第5話 狐と蛇の花嫁1

 物心がついた時から、体が弱かった。


 母も同じく体の弱い人だったらしく、彼女を産むとしばらくして、亡くなったらしい。

 父と二人の生活で、父が仕事の時には、彼女は一人、布団に寝かされていた。

 医者に診せても原因がわからない。

 父はやつれるほどに悩み頭を抱えていたが、彼女は原因を知っていた。

 知っていたが、父に言うことなんてできなかった。


 彼女の側には常に、黒く蠢くモノが溢れていた。


 日に日に増えていくそれらは、彼女の中に入ろうとしてくる。

 抵抗すると離れていく。

 だけれど、また近づいてくる。

 きっと母もこれらのせいで死んだのだと、彼女は思っていた。

 父には全く見えていないようだったから、自分は母に似たのだと、ぼんやり思った。


 そうやって一人、布団の上で蠢くモノに囲まれていた日々の中。

 ある時、庭に、もふもふした茶色い毛玉がいるのに気が付いた。

 その毛玉は金色に輝く瞳で、じっと彼女を見ている。近所の犬かなと、彼女は考えた。


 どうしてもその犬に触れたくなって、彼女は布団から出た。


 衰弱した体は、熱くて重い。


 重い体を引きずって庭に降りる彼女を、茶色い犬は、じっと動かず見つめていた。

 手を伸ばし、柔らかな毛並みに触れる。

 撫でている間も、犬はじっとしたまま動かない。

 そのまま抱き締めてみた。

 すると途端に、体が軽くなる。



 その日から、彼女は毎日、茶色い犬と過ごした。



 彼は不思議な存在だった。

 父に、彼は見えていない。

 だけれど、蠢くモノとは逆の何かだと、彼女にはわかった。

 彼には尻尾が九つあった。だから彼女は彼を「きゅうちゃん」と呼ぶことにした。

 彼と一緒にいると、蠢くモノは近寄って来ない。

 いつしか、体の不調も改善していた。


 学校へ通えるようになった。


 彼とは、学校でもずっと一緒だった。

 学校には蠢くモノだけではなく、怖いモノが沢山いたけれど、彼がいれば平気だった。


 学校へ通えるようになってから少しして、彼は彼女を、家の隣にある神社へと連れていった。

 階段を登った先の、寂れた神社が彼の家のようだ。

 そこで、彼は初めて口を聞いた。


「私は、忘れ去られたこの場所で、ずっと一人だった」


 彼女も、父が仕事の時には一人だったから、それが寂しいことだと知っていた。

 寂しかったねと、彼女は彼に言った。


「花嫁になってくれるなら、雪乃をあれらから、ずっと守ってやれる」


 彼の言葉は、彼女の耳にはとても素敵に響いて。大きくなったらお嫁さんになると、約束をした。

 彼女も、彼とずっと一緒がよかったから。


 そうして二人、ずっと一緒にいた。


 だけれど、彼女が中学校を卒業すると同時に、父の仕事の都合で、その家を離れなくてはいけなくなった。

 彼は神社から離れられないから、一緒には行けないと言う。

 高校を出たら必ず戻ってくると約束をして、二人は、別れた。


 別れる時、彼は鈴がついた紅い細布をくれた。

 絶対に外してはいけないという彼の言葉に頷いて、彼女はそれを右手首に巻き付けた。


   ※


 新しい土地では、問題なく時が過ぎた。

 彼に会えないのは寂しかったが、少しの我慢だと思い、彼女は耐えた。


 だが、しばらく経つと父がおかしくなり始めた。

 彼がくれた鈴の効果で彼女に近づけなくなったモノたちが、父を蝕んだのだ。

 きっと、彼がくれた鈴を渡せば、父は助かる。



 約束を破って、彼女は鈴を外した。



 父は元気になった。

 代わりにまた、彼女の体は重くなっていく。

 だけれど、あと少し頑張れば卒業して、彼に会いに行ける。

 それまでの辛抱だと思った。

 重い体を横たえて、黒いモノたちに囲まれながら、眠れぬ夜を過ごす。

 ある晩、熱を持った彼女の体に、ひやりとする何かが触れた。

 それは冷たいのに安心出来て、彼が来てくれたのだと思い、目を開けた。


 そこには、白い蛇がいた。


「このままだと死ぬぞ」


 白い蛇は彼女にそう言った。

 彼女は「死なない」と答える。彼を一人にしてしまうから、死なないと。


「花嫁になるなら助けてやろう」


 白い蛇は言った。

 約束があるから花嫁になれないと彼女が言うと、白い蛇は嗤う。


「花嫁を放って、そいつはどこにいる。このままだと、お前の存在が周りの者まで巻き込むぞ。俺の花嫁になれば、お前も周りも、救われる」


 彼女は、首を横に振った。


「きゅうちゃん……助けて」


 涙を零して、眠りについた。

 白い蛇が体に触れているお陰か、彼女は久しぶりに、気絶するように眠った。

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