(過去話)6話 学校の七不思議と不気味な生徒2

 廊下に出てから、雪乃は己の右肩へと視線を向けた。

 そこには九尾の狐がいて、不思議と重さのない彼は、まるで高級毛皮のような風情で雪乃の肩でだらりと両手足を伸ばしている。

 雪乃の視線が己へと向けられたことを感じ取り、金色の瞳が雪乃を写した。


「小学校と中学校のときも、こうして一緒にいたよね」


 うれしそうに雪乃が告げて、九尾が甘えるように、鼻先を雪乃の頬へと押し付ける。


「よく、人目を忍んで話をしたな」

忠義ただよしと紗和さんは視えるから、この状態のきゅうちゃんとびゃくが普通は視えないんだって、忘れちゃってたよ」


 虚空と会話しているように見えないよう気遣って、忠義ただよしの姉である紗和が雪乃の右隣へと並んだ。

 雪乃の左腕には白い蛇が巻き付いているが、会話に加わる気はないようだ。

 廊下を進みながら続けられる、ささやくような雪乃と九尾の会話を邪魔する者は、誰もいない。


「もう、来ることはないんだね……」

「学校という場は、集まり、凝りやすい。雪乃の体には毒だ」

「きゅうちゃんが、こうして居てくれたら何ともないよ」

「……ずっと、心配だった」

「鈴のおかげで、元気でいられたよ」


 九尾が瞳を伏せて。雪乃は持ち上げた右手で、茶色の毛並みを撫でた。


「あと少し、だったんだけどなぁ」


 九尾は何も答えず、雪乃は柔らかな毛並みへと頬を寄せる。

 謝罪の言葉を求められている訳ではないのだと理解しているから、紡げる言葉を、九尾は探す。


「学校は、楽しかったか?」

「きゅうちゃんが一緒じゃなかったから、あんまり」

「これからは」

「うん。ずっと一緒。すごくうれしい」


 雪乃の内にあるのが喜びだけではないことを、知っていた。

 知っているからこそ、九尾はそこには触れない。

 二人の事情を理解しているから、白蛇びゃくだは黙って、そこにいる。


 来客用の玄関から外へ出て、駐車場へと向かった。


 校内の駐車場に停めていた黒塗りの高級車。運転手は同行していないため、運転席には紗和が乗り込んだ。

 雪乃は後部座席へと乗り込んで、ドアを閉める。座席の真ん中で落ち着けば、何の前触れもなく、雪乃の両側に男が二人、現れた。


忠義ただよしが言っていたように、雪乃が人の世と関わりを持ち続けるならば、我らはこの姿でいたほうが都合が良いのだろうな」


 雪乃の右側で、茶色い髪の男が告げて。


「普段は、そうかも。先生には、『旦那さんです』なんて紹介するわけにはいかなかったけど」


 苦笑を滲ませながら、雪乃は手を伸ばす。

 茶色い髪の男の姿となった九尾にシートベルトを装着させてから、己も装着する。


「人間の男として視えていれば、ヒトであるが故の厄介事を雪乃から遠ざけられると言っていたな」


 左隣では黒髪の男――白蛇びゃくだが、慣れた様子でシートベルトを装着した。


 退学理由として結婚したことを挙げるには、不都合が多過ぎた。夫となった者らに戸籍はなく、人間としての職もない。

 教師を納得させるだけの材料には、なり得なかった。


「結婚しましたって、言ってみたかったけどね。紗和さんが弁護士さんで、助かりました」


 紗和は双子で、片割れである弟は次期当主候補。

 視える人間として、外から家を支える役割を己で選んだらしい。


「弁護士としての仕事の報酬は、頂戴しております」


 ルームミラー越しに後部座席へ視線を向けた紗和が、淡々と事実を告げる。

 弁護士である紗和への報酬は、父の遺産から支払った。


「お父さんが残してくれたノートがあっても、私だけだったら、すごく大変だったと思う」


 社宅は既に引き払い、数日前から雪乃は、忠義ただよしの家で暮らしている。父は多くの物を遺してくれたが、人の寿命を終えるまで、雪乃は働くつもりだ。

 半分だからか、人ではなくなったことへの実感は薄く、隠居するには、まだ若い。


「雪乃様が独り立ちなさるまで、当家で責任を持って、お世話いたします。ご安心ください」


 それは、九尾が呪物を祓い清めたことへの対価だった。


 黒塗りの車は校門を通り抜け、雪乃は普通の生活に別れを告げた。

 手続きが完了したわけではないが、あとは紗和が滞りなく進めてくれるだろう。


 父がいたから、とどまっていた世界。


 これからは己がいるべき場所へおさまるのだという感覚が、胸を満たす。


 痛みを伴う喪失感は消えないが、やっと手に入れたこの柔らかな安堵は、ずっと雪乃が、焦がれていたものだ。


「きゅうちゃん」


 雪乃は体を右側へと傾けて、着物姿の茶色い髪の男へと、その身を寄せた。


「どうした?」


 変わらない、優しい声。


「付き合わせて、ごめんね」


 それは、しばらく彼の社へ帰れないことへの謝罪。


「雪乃が、あの家へ帰るために必要なことなのだろう?」


 目だけで見上げた先。優しく穏やかな笑みが向けられて、雪乃の胸の奥が、きゅっと締め付けられる。

 ずっと見つめていたいけれど、気恥ずかしくて。

 雪乃は視線を、己の膝へと落とした。


「私、頑張るから」

「頑張る必要はない」

「頑張るの!」


 彼の顔は、見なかった。


「…………わかった」


 これから雪乃は、九尾と白蛇びゃくだの力を借りて祓い屋を営むつもりだ。

 雪乃には、何の力もない。

 穢れを寄せ付け、影響を受けやすい体質であるために向いていないことは理解していた。だが、それ以外の方法で、人の生を全うする方法が思い付かないのだ。

 学校へ通い続け、進学して、職に就くことはできるだろう。人間としては普通のその生き方は恐らく、九尾と白蛇びゃくだに窮屈な思いをさせてしまうに違いない。


「着付けもね、教えてもらうんだ」


 彼らに歩み寄ってもらうのではなくて、雪乃がそちら側に行こうと、決めた。


「びゃくも、協力してね」


 左側に顔を向ければ、黒髪の男は車窓の風景から雪乃へと視線を移す。


「酒が飲めるなら、やってやる。花嫁殿から甲斐性なしと言われてしまったしな」

「かろうじて社はあるが、それだけだ」

「夫婦は協力するものだから。――よろしくね!」


 男たちの手をそれぞれ掴み、雪乃は笑う。

 最近、気が付いた。

 九尾と白蛇びゃくだと触れ合っていると、体がとても軽いのだ。

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