フリーソロ・クライミングと天使
藤泉都理
フリーソロ・クライミングと天使
「おまえ、どうしたんだ?こんな所で?」
天使のような微笑みを向けたかと思えば、絶壁のちょっとした出っ張りで怪我を癒していた鳥に変化中の天使の俺を腰に携えるポーチに入れると、まるで舞い飛ぶように絶壁を降り、俺を地上へと迎え入れた。
フリーソロ・クライミング。
身体を支えるロープや安全装置を一切使わずに山や絶壁を登る、死と隣り合わせの危険極まりない活動をする彼女に、不覚にも心を奪われてしまった。
無断で地上に降りて、なおかつ変化の術まで使い、あまつさえ人間に触れられてしまった俺は、十年間の謹慎処分を明けて今。今度はきちんと許可をもらい、地上へと降り立った。
彼女に会う為に。
「あ~あ。相も変わらずやってるな」
あちらこちらと世界中の危険な絶壁を飛び回り、ようやく見つけ出した。
十年前と変わらずに、舞い飛ぶように絶壁を登って、降りる彼女を。
変化の術の使用は認められなかったので、彼女に俺の姿は見えない。
「あ~あ。危ないことをしているはずなのになあ。どうしてあんたを見ていても、危なっかしさが全然ないんだろうね」
俺は彼女の近くに寄って話した。
「前世が鳥、じゃないな。鹿、かな。豹、かな。白鹿、白豹。力強くて、しなやかで、美しくて、孤高の存在」
暫く彼女を眺めていたが、帰還を知らせるベルが鳴ったので、天国へと戻った。
また来るよと言って。
どうしてだろうか。
彼女の登る姿は、降る姿は脳裏に焼き付いているはずなのに。
様々な苦労を重ねてまで、どうして地上へ降って彼女に会いに行くのだろうか。
「自ら死地に赴くあの女性を救済してあげなさい。今日にでも、あの女性は天に召すでしょうから」
大天使はそう言って、俺が地上へ降る許可を度々くれたが。
大天使の予言は、今のところことごとく覆されている。
そりゃあそうだ。
心中で俺は大天使にあっかんべーをした。
彼女が滑落して死ぬなんてあり得ないんだよ。
「おまえは十五年前の青い鳥か?」
「ああ、そうだよ」
一度。たった一度だけ。肝が冷えた出来事があった。
大天使の予言通り、彼女が絶壁からまっさかさまに落ちて、命の危機にさらされたのだ。
俺は血に濡れた彼女に近づいた。
恐る恐ると。
ハヤクハヤクと心は急くのに、身体はのろのろとしか動かない。
彼女は微笑んでいた。初めて会った時と変わらずに天使のような笑みだった。
うっすらと開けられた目は、確かに俺を捉えていた。
瀕死の状態だから、天使である俺の姿が見えたのだ。
どうして。
疑問が渦巻く。
どうして滑落した。
どうして俺があの時の青い鳥だってわかったのか。
どうして、どうしてどうして。
死なないでと。
俺はこんなにも泣きじゃくっているのか。
胸を苦しめているのか。
喉を、目を熱くさせているのか。
死なないで。
死ぬな死ぬなと。
頑是ない子どものように禁忌の言葉を繰り返すのか。
彼女は笑った。
死なないと笑った。
また絶壁を登って降るんだ。
もしも永らえることができたのならば、もう危険なことは止めろ。
天使として。
俺は忠告すべきだった。
のに。
「きっと、今日も登って、降ってんだろうな」
死ぬなと禁忌の言葉を口にしてしまった俺は今、五十年の謹慎処分を自宅で受けながら、鉄格子越しに白雲を見上げて微笑んだ。
(2023.3.24)
フリーソロ・クライミングと天使 藤泉都理 @fujitori
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