(過去話)2話 神と嫁の小休止

 雪乃は、人間じゃなくなった訳ではない。

 半分はそうじゃないモノになったらしいが、生きているし、日本人としての戸籍は残っている。

 高校は卒業前。そろそろ、出席日数が危険だ。


「お父さんに何かがあった時ノートによると、このお家から出て行かないといけないみたい」


 腹が満たされた後で、父から言われていたことを思い出した。

 万が一、雪乃が一人残された時の備えを、父は用意してくれていたのだ。それは一冊のノートと、様々な書類の束。


「ここは社宅なんだって」


 ノートを読みながら、雪乃は状況を整理していく。

 九尾は隣で一緒にノートを覗き込んでいるが、白蛇びゃくだは無関心で、少し離れたところでとぐろを巻いていた。


「狐の社があるだろう」


 白蛇びゃくだの指摘に、九尾が首を横に振る。


「雪乃が生活できるような場所ではない」

「それは大丈夫だと思う。あのお家があるから」


 父は、九尾と出会ったあの家を残してくれていた。

 売るに売れず持て余していたというのが正しいようだが、雪乃があの家に戻りたがっていたのもあり、本格的に処分しようとは考えなかったらしい。


 九尾の狐の神社を含めた周囲の林が、代々、雪乃の母方一族の所有物だった。

 母方は短命で、どうやら、雪乃が最後の一人のようだ。

 父のほうは親との折り合いが悪く、絶縁状態。

 どちらにしろ雪乃には、頼れる人間はいない。


「一族断絶って、狐の呪いか?」

「呪っていたのなら、とうに私は落ちていただろう。だが、遠因ではある。加護を失った末路だからな」

「どういう意味?」


 雪乃は、ノートから顔を上げた。

 すぐ隣にあった金色の瞳も文字を追うのをやめて、雪乃を映す。


「一族は、私の加護で長らえていた。引き寄せやすい者たちだったのだ」


 九尾の狐の社を放置して他所へ行ってしまったために加護を失い、引き寄せられたモノたちの影響を受け、弱っていった。

 雪乃の母親が身ごもった状態であの家に戻るまで、あそこは放置されていたのだと、九尾は告げる。


「私は、ほとんど消えていた。だが、腹の中にいる雪乃の気配を感じて意識が戻った。守るべきものが戻ったのを感じたのだ」

「お母さんじゃなくて、私?」

「雪乃が腹にいたってことは、巫女の資格がなかったんだろう」

「どうして私がお腹にいたら、だめなの?」


 純粋な疑問の視線を向けられた白蛇びゃくだは、あっけらかんと応じた。


「巫女は処女でなければ。雪乃も今は違うが、巫女ではなく花嫁だから構わない」


 理解が追いついて、雪乃は赤面する。

 何だか居たたまれない心地になったため、九尾のことを、じとりとにらむ。


「きゅうちゃんの、えっち」

「花嫁にするほどに求めたのは、雪乃だけだ」

「それなら許してあげる!」


 白蛇びゃくだが呆れたと言いたげに、とぐろを巻いた己の胴へ顎を乗せてため息をこぼしていたが、気にしないことにした。


「お母さんの体が弱かったから、田舎の空気がいいんじゃないかって思って、あのお家に引っ越したらしいよ。前にお父さんが話してくれた」


 畳の上で寝転がり、茶色の毛玉を抱き上げる。


「きゅうちゃんは、ずっと私を見守ってくれてたの?」

「雪乃が私を視認できるようになるまでは、私の力が弱く、何もできなかったがな」

「そうなんだ〜」


 ぎゅうっと抱き締めて、首元の毛に鼻を埋めて匂いを嗅ぐ。

 九尾は、されるがまま。

 この地に越して来るまで、常に雪乃のそばにあった香り。

 焦がれていたものが、やっと己のもとに戻ったという多幸感が、体を満たす。


「なるほどな。理解ができた」


 唐突に、白蛇びゃくだが告げた。


「雪乃は狐のおかげで生き永らえて、狐のせいで、花嫁になる以外の選択肢はなくなったんだ」


 お前がやったのは刷り込みだと、白蛇びゃくだは言う。


「利益を得たやつに言われる筋合いはない」


 九尾の発言は、肯定と同じだった。


「びゃくの言い方だと、きゅうちゃんが悪いことをしたかのように聞こえる」


 雪乃は首を傾げる。

 九尾のせいで不利益を被ったという認識は、ないからだ。


 九尾が口をつぐんだため、答えたのは白蛇びゃくだだった。


「花嫁になるよう、幼い頃から言われていたんだろう?」

「うん。そうだね」

「雪乃と狐のつながりが強すぎて、疑問に思っていた。俺の力だけでは、狐をこの場へ呼ぶことはできなかっただろう」

「それは、良いことのように聞こえる」

「狐は時間を掛けて、雪乃を花嫁として迎える準備を整えていたんだ。だがそれは、雪乃の生まれついての性質を強めた。結果が、今だ。しかも己だけで守りきれないとは、お粗末なもんだな」


 白蛇びゃくだが鼻で嗤い、九尾は顔をうつむけた。

 九本の尻尾が垂れ下がり、耳も寝てしまっている。


 だが、雪乃にとっては、彼の全てが愛おしい。


 彼が意図して両親を死へ追いやったわけではない。

 恐らく、助けられるだけの力があれば、彼はきっと雪乃に手を貸してくれたはずだ。


 この感情が刷り込みの結果だとしても、雪乃は別に、構わない。


「私はきゅうちゃんを愛してるから、いいの。きゅうちゃんから与えられるものは何でも、受け入れたい」


 白蛇びゃくだが、二人を嘲笑う。


「愛とはいっときの病だ。万能薬ではない」

「いいの!」

「雪乃は阿呆なのだな。よくわかった」

「それでいいよ」


 変わってしまったものは、もう戻せない。

 雪乃の選択は、すでに終わってしまったことだから。

 雪乃の半分はすでに、人ではない。


 それよりもと、雪乃はノートへ視線を戻す。


「これからの生活のことを決めないと。旦那さんが二人もいるのに甲斐性なしみたいだから、私が大黒柱にならないとね」


 雪乃の発言は白蛇びゃくだのみならず、九尾にも打撃を与えたが、頓着せずに雪乃はこれからのことを思案する。

 そして、最初にやることとして定めたのは、ピアスをした中学生――忠義ただよしに会いに行くことだった。

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