第6話 狐と蛇の花嫁2

 目が覚めると、視界の端で茶色い柔らかな毛が揺れているのに気が付いた。


 それは人の姿をしていたけれど、会いたかった彼だと、彼女にはわかった。


「雪乃。私の花嫁。一人にして、すまなかった」


 優しく頬を撫でられて、全身が柔らかな温もりで満たされた。久しぶりに感じる、大きな安堵。


「お前は色々なものを引き寄せる。ヒトの身では、力が強過ぎる。周りを不幸にする存在だ」


 彼の後ろにいた黒髪の男が、白蛇しろへびの声で話した。

 彼らがなぜ、人の姿でそこにいるのか。

 どうして彼は来てくれたのか。


 疑問を声にする前に、ふと、家の中の雰囲気がおかしいことに気が付いた。


 彼らが側にいるお陰で彼女の周りは清らかだが、他は、真っ黒に埋めつくされている。


 父はどうしたのだろうか。


 立ち上がる彼女を、彼らは止めなかった。



 ――チリン



 音に目を向けると、右の手首に、彼がくれたのと同じ鈴付きの紅い細布が巻かれていることに気が付いた。

 反対の手首には色違いの、白い鈴付きの細布。

 その鈴のお陰で、彼女は真黒い中を進めた。


 進んだ先では、父が倒れていた。


 慌てて駆け寄り触れた父の体が、ひやりと冷たい。

 彼女が渡した鈴は、父の手首に巻かれた状態で、どす黒く変色していた。


 それからの記憶は、曖昧だ。

 頼れる親戚などは、いなかった。

 常に彼が側にいて、手を握ってくれていたことは、覚えている。

 意外にも人に擬態することに慣れていた白蛇しろへびが、いろんな対応をしてくれた。



 父のことは母と同じ墓へ入れてやれたが、彼女がそこに入ることは、ない。





     ※






 のしかかる重みで、彼女は目を覚ました。

 体には二人分の男の手が絡み付いている。

 左から伸びる腕は腰に、右から伸びる両手には頭を抱き込まれ、布団の中では左側から足が絡み付いていた。


 毎朝の事とはいえ、やはり、重い。


「雪乃……?」


 女が身動ぎすると、右の男が目を覚ました。

 朝日に透けた茶色い髪はふわふわと柔らかそうに揺れていて、金色の瞳が、寝ぼけた様子で彼女を映す。


「きゅうちゃんとびゃくの、花嫁になった頃の夢を見た」


 女が柔らかな髪に手を伸ばそうとすると、左側から現れた手によって阻止された。


「なんだ雪乃。朝からそういう気分なのか? 俺はすぐにでも出来るぜ」


 途端、家の中が騒がしくなる。


「いかがわしい爬虫類が! 雪乃から離れろ!」

「狐も期待してんだろう?」

「っ!!! 離れろ! 雪乃に触れるなっ!」


 顔を真っ赤にした茶色い髪の男が、黒髪の男から女を引き剥がした。


「朝餉の仕度をする」


 逃げるように、女を連れて茶色い髪の男は部屋を出て行く。

 その様を笑って見送り、黒髪の男は布団から出て白い着物を脱ぎ捨てた。

 濃紺の着物に着替えて長い髪を緩く結うと、黒髪の男も寝室を後にする。

 布団は敷いたままだが、後で茶色い髪の男が片付けるだろう。

 彼らの一日の始まりは、だいたいが、こんな感じだ。



 白地にりんどうが咲いた着物姿の女は縁側で、胡座をかいた黒髪の男に抱き込まれるようにして座っていた。

 空を眺める二人の後ろでは、濃茶の着物に着替えた茶色い髪の男が、朝食の仕度をしている。


「びゃくはまた、酒を呑んでいるのだな」


 女の言葉に黒髪の男は笑い、横に置かれた一升瓶から盃に酒を注ぐ。


「狐の神社を掃き清めたガキの一人、家が酒屋らしい。供物だ」


 一升瓶の中身は、半分以上なくなっている。


「いい酒だ」


 黒髪の男は、満足そうに喉を鳴らして飲み干した。

 その腕の中では、女が笑う。

 茶色い髪の男は台所で、呆れた顔をしていた。

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