悟り

ロッドユール

悟り

 最近、巷では失踪者が多いそうだ。そんなことがテレビのニュースや新聞で騒がれ始めている。様々な年齢層、職業、男女関係なく、突然、仕事や家庭、学校をほっぽらかして姿を消してしまうという。周囲の人間たちも、なぜ、彼ら彼女らが突然姿を消してしまったのか、どこへ行ったのか、何があったのか、何も分からないという。事件性もあるとみて警察も動いているようだったが、原因はまったく分かっていないらしかった。謎は深まるばかりだった。

 しかし、今の私にそんなことはどうでもいいことだった。


「・・・」

 私は諦めとともに無駄と分かっていながら、今日も月に一度の診察の場にいた。どうせ、ここに来たからといって、楽にならないことはここ数年通って身にしみて分かっていることだった。しかし、結局、ここにしか救いを求める場所はなく、彷徨える地獄の亡者のごとく、私はまたここに来てしまっていた。そのことにさらなる、絶望と憂鬱を感じながら私は診察室のいつもの丸い簡素な椅子に座る。

 もちろんいつもの医者が、いつもの席に座っていた。老齢の痩せた、人がいいだけの存在。多分、今日も言うこともやることも同じだろう。少しばかりの現状確認と、世間話、そして、気休めの励まし、それはものの数分。十分もかからない。その儀式的診察を終え、私は再び電車に乗って、絶望的な世界観に包まれながら、家路に着くのだ。

「悟りと言うのはご存じですか」

 私の予想に反して医者はいきなり奇妙なことを言い出した。

「悟り?あの仏教のですか」

「ええ、その通りです。ありとあらゆる苦しみから解放されるという精神状態です」

「はあ」

 私はまたいきなり何を言い出すのかと、医者の顔を見つめた。

「その悟りの状態になれる薬があるのです」

「えっ、そんなものがあるのですか」

 あまりに突拍子もない話に私は驚く以外にない。

「はい、最新の化学は、その領域すらも可能にしてしまったのです」

 医者は淡々という。

「そうだったんですか」

 最先端化学は、今そんなことになっていたのか・・。なんだか奇妙な話に聞こえはしたが、しかし、そう言われてしまうと妙に納得してしまった。

「丸薬一粒飲むだけです。それでありとあらゆる人間の苦しみは消えます」

「・・・」

 そんなかんたんに悟れていいのかとは思ったが、しかし、それが本当なら、そんな素晴らしいことはない。

「どうされます?もしお飲みになると、もう元には戻れませんが」

「・・・」

 一度飲んでしまえば、二度と元には戻れないというところに不安は感じたが、しかし、もう長年、様々な心の不調に悩まされ、死にたいとまで思ってきた身からすれば、それもどうでもいいことだった。どうせ死ぬのなら、もうどんな境地でも行ってしまう方がいい。

「それを、ください」

 私は半ば捨て鉢な気持ちで言った。

「分かりました」

 医者は、小さくそう言って、机に向き直るとカルテに何か書き込んだ。


「・・・」

 安普請の自分のアパートの部屋に帰った私は、その一粒の丸薬を見つめていた。それは小指の先ほどの大きさの、少し漢方を思わせる薄い茶色をしていた。悟りの薬という割には、SPC1という機械的な名前に違和感を覚える。しかも、いつの間に承認されたのか保険まで適用されていた。悟りと言う大仰な話なのに、薬代、二千三百円という安さだった。

「本当に大丈夫なのだろうか」 

 だが、私に選択の余地はなかった。とにかく、この憂鬱と希死念慮から一刻も早く抜け出したかった。二十四時間続く、不安と絶望の日々から、どうあがいても脱出したかった。

 嫌な記憶が常に私を苛んだ。嫌な記憶が日に何度も何度もフラッシュバックし、目の前に現れた。理由もない鬱々とした気分が私の心全体を常に覆っていた。不安、絶望、寂しさ、虚しさ、ありとあらゆる暗黒の黒雲が私の心の中で渦を巻いていた。毎日夕方五時辺りになると、堪らなく死にたくなった。

 私は、丸薬を口に含み、そのまま一気に飲み込んだ。丸薬は少し大きく飲み込みづらかったが、喉を通ってしまえば、後はするりと胃の腑に落ちていった。

「・・・」

 しばらく待って、自分の意識を観察してみる。特に変化はない。それから、とりあえず、一時間待ってみた。

「・・・」

 やはり、特に変化はない。

「まあ、こんなものか」

 私は諦めた。薬とは大体こんなものだ。薬はまったく気休めみたいに効かないか、逆に、強烈に効いて、しかし、それは長続きせず、その後、依存や副作用に苦しむ。それが常だった。

 こんなことなら、まだ、一時でも気持ちよくなれる副作用の強烈なベンゾ系の精神薬の方がまだましだった。

 最初から話がうますぎたのだ。そんなにかんたんに悟りに至れるのなら、僧侶たちは何年も何十年も辛い修行などする意味がなくなってしまう。

 私はいつものように無気力に、そのまま窓際に置かれたベッドに横になった。


「・・・」

 夕方になって、ふと、目覚め、私は何か大きな違和感を感じて上体を起こした。

「・・・」

 何かがおかしい。いつもの寝ざめと同時に襲う強烈な絶望感がない。というか、それどころではない。

 私の意識は集約され、今という瞬間に凝縮されていた。過去も未来もなく、私は常に安定した今という状態に置かれていた。過去の苦しみに侵されることなく、未来に憂うこともなかった。

 そして、私という実態が溶けて、宇宙と一体化していた。世界はつながっていると、心の深いところから感じた。私などなく、世界はすべてつながっていた。常に私を苛んでいた寂しさも孤独感もまったく感じなかった。それどころか、世界のすべてとつながっているという絶対的な安心感が、私を温かい繭のように包み込んでいた。

 今まで信じていた私などいなかった。諸法無我。まさにその通りだった。私など端から存在しなかったのだ。人間である私。日本人である私。男である私。サラリーマンである私。ダメな私。劣っている私。背の低い私。醜い私。もろもろそんなすべての私は、最初から存在しなかった。そんなものは、人間という関係性の中の相対的なものでしかなかった。存在しない私をひたすら追い求め、必死で守り、勝手に傷ついていた。それらはまったくの無駄なことだった。

 そして、圧倒的な慈悲の心がこんこんと湧き水のように心の底から強烈に次々溢れるように湧き上がっていた。生きとし生けるものが幸せでありますようにと、心の底から思えるほどの圧倒的な慈愛の気持ちが胸いっぱいに満たされている。それは最高に幸せな感覚だった。嫌いな人間も、自分のことを嫌っている人間すらも幸せになってほしいと、心の底から思えるほどの圧倒的に大きな心の状態だった。世の中の嫌いな人間、生き物が完全に消失していた。それに伴い、憎しみも怒りも嫉妬も妬みもすべてが消えてなくなっていた。それはもう飛び上がらんばかりの、本当に空を飛べそうなほどの、最高に幸せな状態だった。

「・・・」

 医者の言っていたことは本当だった。確かにありとあらゆる苦しみから解放された。私は今まで味わったことのない幸せな世界にいた。

 だが、それは一般的な幸せとは違っていた。喜びや快楽とは違う。正確に言うと、幸せでも不幸せでもない状態。ただ、今があった。苦しみのない今があった。無駄がない状態といえばいいのだろうか。とにかく苦しみがなかった。苦しみがないから自然と幸せが湧き上がる。そういった心の状態。

「・・・」

 私はベランダに出て、街の景色を見渡した。そこに見えている景色は今まで見ていたものとまったく違っていた。物理的には変わらない景色だったが、だが、それはまったく違っていた。世界は輝いていた。


 それからの私は、今まで持っていた価値観がどうでもよくなった。お金、肩書、学歴、社会的地位、名誉、人気、美醜、すべてがどうでもよかった。欲や怒りに心が振り回されることが一切なくなった。心は何を見ても、何を言われても、安定していて、常に穏やかだった。物質的なものや、肩書や名誉といった何ものをも必要としなかったし、自分にとって都合のいい環境や状況の変化も必要としなかった。

 私はもっと大きな存在の中にいた。そう、私は宇宙の中にいた。宇宙は私であり、私は宇宙だった。

 なんてちっぽけなんだろう。私という存在。人間という存在。

 今までの悩みや苦しみなどどうでもよかった。そんな概念自体が吹っ飛んでいた。そう、私は広大な宇宙だった。絶対的な宇宙だった。宇宙の中で、人間の悩みや苦しみなど小さ過ぎた。

 死ぬことも怖くなくなった。宇宙には始まりも終わりもないからだ。時間も空間もない。それはただ回っていた。

 私は諸行無常の儚い存在として同期しながら、しかし、完全な存在としてそこにあった。しかし、同時に私は社会性を失った。今まで劣等感やコンプレックスの対象でしかなかった金持ちや、有名人、人気者といったこの社会の価値観の中で頂点にいる人間たちの存在が、どうでもよくなった。と言うか、そういう人々を、そんな狭い価値観に囚われているかわいそうな人間に思えていた。

 一切皆苦。お釈迦様の言っていたことは本当だった。人の世のすべての行いは苦でしかなかった。お金を儲けても、人からどんなに賛美されようとも、どんなに贅沢をしようとも、それは、本当の幸福ではなかった。苦しみから一時的に解放された気になっても、それはただ同じところをグルグルと回っている苦しみの繰り返しでしかなかった。

 しかし、今の社会はそういった価値観で回っている。私はそれについていけなくなった。人間などいくら威張ったところでしょせん、小さく弱く、そして、儚い生き物だ。その中で、上だ下だと言っている人間の哀れさを感じることしか今の私にはできなかった。

 私はそれをなんとか表わそうとした。しかし、それは出来なかった。宇宙を言葉にすることは出来なかった。宇宙を言語化することは不可能だった。 

 私はそんな社会の中でどう生きていけばいいのか迷い、悟りといえばということで僧侶の下に行ってみた。しかし、日本の坊さんたちにこの世界観は伝わらなかった。そういった世界観の理屈や知識はあるが、実際のその人たちはただの俗物でしかなった。

 仕方なく、私は人の世界を離れた。休職していた会社を辞め、ありとあらゆる物や人間関係を捨て、山奥に小さな小屋を建て、そこでひっそりと一人、生活を始めた。食べてさえいければそれで十分だった。なぜなら、何もしなくても、何もなくても、私の心は常に安定し、満足し、喜びに満たされていたからだ。

 はたから見れば、小汚い貧しい哀れなおっさんと映ることだろう。しかし、私は、多分、この世にいるどの人々よりも心が満たされていた。ありとあらゆるものを捨て、必要差証言のもの以外、何も持っていないにもかかわらず、私は、最高に満たされていた。

「・・・」

 ある日、私は満天の星に埋め尽くされた夜空を見上げた。宇宙はそこにあった。どこまでもどこまでも大きく広く無限の存在。それはそこにあった。

 私はあらためて考える。人間とは何なのか。丸薬一粒で、すべてが変わってしまう存在。人間は今まで一体何をしてきたのか。競争、強奪、搾取、贅沢、闘争、策略、謀略、破壊、犯罪、戦争、ただひたすら強欲を貪り、お互い傷つけ合ってまで追い求めてきた人間という生き物のその幸せと存在価値を、しかし、それは虚しいものでしかなかった。

「・・・」

 私はそのことがあまりにも悲しく哀れでならなかった。

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