でピタピタとはたきながら、そう聞いたトキネさんに男は答える。
「勘弁してください。それは言えません」
「おお、そこは男を見せるねぇ」
トキネさんはそう言ってからこちらの方を振り向いた。
「草壁さんちょっとこいつ抑えててくれるかな。話すまで手の生爪一枚ずつ剝がしていくから。それでもしゃべらないなら、指を一本ずつ落としていく。で、次は足の指ね」
そこまで言ってからトキネさんは床で唸っている男達にも声をかける。
「あ、出血多量で死にそうな人は早く出てってね。ここで死なれると面倒だから」
その目は笑っていなかった。トキネさん、ちょっと怖すぎです。
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