第4話 少女と祖母と鬼門の家2

 少女の家には、ナニかがいる。


 昼間、誰もいないはずの二階で足音がするだけでなく、鏡の前に立つと背後を人影が横切ったり、誰もいない部屋から人の話し声がしたりするのだ。

 他にも、寝ていると腕や足を掴まれて、朝になってから確認すると跡がついているという事もよくある。


 そういった様々な事が、今も家で、起こっている。


 母が相当参ってしまって、藁にもすがる思いで何人も祓い屋に頼んでいるが、いっこうに解決しない。

 そうして悩む少女に同級生が、夏休みに世話になったという祓い屋を教えてくれた。

 それが、彼らだった。


 家に着くと、女はふむと呟き、家の外観を眺める。


「これは、きゅうちゃんのほうが早いな」


 言いながら女は、己に寄り添う茶色い髪の男を見上げた。


「蛇が喰えば良い」


 茶色い髪の男が顔を顰めて、反論する。


「喰ってはもらうが、無理な場所もある」


 わかっているだろうと、女は茶色い髪の男の頬を撫でて微笑んだ。

 頬に触れた女の手に己の手を重ね、茶色い髪の男は不機嫌そうに、息を吐く。


「わかった。だが、必要以上には手を出さない」

「こんなに喰ったら腹を壊しそうだ。雪乃は俺に任せて、狐が全部燃やしてくれてもいいんだぜ」

「爬虫類に雪乃は任せられん。それに、お前の仕事だろう」


 男たちが言い合いする間、女は黙っていた。

 二人は仲が悪いのだろうかと思いながら、少女は祖母と手をつないだままで、三人を観察する。


「びゃく。今回は直接喰え」

「それは断る」

「だめだ」


 黒髪の男が不満そうな声を出したが、女は取り合わなかった。

 茶色い髪の男は恋人で、黒髪の男は、部下か使用人だろうかとあたりをつける。それにしては態度が不遜だから、友人や同僚といったところか。


「待たせたな。入っても良いだろうか」


 女の言葉に祖母が頷き、玄関を開ける。

 中に入るとすぐに、家で待っていた母が、少女に飛び付いた。

 体が、カタカタと震えている。


「お母さん、祓い屋さんに来てもらったよ」

「ど、どうかお願いします。助けて下さい」


 母が祓い屋の三人に頭を下げた。

 女は母へと視線を向けて、すぐに口を開く。


白蛇びゃくだ。まず、この女性だ。喰え」


 黒髪の男が、母に近付いた。

 おもむろに手を伸ばし、母の首筋へと触れる。


「あの……何を……?」


 怯えた母が男を見上げ、男は視線だけで母を見下ろして、じっとしていろと命じた。


「こんだけ憑いてたら、つらいだろう。喰ってやる」

「くうって……え?」


 それ以上の疑問には答えず、男は身をかがめて、口をぱかりと開く。

 母に抱きつかれたままだった少女は、間近でそれを見ていた。

 開いた男の口の中、紅い舌は細長く、舌先が裂けている。まるで、蛇だ。

 そういえばこの男は「蛇」と呼ばれていたなと、思い至った。


 蛇と呼ばれる男が口を開くと同時、母の体から黒い靄のようなモノが立ち上り、それは、男の口腔へと吸い込まれる。


 これまでとは違い、彼らは本物かもしれないという期待が、少女の胸に生まれた。

 それは母と祖母も同じだったようで、どんより曇っていた二人の瞳に、光が宿る。


「では、ご婦人方。家の中を拝見します。どうか、その男から離れないように」


 女が黒髪の男を示したので、母と祖母と少女は手をつないでから、黒髪の男との距離を詰める。

 少女が空いた手で濃紺の着物を握ったが、男は何も言わずに許してくれた。


 茶色い髪の男にエスコートするように手を握られた女が、階段を上がって二階へ向かう。

 立ち止まったのは、一つの扉の前。

 そこは物置で、以前頼んだ違う祓い屋が貼ってくれた御札がある場所だ。


「開けても?」


 母が許可すると、茶色い髪の男が手を伸ばし、扉を開ける。

 女は中を確認して、美しい顔を顰めた。


「この札だ。ただでさえ道のある家なのに、この札が余計に開けている」


 その御札には確か、安くない金額を払ったはずだった。

 出資者である、祖母の顔色が曇る。


「狐の出番だな。雪乃は俺が預かってやる」


 黒髪の男がにやりと笑い、女の体に腕を絡み付かせた。

 茶色い髪の男は不満げな表情を浮かべたが、素直に女から手を離す。

 物置の中に入った彼を、少女たちは黙って見守った。


 この家は、祖父を亡くした祖母と同居するため、建てたばかり。

 引っ越すことはできないと父は言っていたが、父は仕事で、家にいる時間が少ない。

 家にいる時間が一番多い祖母はもう、限界で。母も体調を崩し、休職するまでに追い込まれている。

 この恐怖の日々から助けてくれるのなら、偽物に大枚を叩いてしまうほどに、追い詰められているのだ。


 期待を込めて、見つめた先。


 茶色い髪の男が触れると、御札が青い炎に包まれた。

 青い炎の中、御札だけが燃えていく。

 御札は灰となり燃え尽きてしまったが、壁は、きれいなまま。


 まるで手品だと、少女は目を丸くした。


「きゅうちゃん。閉じて」


 女が、着物の袂から取り出した御札を、茶色い髪の男に渡す。

 先ほど燃やされた御札との違いは、少女にはわからない。

 わからないが、それが本物だというのはわかった。

 なぜなら、御札を受け取った茶色い髪の男が同じ場所へそれを貼った瞬間。清らかな光を放ち、壁に溶けて消えたから。


「さぁ、蛇。雪乃は返せ。そして働け」 


 物置から出てきた茶色い髪の男は、再び女の手を取り、寄り添った。

 黒髪の男は、それが当然であるかのように身を離す。


「では、行くぞ」


 その後も家中を歩き回って、黒髪の男が黒いナニかを喰った。

 全ての部屋を周り終えれば、家の中は目に見えて明るくなる。重たく淀んでいた空気も、清浄なものになった感覚がする。


 女たちは、お金を受け取るとすぐに帰っていった。


 帰り際。チラリと見えた、女の両手首。そこに鈴の付いた紅白の細布が巻かれているのを、少女は見た。


 その後、あんなに悩まされていた霊障はさっぱり起きなくなり、母も元気を取り戻し、仕事へ復帰することができた。

 本物だった彼らに感謝を込めて、近々祖母とおはぎを作って、持って行くつもりだ。



     ※



「雪乃。私の花嫁。……祓い屋などという穢れる事は、やはり辞めよう」


 家に戻り玄関へ入るとすぐに、茶色い髪の男が振り向いて、女を両手で抱き締めた。

 先ほどまでは人間らしい見た目だった瞳は金色に輝き、瞳孔が縦長となったその瞳には、不安がちらついている。


「だがな、そうすると、びゃくが本当にタダ飯ぐらいの、ただの呑兵衛になってしまう」


 抱き締められた女は、柔らかな茶色い髪へと手を伸ばした。愛しげに男の髪を撫で、頬を擦り寄せる。


「俺は、それでも構わんぞ」


 黒髪の男が音もなく近づいて、女の左手を取った。白い細布の結び目をほどき、ほっそりとした手首から、鈴のついたそれを外していく。


「私は、タダ飯食らいの大酒飲みを養う気はない」


 右手首にある紅い鈴付きの布は、女から体を離した茶色い髪の男がほどく。

 鈴が付いた紅白の細布は、それぞれの男が自分の手首へと巻いた。


「ただでさえ、雪乃はあれらを引き寄せる。蛇だけでやれば良いと、前から言っている」

「俺は雪乃から喰いたい。そのほうが美味いからと、前にも言ったな」


 茶色い髪の男が女の手を引き、家の奥へと連れて行く。

 襖を閉めた奥の部屋で、男達の手によって、女の着物が脱がされた。


「きゅうちゃんのように美味い食事を作れたり、びゃくにも生活に役立つ特技があれば良いのだがな」

「放っておくと日がな一日酒を飲んでいるからな、この爬虫類は」

「適材適所なんだろう? 毛玉野郎」

「雪乃を無駄に煩わせるなと言っているのだ」

「仕事は雪乃の望みだろう。なら、雪乃自身が手伝うのは当然だ」

「いらぬ苦痛を与える必要はないだろう」

「俺が祓い清めれば問題ない」

「そういう問題ではない!」

「口やかましい狐だなぁ」


 男たちの言葉の応酬を笑って聞きながら、長襦袢姿になった女は裸足で庭に出て水場へと向かう。


「俺の花嫁でもあるんだ」


 腰まで水に浸かった女の上へ霧雨のような水を降らせながら、黒髪の男が言い放つ。


「……わかっている。お前には、感謝もしている」


 茶色い髪の男は瞳を伏せ、ささやくような声で返した。


「ふん。気持ちが悪いな」


 黒髪の男がからかうように唇を歪めたが、茶色い髪の男はそれ以上は何も言わず。女がしたように裸足で庭へ出て、女のいる水場へと足を踏み入れた。


「きゅうちゃん。泣くな」


 女が両手を伸ばし、指を絡ませ、手をつなぐ。


「雪乃のその話し方も、私は不満だ」


 うつむく男の額へ己のそれを重ねて、背伸びをした女が笑う。とても幸せそうに。


「きゅうちゃんのお嫁さんとして、ふさわしく在りたい」

「私のほうが、ふさわしくないのだ」

「そんなこと、ない」


 つないだ両手を肩の高さまで持ち上げて、女は目を閉じた。

 男も静かに目を閉じて、涙のような雨の雫が、頬を滑り落ちる。


 清めの雨を降らせる黒髪の男は、その場であぐらを搔いて座り込み、黙って二人を眺めていた。

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