第4話 挨拶

 また例の冗談の続きだと笑う事もできるが、草壁さんは特に否定する風でもない。玄孫と言えば孫の孫だ。本当にトキネさんが171歳なら、25歳で子供を産めばその子は145歳くらい…孫で120歳ぐらい。その孫だと70歳ぐらいかそれ以下。恐ろしいほど計算が合ってしまう。にわかには信じがたい話だ。というか世間一般の言い方だと、トキネさんは子持ちバツイチなのか…、いやそんなレベルの話ではないかと、色々な思いが頭の中を駆け巡った。しかしその真偽は本題とは違う話なので、僕はそれ以上聞くことはしなかった。その場は遠い親戚ぐらいに脳内変換しておくことにした。


 トキネさんは特に着替えるわけでもなく、エプロンをとったあとは肩に小ぶりなトートバッグを引っ掛けて、近所にちょっと買い物に行くような感じで店を出た。草壁さんは上下黒のスーツ姿だ。下は白いシャツでかかとの低いパンプスを履いている。手ぶらではなくA4の書類ぐらいは入るような、ショルダーバッグを手に持っている。

 僕はと言えばそんなややこしい場所に行くつもりはもちろんなかったので、いつもの様に下はチノパンで上は厚めのダンガリーシャツだ。上着は着てきていない。ノートパソコンも入る大きめの肩がけバッグを斜め掛けして二人のあとを追う。


 目的地は渋谷という事で、トキネさんは永田町駅から半蔵門線で移動すると言ったが、経費で処理しますと草壁さんが言うので、3人で青山通りをタクシーで移動した。東京の道路はいつでもそれなりに交通量が多いので、移動には20分ぐらいかかった。目的地付近の太い通りでタクシーを降りて、やや細い路地を入っていくと古い雑居ビルがあった。


 あまりしっかりと補修も管理もなされていない様で、築年数は外観からすれば50年以上経っていてもおかしくない感じだ。渋谷駅界隈は再開発が進んで中心部には新しい建物が立ち並ぶが、少し歩けばこういう古いビルはまだ結構残っている。もちろん再開発の波はどんどん広がっているので、もう数十年も過ぎればこういう風景も無くなっていくのだろう。


 トキネさんはビルの名前を確認してから中に入った。1階のエントランスホール…ホールと呼べるほど広くはないが、4畳半ぐらいはあるその場所には案内表示もあった。1フロアには1~2テナントが入っている。築年数が古い割には小さなエレベーターもついていたので、トキネさんの後について3人で乗り込んだ。目的の場所は4階らしい。


 4階でエレベーターを降りると1階と同じく小さなホールがあって、右手に階段がある他は、テナント出入り口の扉が一つあるだけだった。その扉は鉄製で特に看板も掲げられてはいない。


「昔のヤクザ事務所とかはもっと分かりやすかったんですけどね。まぁそういった組織とも違うみたいだけど」そう言ってトキネさんは何の躊躇もなく扉横の壁についていたインターホンの呼び出しボタンを押した。一時空けて中から応答する人間の声が聞こえてきた。


「どちら様でしょうか?」受付にしては野太い男の声がした。

「昨日の襲撃の件でちょっと面白いネタがあるんですが、中に入れていただけますでしょうか?」そういうトキネさんの言葉に、インタホンの向こう側はちょっとざわついている。が、数分と待たずして中から返答があった。

「了解しました。お入りください」そう言うと同時に鉄の扉が開いた。中から扉を開けてくれたのは若い男性で、こちらへどうぞと言って手を奥に向けて招き入れてくれた。


 部屋の中にはスチール製の味気ない事務机がいくつか乱雑に並べられていて、なんというかカジュアルな服装の人間とスーツ姿の男たちが混ざって何人か座っていて、こちらの方を注視している。やくざ者という感じではないが、僕が普段あまり接することのないような方々だなと感じた。


「草壁さん。大丈夫なんですかね?」ちょっと今まで過ごしてきた人生には無かったような場面に自分が立っているような不安を覚えて、僕は草壁さんに声を掛けた。トキネさんは案内されるままにどんどん奥に進んでいく。


「一応北原さんは私から離れないようにしていてくださいね」草壁さんもまるで動じている様子はない。一国の大臣秘書というのはこうも肝が据わっているものかと感心してしまった。僕はと言えば震えこそしていないものの、来るんじゃなかったと心の中には後悔の声が鳴り響いていた。


 案内されるまま進むと、部屋の奥にも扉があって、そこから更に中に通された。扉の先の部屋は思ったよりも広かった。中央にはやや大きな打ち合わせテーブルがあって、奥には先ほどの事務机とは違い高そうな大きな木製の机が置かれている。机の向こうには一人の男が座っていた。案内してくれた男に促されるまま、三人とも打ち合わせテーブルの席に着くと、奥に座っている男はこちらの方を向いて話しかけてきた。


「それで今日はどういったご用向きでしょうか?」

「昨日私の店の近所で現役大臣が銃で襲撃されました。こちらの関係者だと思うので実行犯には自首させて、誰の依頼だったのかも教えていただけますでしょうか?」

 トキネさん…それは単刀直入すぎるでしょう…草壁さんもトキネさんを見て固まっている。


「はっはっは。若いお嬢さんが一体何の用かと思えば驚きました。私には何のことだかさっぱり…」男はそういって首を横に振った。そりゃそうでしょうと僕も思った。


 次の瞬間何の前触れもなくトキネさんが切れた。


「あんな子供に責任押し付けて、自分は高みの見物とか金玉ついてんのかこのふにゃちん野郎。日本男児ともあろうものが最近てめぇみたいなやつばっかりだな!!」立ち上がってそう叫ぶと目の前のテーブルを蹴飛ばした。僕は一瞬何が何だか分からなかった。見てはいけないものを見てしまった様な気がした。


「ふざけてんのかてめぇ!!」男も立ち上がって叫ぶ。

「文句があるなら100人でも200人でもかかってこいや!!てめぇらみてーなやつが何人来ようがへの突っ張りにもならねーよ!」挨拶ってお礼参りだったんですねトキネさん。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る