(過去話)3話 神の花嫁と変化

 ふと、今日はいったい何日だろうかと気になって、テーブルの上に放置したままだったスマートフォンを手に取った。

 五日の間、雪乃は眠っていたらしいが、その前から既に曜日と日付の感覚は狂っていて、よくわからない。


「それはなんだ?」


 茶色いもふもふに問われ、雪乃は電話だと答える。


「充電がなくなってるみたい。きゅうちゃん、今日が何日かわかる?」


 充電器のケーブルをスマートフォンに差し込みながら聞いたが、九尾は首を横に振った。

 白蛇びゃくだにも聞いてみたが「知らん」という、そっけない答え。だがすぐに言葉を付け足したあたり、恐らく白蛇びゃくだの本質は、優しさでできている。


「雪乃が眠っている間、何度かそれが音を発していた。忠義ただよしと、学校という文字が出ていたぞ」


 忠義ただよしとは連絡先を交換してあった。

 五日も音沙汰がなかったことで心配をかけているだろうとは考えていたが、案の定。

 だが、スマートフォンが復活しなければ連絡は取れないし、今日が平日なのかもわからない。平日であれば今の時間、忠義ただよしは学校にいるだろう。

 父のスマートフォンも同様に電源が落ちてしまっていたため充電することにして、なんとなく付けてみたテレビで、今日が日曜らしいということが判明した。

 

 友と呼べる存在は九尾の他にはいないから、これまでスマートフォンは、父との連絡専用だった。

 父以外をアドレス帳に登録したのは、忠義ただよしが初めてだ。

 九尾がくれた鈴のおかげで普通の生活を送れていたが、どうしても視えてしまうから。なるべく反応しないように努力しても、完全に無視することはできてなくて。

 雪乃は、クラスメイトに気味悪がられている。

 学校は特に楽しくない場所だったが、雪乃が高校生になるのは父の望みだったから、父を安心させるために通っていた。


 スマートフォンが復活して、すぐに通知を確認した。

 白蛇びゃくだの言っていたとおり、学校と忠義ただよしからの着信履歴が表示され、忠義ただよしからは雪乃を心配するメッセージも届いている。

 儀式が無事に完了したことを報告する文面を送信すれば、すぐに既読がついた。

 直後、電話が鳴る。


「もしもし?」


 慌てて応答したら、電話口からは少年の声。


「心配した」

「ごめんね。ずっと、寝ちゃってて」

「具合悪い?」

「ううん。そうじゃなくて、体が変わるのに必要な時間だったんだって」

「そうなんだ。今から行ってもいい? うちの親も一緒に」

「ご両親も?」

「うん。雪乃の話をしたら、会いたいってうるさくて。神様なんて、普通は会えないから」

「うーん……」


 小さな唸り声を上げながら、雪乃は家の中を見回した。


 父と二人暮らしだった、2LDK。

 雪乃が眠る前には散らかっていたはずの家の中は、気付けばきれいに片付いている。九尾か白蛇びゃくだのどちらかが掃除してくれたのだろう。

 人を招くには問題ないぐらいには片付いているが、今はこの家に、誰かを招く気にはなれない。


「私が行くのは、だめかな?」


 父との思い出を、極力、上書きしてしまいたくなかったから。


「だめじゃないけど、動けるの?」

「大丈夫だと思う」


 そんなやり取りがあって、雪乃は、九尾と白蛇びゃくだを連れて外へ出た。

 白い蛇は左腕に巻き付いて、九尾の狐は雪乃の右肩に乗っている。不思議なことに、重さは全く感じない。


「きゅうちゃんとこうして歩くの、久しぶりだね」


 周囲の人間に、九尾と白蛇びゃくだの姿は視えていない。

 人間の男の姿をしていたのは、必要だったからだ。

 意識のない雪乃の体を運ぶのは、本来の姿ではできない。それと、茫然自失だった雪乃に代わって警察やら何やらとのやり取りをするため、普通の人間に視せる目的の人化でもあった。

 今は姿を視せておく必要がないために、狐と蛇の姿で、雪乃と共にいる。


「ずいぶんと人が多いのだな」

「あそこは田んぼと畑ばかりだったもんね」

「なんだ。お前、田舎狐か」

「蛇は違うのか?」

「社を失ってから、ずいぶんとさまよった」


 何も知らない人間から変な目を向けられるのは嫌だったから小声で話していたのだが、やはり目についてしまったのか、すれ違った人から声を掛けられた。


 すみませんと言われ、振り返る。


 そこには、背広姿の男が一人。


「どこか、事務所に所属されていますか?」


 唐突な質問。理解が追いつかず、雪乃は相手の言葉を聞き返した。


「事務所?」


 いったい何の事務所だろうか。

 首を傾げた雪乃に、相手が名刺を取り出しながら説明する。


「芸能界、興味ないですか?」

「え? いや……ないです」


 スカウトというものらしいとは察したが、詐欺かもしれない。

 雪乃はいつも、他人から遠巻きにされていたから、こんなふうに見ず知らずの人間に話し掛けられるのは初めての出来事だった。

 なんだか怖くなり、足早に去ろうとした雪乃を引き留めようと、相手が手を伸ばす。


「触るな」

「雪乃、こちらへ」


 白蛇びゃくだと、九尾の声。

 気付けば雪乃は、人間の男の姿となった九尾の、腕の中にいた。

 雪乃へ伸ばされた男の手は、九尾と同じく人化した白蛇びゃくだが、はたき落としたようだ。


 九尾が歩き出したことにより、雪乃の足もつられて動く。

 背広の男が背後でまだ何事かを言っていたが、白蛇びゃくだがひと睨みで黙らせた。

 九尾に腰を抱かれた状態で歩く雪乃の隣へ並ぶと、顔をしかめた白蛇びゃくだが告げる。


「本当に、いろんなものを引き寄せるんだな」

「これまでは黒いやつだけだったよ」

「狐と、俺も引き寄せただろう」

「私が引き寄せたの?」


 驚きながら告げると、白蛇びゃくだは首肯した。


「悪いもののみならず、己にとって利するところのあるものも、雪乃は引き寄せている」


 九尾が告げて。


忠義ただよしも、お前に利益がある存在として引き寄せられたんだ」


 白蛇びゃくだが補足する。


「だけど、ああいうのは初めてだよ?」


 すれ違う人々が、雪乃たちを見ていることに気が付いた。

 九尾も白蛇びゃくだも人化するときには着物姿で、町中では浮いてしまっている。


「着物も素敵だけど、周りに馴染む服装になれない?」


 雪乃自身には注目を集める要素はないと本人は思っているため、雪乃は、九尾と白蛇びゃくだへ問うた。


「とっさの人化では、構造を理解している物しか身にまとえない」

「俺は、これが楽だ」

「やろうと思えば、できるの?」


 できないことはないというのが、九尾と白蛇びゃくだからの答えだった。

 だがそのためには、実際に触れて、何度か袖を通す必要があるという。

 結果としては、今はできないということがわかり、雪乃は諦めることにした。


 道行く人からの注目を集めながらたどり着いた、一軒の家。


 土塀に囲まれた、古い日本家屋だ。

 ずいぶんと敷地が広そうだなと考えながら、雪乃は門の横に取り付けられているインターフォンを押した。

 すぐに忠義ただよしの声で応答があり、門の中へ入るように言われる。


「妙な気配の家だな」


 言いながら、黒髪の男の姿をした白蛇びゃくだが、雪乃の前へと進み出た。


「雪乃。私から離れるな」


 茶色い髪の男の姿をした九尾が、雪乃の肩を抱き寄せる。

 ここにたどり着くまでも手を握っていてくれたが、体が密着したことで、雪乃の心臓は激しく暴れだす。恋慕の情を抱いている相手との触れ合いに、思わず浮かれてしまう。


 白蛇びゃくだを先頭にして少し進むと、平屋の日本家屋から忠義ただよしが駆け出てきた。

 

「迷わなかった?」


 白蛇びゃくだも九尾も答えようとしなかったから、雪乃は背の高い黒髪の男の背後から顔を出し、地図アプリを使ったから大丈夫だと答える。


 白蛇びゃくだの背中越し、目が合った忠義ただよしが、なぜだかぽかんと口を開けた。


「どうしたの?」


 己の服装を確認してから、どこか変なところがあるかと九尾に聞いてみるが、返されたのは、とろけるように甘い笑顔。


「雪乃は美しい」


 喜びと照れで、顔が熱くなった。


「雪乃って、すごくきれいな女の子だったんだね」


 衝撃から立ち直ったらしき忠義ただよしの言葉に、雪乃は疑問を抱く。

 半分人間ではなくなったことで何かが変わったのかもしれないと思った。


「鏡で見ても、自分では違いがわからないんだけど……何か違うの?」


 聞いてみれば、忠義ただよしは大きく首を縦に動かした。


「その辺によくいる黒いやつらって、ヒトの認識を歪めるんだ。やつらに好かれた人間は、視えない人間にも、とても醜い存在って認識される。たぶん、危険なものに近付かないための防衛本能が働くんだ」


 雪乃にはそれが染み付いていて、忠義ただよしの認識も歪めていたらしい。

 花嫁となったことでそれらが全て浄化され、本来の姿が見えるようになったというのが、忠義ただよしの説明だった。


「本当に、劇的変化。とりあえず入ろう。みんな待ってる」

 

 家の中へと招き入れられながら、学校への復帰に対する不安が、雪乃の胸をかすめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る