第2章

第1話

 私には前世の記憶がある。

 

 それが前世だと理解するには時間がかかったけれど、それに気がついたのは八歳の頃。


 ふとした瞬間に薄汚い壁が輝くような白い壁に見えたり、駆け寄ってきた小さな子どもが美少年や美少女に見えたり。

 最初は錯覚だと思ったけれど、一年以上経っても似たような風景、同じ子どもたちが浮かんだとき、自分には妄想癖があるのだと思った。


 しかも脳内お花畑の夢見る夢子ちゃんがみゆような、「私はお姫様」タイプの妄想癖。

 妄想は願望ともいうから、自分にお姫様願望があるという結論に達した夜、恥ずかしくて眠れなかった。


 この結論が出る直前まで、私の自己評価は質実剛健、地に足がしっかりついたタイプ。

 周囲からも「しっかりしているわね」と言われていたし、そんな的はずれな評価をしていると欠片も思っていなかった。


 それがゆるっで、ふわっ。

 恥ずかしくてしばらく周囲と距離を置いた。


 幸い周囲には子供の成長過程によくある「難しい時期」と判断されたようで適度に放っておかれたが、完全には放っておいてもらえないのが子ども。

 それが孤児院で養育されている子どもならなおさらで、集団で社会生活を営んでいる以上は引きこもることは許されない。

 誰かに傷つけられたとか、何かに対する恐怖に基づいた引きこもりではないのだからなおさら、「隠れ脳内お花畑が恥ずかしい」という理由で引き籠り続けるのは自分の矜持プライドが許さなかった。


 年齢を重ねたことで許容量心の余裕が増えたのか、妄想と適度に付き合いながら現実の世界を過ごした。

 十六歳になった私は孤児院を出て、一人暮らしを始めた。

 いままでは全て他の子どもと共有していたから、『自分のもの』に囲まれた生活に幸せを感じたし、いま現在も満足している。


 あれが私の想像や妄想ではなく、前世の記憶だと知ったのは本当に偶然。

 気持ちよく酔った夜に端末をいじっていたときの広告で、なんかのゲームの広告だったか、「自分は何者なのか」という問いを見たとき。


 その問いが鍵だったように、頭の中にいろいろなことが浮かんで……


『それで?』

『終わり』

『えー』


 不満満載の音に苦笑する。


『作り話に何を期待していたの?』

前世の記憶チートを使って無双すること』


 隣で優雅にお酒を飲む金色の鳥の頭に人間の体をした人物に笑う。

 ここはメタバース『オルビタリス』の中にある酒場『バードゲージ』で、偶然隣同士の席になったこの鳥人間と話し始めたら意気投合して、いまにいたる。


『そういうのを聞きたいならライトノベルを読んだら?』


 自分の前世、アウレンティの悪女『クラウディア』だったときのことを思い出しても「そうか」くらいしか思わない。

 転生を願うほどのこと、例えばよく聞く未練めいたものは思い当たらない。


 チートめいた能力もなにもない。

 クラウディアとして生きたのはいまから五百年前のこの国で、異世界に転生したなら知識でチートできたかもしれないけれど、魔法も科学も発達したアウレンティでは「ただの歴史好き」でしかない。



『あー、楽しかった。前世でクラウディア王女だったっていう人にはたくさん会ったけれど、あなたのが一番好きかな』

『そんなにいるんだ、元クラウディア。悪女なのに』

『悪女だろうが聖女だろうが、五百年経ってもこうして語られるほど歴史に残るすごい人だったということじゃない。……私はそんなクラウディア様が大好きなの』


 鳥人間の作り物めいた造形の中で、唯一の現実的な生を感じさせる琥珀色の目が煌めく。

 金色の鳥の顔が私を見る。


『その瞳は自前?』


 このオルビタリスではどんな姿にでもなれるが、生体認証に使われる眼球はそのままコピーされて登録されている。

 仮想空間と現実の世界で唯一同じものと言えるため、瞳をそのまま利用している人は多く、『自前』と表現される。


『ええ、変える必要性もないし』

『そう……今日は私たちのハッピーデーかもしれないわ』


 私たちとは誰だろうと思ったとき、金色を多用化している鳥人間の隣に、それとは真逆の黒い鎧を着た首のない人が立つ。


『こんばんは、【沈黙の金糸雀カナリア】』

『こんばんは、【恋する首なし騎士デュラハン】』


 知人らしい二人が言葉を交わし合う姿は、まるで神話の挿し絵のようだ。

 そして私はこの鳥人間が、【沈黙の金糸雀】の二つ名をもつオルビタリスの有名人と知る。

 よく喋って、全然沈黙なんて感じじゃないから、ファンのコスプレだと思っていた。


「君の、友人か?」


 首なし騎士の言葉と、その胸がこっちを向いていることから、騎士のいう『友人』が自分のことだと理解する。


「いいえ。隣の席だったので、お酒を飲みながら少し話していただけです。飲み終えたので、よければこの席をどうぞ」


 いい一期一会だったと席を立とうとしたとき、金糸雀が手をとって引き止める。


 こういう場の、『来る者拒まず、去る者追わず』なルールを逸脱する手に、普段ならイラッとしただろうが、不思議といらつかなかった。

 それだけ楽しい時間が過ごせて、私にも多少の未練があったのかもしれない。


「歌いたい気分なの、よければ聞いていって。この人には私の席を譲るから」

「分かった」


 金糸雀の生歌となればプレミア級の価値。

 せっかくの一期一会だ、聞かないという選択はない。

 私は再び腰をおろして、お代わりを注文する。


「おい。急に呼び出しておいて、俺にそんな時間は……」

「いいじゃない、何時間も歌うわけじゃないし。あんた、ここに座らなきゃ一生後悔するわよ」


 そうだ、そうだ。

 金糸雀のコンサートチケットを買うのは宝くじに当たるより難しいと言われているのに。


「……わかったよ」


 首なし騎士が折れて、首がないから表情分からないけれど、なんとなく渋々といった感じで隣の席に座る。

 さっきまで華奢な金糸雀と隣り合っていたから、鎧の圧迫感がすごい。


「挨拶!」


「……どうも」

「こんばんは」


 この二人、第一印象は恋人が親しい友人だったけれど、どうやら違うらしい。

 大きな首なし騎士は、この小柄な金糸雀に頭が上がらないようだ。

 「これだから、いまどきの若いものは」と去っていく金糸雀の後姿に、思ったよりも年上かもしれないと感じた。


 ステージに向かった金糸雀は、慣れた手付きで機械を操作して、中央のマイクの先端を指で突く。

 コンコンッて聞こえる機械の打音に、店内の人たちの顔がステージに向く。


 金糸雀の口が開いて、音が紡がれる。

 演奏はない、独特の抑揚でまるで歌のようだが、これは歌ではない。

 五百年前でも古語だったから、いまでは学者くらいしか知らない言葉だろう。


 あの頃、社交界では古語の詩にリズムをつけて朗読するのが流行っていた。

 私が元クラウディアといったことからの選曲なのだろうが、金糸雀が紡ぐ詩が記憶の琴線に触れる。

 有名な詩なのかもしれない。

 

『赤きチはここで終わり、緑のチに歓喜する。さあ、喜べ。黒きジュはここで終わり、輝きジュがこのチを満たす』


 金糸雀の声につられて、記憶にあった詩を口ずさむと、ガタンッと隣のイスが音をたてる。

 小さく呟いたつもりだったが、煩かったのか。


『すみません、つい……』

『ついって……君、いまの詩を知っているのか』

『え?まあ、有名な詩ですし』

『……有名』

 

 信じられないといった雰囲気……もしかして、この詩を一般教養と思ってる?


『あの、有名と言ってもその道……あれ?道でいいのかな?……とにかく、知らなくても全然恥ずかしくないので』


 この人、表情がないから、というか、顔すらもないから何考えているのか分からない。

 この人に比べれば、彼はまだ表情があったな、顔もついていたし。

 まあ、彼はいつも怒っていたけれど、その気持ちはよく分かるしね。


 ……あれ?

 目の前の景色が揺れて、ブブッて音が……



「そういえば充電し忘れてた」


 外したゴーグルをプラプラ揺らしながら、なんとなく思いつくままに金糸雀の曲を歌いながらシャワーを浴びた。


「ああ、楽しかった」

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