第3話「酒とライム」

小尉侍は、一瞬だけ陣に視線を配るとすぐ様再び通に向き合った。


「伝説の殺し屋様が、こんな場所に何の用だよ……」


通は苦虫を噛み潰したかのような表情で呟いた。実際問題、この状況は想定外の出来事であり、彼にとって非情に分が悪い。


「悪いな。“依頼”を受けたんだ。今日から1ヶ月間、そこにいる水谷陣を護衛しろって依頼をな」


小尉侍は後ろで棒立ちする陣を目線だけで指した。状況の読めない陣は、鯉のようにポカンと口を開けた阿呆面を晒している。


「は?小尉侍?依頼?ちょっと待って下さいッスよ!誰かオレにも分かるように説明してくれません?!」


「――つまり、だ。お前ら2人まとめて、俺様の敵ってわけだ!」


瞬間、切断された右腕を押え屈んでいた通が、床に転がっている右手首を拾い上げると、ふんッと勢いよく起き上がった。


「ウオォォォォオオォォォォッ!!」


通は拾った右手首を腕にくっつけると、気合い入れの為か、獣のような雄叫びを上げた。すると、その雄叫びに呼応するかのように、切断面が眩しい光に包まれた。


「――なるほど。自然治癒力“も”上がっているわけか」


光が消えた後、そこには切断の後など何処にも見当たらない新品のように綺麗な右手首が存在していた。


「教えてやるよ小尉侍。俺様の真の実力って奴をよォ……!」


通は左脚を後ろに引き、姿勢を低くしながら拳を構える。通の殺意は不可視のオーラとかし、小尉侍に対しとてつもないプレッシャーを放っている。だが、とうの小尉侍はまるで獲物を見据えた狼の如く、鋭い眼光を仮面越しに通に送っている。それはまるで、巨大な体躯を誇る熊と、歴戦の餓狼とが織り成す一騎打ちの決闘だ。両者の間には、強者のみが感じ取れる殺意と殺意とがぶつかり合う混沌が生まれ、それによって歪められた時間の中で執り行われる、人智を凌駕した激しい頭脳戦が繰り広げられている真っ最中であった。


「――今のうちに、お暇せてもらいますね……」


2人の武人が激しい睨み合いを利かせている中、陣は店の裏口からそそくさと抜け出そうとしている真っ最中であった。


「オラァッ!!」


陣が裏口のドアノブに手をかけた瞬間、怒声と共に激しい風圧が陣の背中を襲った。


「あべしッ!!」


風圧に押された陣はドアに身体を勢いよく強打し、そのままズルズルと床に倒れ伏した。


いったァ。――って、マジかよアレ……」


頭を抱えながら振り返った陣が見たもの。それは、流星の如き無数の拳と旋風の如き華麗なる剣技が激しくぶつかり合う光景だ。


「す、すげぇ……」


正しく人智を超えた異能と呼ぶに相応しい神業同士のせめぎ合い。陣はただ、固唾を飲みその様を見守るしか出来なかった。


「ハァハァ……。俺様の拳を全部捌くとはやるじゃねぇか……。それがてめぇの能力か?」


肩を上下に揺らしながら、通は小尉侍を見据える。一方の小尉侍は顔から汗を流す通とは違い、一切の疲労を見せないでいる。それがハッタリか、真実なのかは彼本人にしか分からない。


「――いや。違うな。この剣技は俺自身の純粋な技術だ。お前のそれとは訳が違うな」


小尉侍は平坦な口調で述べた。そしてそのまま、一切の間を置かずに再び神速の刃を振るう。刀身が光を反射し、眩しい輝きが通の視界を奪う。一瞬の怯みの末、気が付けば通はまたしても深い傷を受けていた。


「ぐぁはッ!クソがッ……。痛ってぇなこの野郎ッ!!」


痛みに悶えながらも全身に力を込めた通の傷は、みるみるうちに塞がっていく。


不味いな。と、感じるのは小尉侍。現状、彼は通に対し決定打を与えられないでいた。通の身体は非常に硬く、僅かな隙を見つけなければ刃が通らない。その上、仮に致命傷を与えたとしても先程の様に根性で耐え切られ、すぐ様傷を回復してしまう。


それは勿論、能力あっての物だが、何より恐ろしいのは通の高い精神力だ。


「――保木通。お前に敬意を払おう。お前は、俺が今まで殺したどの人間よりも強い。正直、厄介極まりないな」


「へぇそうかよ。そいつは有難ありがたい話だなァ」


通は息切れしながらも、口角を歪ませニヤリと笑った。いつしか通の中には小尉侍と戦うことに対する喜びにも似た感情が生まれていた。故に――


「隙あり!喰らえ!」


バリンッ!と、ガラスの割れる音が狭い店内に響き渡る。


小尉侍との戦いに夢中になっていた通は、背後から迫っていた陣の存在に気が付かなかった。背後から思いっきりビール瓶で殴られた通は、流石に血を吹き出しながら、うつ伏せに倒れ込んだ。


「い゛っっ……。て、てめぇ……。汚ぇ真似、しやがっ……て……」


辛うじて気合と根性で立っていた通であったが、能力を使い過ぎた疲労間もあってか、床に倒れ込み、それっきりだった。


「今のうちに、こっちのドアから出るぞ!」


陣は小尉侍の手を引っ張ると、店の玄関口から外へ出た。


「――へぇ。“アイツ”中々やるじゃん」





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