第2話
「お帰りなさいませ、ご主人様♡」
D組のメイド喫茶の前で俺は、目を瞑り、天を仰いだ。入店する前に、メイド喫茶とはいかなるものであるかと、視察のつもりで軽く覗き込んだだけだった。
そこにいたのは、膝丈のメイド服を着て、ふりふりとしたレースがついた黒いリボンを頭に着けた、可愛い可愛い俺のハムスターである。
えっ、これ無料のやつなのか?
慌てて教室前の看板を見る。指名料、席料、延長料など、プラス料金の記載がない。飲食物の値段しか書いていない。高校生の文化祭なのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。
おい、ちょっと待て。そこの野球部! そいつは俺の専属メイドだ近づくな! 鼻の下を伸ばすんじゃない! 厭らしい目で見るな! クソっ、無料の恐ろしいところはこれだ。せめて指名料制度があれば、わずかにでも抑止力になったはずなのに。
そりゃあそこにいる全メイドの中でもダントツに
「たのもう!」
少々道場破りっぽくなってしまったが、気にしない。俺は元々声がデカい方だが、試合中並みの声量で入店をアピールしてやった。案の定――、
「な、ななななな……!」
可愛い。
俺に気付いたハムスターが、トレイを胸に抱いたまま、真っ赤な顔で震えている。
「なっ、何で」
まぁ当然の反応だろう。那由多が持ってるシフト表は古いものだから、この時間、俺はここに来られないはずだったのだ。
シャカシャカシャカとこちらへ走り寄り、小さな声で抗議しようとする可愛いメイドさんを頭の天辺からつま先までじっくりと見つめ、「会いに来た」とささやく。その言葉で観念したらしい。ん゛っ、と咳払いをした後、恐らくもう何度もしているのだろう慣れた手付きでスカートをつまみ上げた。
「お帰りなさいませ、ご主人様♡」
「ただいま帰ったぞぉ! 可愛いメイドに出迎えられて嬉しいな!」
にっこりと笑みを貼り付けているが、口の端がぷるぷると震えている。胸元には花の形の名札があり、そこには『なーちゃん』とある。成る程そう来たか。ここでは那由多ではなく『なーちゃん』なんだな。理解した。
「こちらのお席へおかけくださいませ。ご主人様、お食事は何になさいますか?」
いやはや、俺は那由多を舐めていた。ただの可愛い可愛い
ならばこちらも!
「がおがおオムライスと、胸きゅんメロンソーダをいただこう!」
「メロンソーダは先にお持ちいたしますか?」
「いや、腹が減ってもう動けん! オムライスを先に食べたいな!」
この二品がどちらもオプション付きメニューであることはチェック済みだ。オムライスには、メイドさんからの強化魔法、メロンソーダの方にはメイドさんとのツーショット撮影が出来るのだという。
やってもらおう。
普段の那由多なら、ツーショットくらいは吝かでは――というか、写真部の意地でライティングから何から完璧にこだわった撮影をしてくれるだろうが、強化魔法とやらに関しては確実に渋る。けれどここ、この舞台では、彼は『なーちゃん』なのである。頑張れ那由多! 俺が見ているから存分に役になりきれ!
ほどなくして出来上がったらしい、見事なくまちゃんオムライスを前に、那由多は大きく息を吸った。
「勝利を呼ぶおまじない、なーちゃんと一緒に唱えてくれますか?」
半ばヤケクソになっているようにも見えるが、ちょっと恥じらっているその顔もまた大変可愛らしい。すごいな、何やっても可愛いとかもう才能だろこれは。
「もちろんだ! なーちゃん、俺の準備はバッチリだぞぅ!」
「パワーまぁーんタン! マッスルボディーにぃ~、なっちゃえぇーっ!」
手でハートマークを作って、胸元でくるりと一周。
これがお前の魔法だと言うのなら、俺はお望み通りのマッスルボディになってやろう。だけど那由多、お前最初は俺のこと、デカくて怖いとか言ってなかったか? これ以上デカくなっても良いのか? まぁ良いや。
食後はもちろんメロンソーダの特典であるツーショット撮影である。さすがは写真部、撮影者にかなり細かく注文をしていたが、俺としては、構図やらライティングやらは正直どうでも良い。よく考えたら、俺達は二人並んで写真を撮ったことがないのだ。せいぜい、何かしらのイベントのスナップである。これはもう家宝にするしかない。
本当はスマホのホーム画面に設定して常に愛でていたいところではあるが、俺達の関係を秘密にしている以上、那由多は絶対に嫌がるだろう。俺は可愛い恋人の嫌がることはしたくないし、それよりも目の前にいる可愛い恋人の方を直に可愛がった方が良いに決まってる。那由多は口でこそ強がるものの、寂しがり屋だし焼きもち焼きなのだ。
そんなこんなで文化祭も終わり、後夜祭の開会式において発表された今年のMVPは、色んな意味で大層盛り上がったらしい二年C組の演劇『白雪姫』より、飛び入り参加の美しい姫と、それから、これはもう当然の結果と言う他ないが、二年D組のメイド喫茶の助っ人であるそれはそれは可愛らしいメイドさんを輩出した我が二年A組であった。
何度も言うように、この文化祭には勝ち負けであるとか、それによる賞金やペナルティなどというものは存在しない。そこにあるのはただただ、成功した、大いに盛り上がったという達成感、充実感のみである。とはいえ、我がA組のその二名は、しばらくの間、この話題でいじられることになるのだろうが。
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