(過去話)4話 神の花嫁と陰陽師の家

 玄関へ入ってすぐに、驚いた。

 上がり框に、ぴしりと正座した黒紋付姿の男女が四人、待ち受けていたからだ。

 彼らは「ようこそおいでくださいました」と言って、深々と頭を下げる。


「親と、じいちゃんばあちゃん」

「おおげさ過ぎない?」


 小声で指摘すれば、忠義ただよしは苦く笑って同意する。


「なんせ神様だからね。視えて話せる神なんて、じいちゃんですら初めてみたいだ」


 忠義ただよしの視線が、雪乃の前に立つ黒髪の男と、雪乃の肩を抱いている茶色い髪の男へと向けられた。

 人間の姿をしている白蛇びゃくだと九尾は、面倒そうに眉根を寄せる。


「意外と、ヒトの世に紛れている神もいる」


 白蛇びゃくだがあっけらかんと告げて。


「ここへは雪乃の用事を済ませに来たのだ。これらの相手をする気はない」


 九尾は柔らかな声音で、はっきりとした意志を示した。


「俺より、大人のほうがいいこともあるだろうって。とりあえず、うちは家族総出で手助けする気満々みたい」


 からりとした笑顔で告げられて、雪乃はその場にいる大人たちを順に見る。

 親しげな笑みを向けられたが、胸に生まれたのは戸惑いだ。


 これまでは、父と二人きり。

 雪乃を助けてくれる存在は、父と九尾のみだった。

 白蛇びゃくだは成り行き上、疑う暇なく受け入れたが、ここにきて急に多くの助けの手が差し出されても、受け入れがたい。


 なんだか鼻の奥がつんとして、泣きたくなった。


 もう少し早ければと、思わずにいられない。


「雪乃」


 大好きな彼が、雪乃を呼んだ。

 雪乃が向けた視線の先。

 なぜか彼も、泣きそうな顔をしている。


「きゅうちゃん?」


 名を呼ぶことで言外に問えば、九尾は沈んだ様子で答えをくれた。


「……私だけでは、良い方面への縁を引き寄せるだけの力がなかったのだ」


 優しい指先が、雪乃の目元を撫でる。

 まるで、涙を拭うような動作。

 涙は出ていないし、雪乃の頬は乾いている。だけど彼のその動作に、胸の痛みが少しだけ、癒やされたような心地がした。


「この縁は、俺らの花嫁となったからこそだ。父親の死を経てこそとも言えるな」

「蛇ッ!」

「うるさい狐だな。ただの事実だろう」


 九尾はそっと息を吐き出してから、雪乃を抱き寄せる。


「すまない」


 ただ一言に、多くの意味が込められているのを感じた。

 彼は、力の及ばなかった己を責めている。

 もっと早くに雪乃を助けたかったと思っている。

 力さえあれば、雪乃に悲しみを負わせずに済んだと、悔いている。


 彼の心を感じたから雪乃は、悲しむのは、これで終わりにしようと決めた。それは難しいことではあるが、少なくとも表に出さない努力を、己に課す。


「大丈夫だよ、きゅうちゃん」


 大好きの想いを込めて、抱き締め返した。

 胸いっぱいに、彼の発する清涼な香りを吸い込んで、顔を上げる。


「雪乃と申します。こちらは九尾の狐、こちらは白い蛇が本性の、神と呼ばれる存在です。私は彼らの花嫁となりましたが、まだヒトの身で、未成年。先日、唯一の肉親である父を亡くしました」


 忠義ただよしの両親と祖父母は、黙って雪乃の言葉を聞いている。


「ヒトとしての生について、お知恵を借りられればと思い、参りました」


 新たな生活への第一歩として「助けてください」と、頭を下げた。


    ※


 長い話になるだろうと忠義ただよしの祖父が告げて、雪乃たちは玄関を上がる。

 埃一つない磨き上げられた廊下を進み、通された部屋の中には、数人の若い男女が待っていた。

 皆が着物をまとっていて、洋装なのは雪乃と忠義ただよしだけ。


 長い黒髪を左耳の下でゆるく結い、濃紺の着物をまとった人間の男の姿をした白蛇びゃくだ


 ふわふわした茶色い髪に、濃茶の着物をまとった人間の男の姿をした九尾。


 街中で浮いていた二人は、この場にはよく馴染んでいる。


 部屋の中で雪乃たちを迎えた者らも、忠義ただよしの家族らしい。兄が三人に、姉が二人。


「きょうだい、たくさんなんだね」


 うらやましいなと思いながら雪乃が告げれば、忠義ただよしは明るく笑う。


「俺は末っ子なんだけど、一番力が強いみたいでさ。いろいろ言われるのが面倒になって、こうして意思表示してる。俺のことは俺が決めるんだって」


 言いながら指差した両耳には、数個のピアス。

 雪乃は、なるほどとうなづきながら、ただのおしゃれでも不良でもなかったのだなと納得した。


 上座へ案内され、雪乃を真ん中にして九尾と白蛇びゃくだが左右に別れる。

 なんだか居心地が悪くて、お尻がむずむずした。


 茶と菓子が出された後で、最初に口を開いたのは忠義ただよしの祖父だった。

 忠義ただよしの祖父は、二柱の神とその花嫁の訪問への喜びを再び告げる。

 そして、家の成り立ちや歴史を語り始めた。手を貸すには、知っておいてもらったほうが良いだろうということらしい。


 忠義ただよしの祖父が説明してくれたことによると、この家の人間は陰陽師の末裔らしいが、有名な安倍晴明の血縁ではないとのことだった。

 歴史の流れで陰陽師は表舞台から消えたが、今でも政治家や皇室とは深い関わりがあって、日本を陰ながら支えているそうだ。

 血縁以外でも門下がいて、生まれ持った特質を持て余している者に力の扱い方を教える活動も、ひっそりと行っているらしい。

 大々的にやらないのは、歴史の流れに沿わないから。胡散臭いものとして淘汰されないよう、人々の目からは隠れているそうだ。


「祓うことも、まあ、できるけど。うちは、どちらかというと封じるのが得意かな」

「だからか。悪い物を集めているだろう」


 忠義ただよしの補足に反応したのは、白蛇びゃくだだった。

 まるで臭気を感じているかのように顔を歪め、先の割れた細長い舌を数回出し入れする。

 九尾は着物の袖口で鼻を覆いながら、雪乃をそっと抱き寄せた。

 これまでずっと、我慢していたのかもしれない。

 雪乃はというと、九尾に身を寄せたままで、首を傾げた。

 臭いは特に感じない。

 白蛇びゃくだと九尾だけが臭気を感知しているようで、それは神故か動物の特性か、どちらだろうと考える。


「私は何も感じないよ?」

「雪乃はまだ成ったばかり。これから徐々にわかるようになる」


 小声で問えば、九尾が優しい声で答えをくれた。

 神は穢れに敏感ということなのかもしれない。


「集めているというか、集まってしまうというか。仰るとおり、この家には多くの呪物が保管されています」


 忠義ただよしの祖父が、告げた。


「封じきれていないものがあるな。漏れ出している」

「――燃やしてしまうか」


 不穏な発言を真上から落とされて、思わず雪乃は九尾を見上げた。

 目が合えば、彼は少し考える素振りを見せてから唐突に、雪乃を膝の上へと抱き上げる。

 突然のことに驚いて、雪乃の顔が真っ赤に燃え上がった。


「きゅ、きゅうちゃん……!」


 人前で恥ずかしいという思いが勝り、抗議する。

 急いで下りようとしても、彼のほうが力は強く、簡単に動きを封じられてしまった。


「言っただろう? 雪乃は変わらず、穢れに弱い」

「だからって、この姿勢は、ちょっと……」

「このほうが守りやすいのだ。……嫌か?」

「嫌ではないけど、恥ずかしい」

「慣れておくれ」


 九尾の優しい指が、雪乃の髪をさらりと梳く。

 心臓が、口から飛び出しそうだ。

 それ以上、反論を重ねることができなくなって、雪乃は彼の胸元へ顔を伏せる。


 周囲の状況を確認できる心理状態ではなかったため雪乃は知らないが、隣にいる白蛇びゃくだは興味深そうに二人を観察していたし、忠義ただよしを含めた彼の家族は呆気に取られていた。

 そんな中で九尾だけが平然とした様子で――というよりも、どことなく満足げな顔つきで口を開く。


「燃やしても良いか?」


 金色の瞳が、ついと忠義ただよしの祖父へと向けられた。


「燃やすとは、呪物をですか?」

「家ごとだ」

「それは、困ります」

「雪乃の体に悪いのだ」

「燃やされるのが嫌なら、俺が喰うか」


 できないことはないが、あまりにも量が多く範囲が広いため、時間がかかるのだと白蛇びゃくだは言う。


「あとは水で清めることもできるが、ちと相性が悪い。これだけ広範囲にこびり付いているのなら、狐の炎で燃やすのがてっとり早いだろう」


 白蛇びゃくだも燃やしてしまうことには賛成のようだ。

 二柱の神からの助言に、忠義ただよしの家族は頭を抱える。


「安心しろ。これは浄化の炎。悪しきモノのみ、燃やし尽くす」


 九尾が、雪乃の体を支えていないほうの手のひらを上向けた。

 そこに生まれた、青い炎。

 とてもきれいだなと、雪乃は思う。


「……でしたら、物に宿った悪い気のみを浄化できますか? 呪物には、歴史的な価値がある物もございます」


 そう言ったのは、忠義ただよしの父親だった。

 九尾は一つ頷いてから、口を開く。


「お前たち、そこから動くなよ。炎には触れるな。ヒトの身は完全な清浄ではないから、燃えかねん」


 返事を待たずに、九尾が青い炎を床に落とした。

 それは瞬く間に燃え広がり、家の中にある穢れを燃やしていく。

 炎はうまい具合に忠義ただよしの家族と雪乃たちを避けていたから、九尾の意志で動く生き物のようだ。

 熱をはらんだ風が、雪乃たちの肌を撫でていく。

 それは恐怖を感じるものではなくて、穏やかな木漏れ日のような優しさを内包していた。


「もう、動いても構わぬ」


 臭気の根源を燃やし尽くし、青い炎は鎮火した。


 九尾の言葉に反応して、忠義ただよしの父親が立ち上がる。呪物の確認をしてくると一言断ってから、部屋を出て行った。


 結果として、呪物は無事だったようだ。

 ただ、封じられていた穢れは全て消えていたらしい。



 奇しくも、この出来事が、狐と蛇の祓い屋開業の、きっかけとなったのだった。

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