第1章:英雄不在の世界
第1話:救われなかった物語
錆のニオイが鼻を突く。奇妙だ、僕は家の布団で寝ていたはず……。こんな臭い、違和感しかない。
「うう、一体なにが?」
寝ぼけながら眼をこする。どことなく、声は高くそして手が柔らかいような気がした。
視界がはっきりしてくると、ここは薄暗く鉄格子で閉ざされた部屋……牢屋のような場所だとわかった。
周囲を見渡しても土壁と鉄格子だけで、窓すら見当たらない。
「牢屋……牢屋!?」
思わず叫んでしまう。僕は部屋で寝てたはずで、それにブタ箱に入れられるような真似はした覚えがない。
せいぜい……TRPGセッションでPCを苦しめただけだ!
重罪? まあ……その世界の人からすれば重罪かもね。でも架空の世界だし誰も傷ついてないからセーフ!!
「おい、うるさいぞ! 少し黙ってろ!!」
「は、はい!」
看守の怒号に思わずすくみ、返事をしてしまう。看守……というには公的には見えず、むしろならず者のような姿だったが。
それから自分の姿を確認する。もっとも、鏡になるようなものはないため、ただ服装を確認するだけだが……だが?
上半身。みすぼらしいながらも白いワンピース。
下半身。ワンピースに付属しているスカート。やはりみすぼらしいが、フリルはあって可愛らしい。
ついでに髪。鏡がないのでわからないが、前髪が視界に入った。薄桃色をしているらしい。触ってみると後ろ髪は長く、頭にはリボンをつけているようだ。
はて、自分に女装趣味はあっただろうか。いや、ない。
それに髪だって短くしているから、前髪が視界を邪魔するなんてことはない。というか日本人らしい黒髪だ。
ウィッグ? 僕をここに閉じ込めた犯人は、16にもなる男子高校生を手間ひまかけて女装させる趣味でもあるのだろうか。それは……非常にゾッとしない。
想像すると股間がキュンとな……らなかった。
そういえば、さっきから自分の声や手が妙な気がする。服は置いといて、身体はどうなってる?
上半身。腕を見ると、白くか細い。文化部とはいえ僕も健康な男だ。ここまで細くなるものだろうか?
下半身……決定的で致命的な事実を知ってしまった。
直接視認してはいないが、触ってみれば一目瞭然……見てないが。
本来男ならあって然るべき“象徴”。それが、ない。
「あ、あ……」
「あ?」
「ああああああああー!?」
「う、うるさいぞ!! 殺されたいのか!!」
看守のならず者も気にせず、僕は叫び声を上げる。
若干長い、薄桃色の前髪。か細い腕。よく触ってみるとわずかながら膨らんでおり、柔らかい胸。
そして、存在しない男の“象徴”。象さんはここにはいない。
「ぱ、ぱおん……」
これ以上看守を刺激したくないので小声でつぶやく。今はなき象徴の姿を。
どうしても見当たらない象さんを探していると、不意に光の反射を目に受ける。通路に掲げられた松明の灯火が、鉄格子を照らしているのだ。
その鉄格子に映るのは、少女の姿。鉄は鈍いとはいえ反射するので、この少女こそが今の僕の姿だと証明している。おめめパッチリで可愛らしい。これが自分でなければ、眼で追っていたことだろう。
「一体どうして……」
見に覚えはない。昨今サブカルチャーで有名な、不慮の事故からの異世界転生は当てはまるシチュエーション。だが、死因は?
「僕は寝る前、キャンペーンのことを思い出して……」
友人たちを誘ったはじめての大型キャンペーン。彼らの活躍。それを尊く思いながら、寝ていた。
尊く、尊し……尊死。
「は?」
まさか、そんなギャグみたいな死因があっていいのだろうか?
ともあれ、僕の死因は暫定尊死。キャンペーンがあまりにも素晴らしかったせいで、天に召された……ということなのだろう。きっと、そう。
まあ、異世界転生であれ、それ以外であれ次の目的は状況の整理。というか、どうして僕は牢屋に入れられているのだろうか?
看守に聞けば答えてくれるだろうか?
「あの……」
「あ、なんだ?」
「僕は、どうしてここに入れられているのでしょうか?」
「あー……騒がれても鬱陶しいし、教えてやっか」
「ありがとうございます!!」
「どうせ明日には死んじまう命だしな」
「……え?」
明日、僕が死ぬ?
異世界に転生したその次の日には死んでしまうとは、これでは三文小説にもならない。というか物語として終わってしまう。
「お前はな、明日魔神様の生贄にされるんだよ。そのために、そこに入れてんだ」
魔神、生贄。奇妙なことに、そのワードには心当たりがある。たしかに漫画やライトノベルではよくありがちなものだが、それ以上の縁が僕にはあったのだ。
TRPGのキャンペーンシナリオ。それの序盤のクライマックスを演出する展開として、少女が魔神の生贄に捧げられる。しかし、主人公であるPCたちは少女を救出したお陰で魔神は不完全な召喚で終わって倒される。
それが、僕の考えた物語で、友人たちは見事少女の救出と魔神の討伐を成し遂げた。
まあ、それはあくまで架空の物語。今僕を脅かす現実とは関わりがない、はずだ。
しかし、せめてこの身体の名前くらいは知っておかねばなるまい。ここから脱出できたなら、その先で必要になるのだから。
「……変な質問ですが、僕の名前を教えてくれませんか?」
「ああ? 恐怖でイカれちまったのか? お前はファトゥムっつー名前なんだよ。この教会のシニアスっつー神父がつけた、な」
ファトゥム。それは、やはり生贄の少女の名前で。ここがL2の世界イムヌス大陸であることを裏付ける重要な証拠の一つだ。
それにシニアスというのはたしかに魔神召喚を試みた異端の神父。説得力は二重である。
もしも、ここがL2の世界で僕のキャンペーンに関係するのであれば……希望が持てる。
いずれPC、タケルたちが助けに来てくれるはずだ。
だが、違う可能性もある。だから、次の質問をする。
「この国にクルスっていう村はありませんか?」
「ああ? 妙な質問ばっかだな。知らねえよ、そんな細かいこと」
まあ、下っ端っぽいしそれも当然か。
「じゃあ、セレーネっていう港町は!」
クルス。それはキャンペーン世界でPCたちが旅立った、彼らの故郷。
セレーネはその次の街だ。
「あー……そういえば聞き覚えあるな」
「本当ですか!?」
「でもよ」
一旦は希望を抱き、しかし続く言葉に、僕は絶望する。
「セレーネも、クルスって村も、滅亡したって聞いたぜ」
セレーネもクルスも、たしかに滅亡の危機にあった。それが僕のキャンペーンだ。
だが、それらはタケルたちPCによって解決され、今は健在のはず。それが、滅んだ?
それが意味することは……。
「この世界に、タケルたちはいない?」
本来救われた物語が、破滅で終わったことだ。
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