第7話 オカルトマニアと廃屋の穴1

 男が一人、長い階段を上った先の、神社の鳥居をくぐる。


 彼は平凡な男だった。


 人混みに紛れても、知り合い以外は彼を見つけられないだろう、どこにでもいる容姿。服装もいたって平凡で、スラックスに白シャツ姿で、ベージュのカーディガンを羽織っている。

 彼は細い目を更に細め、微笑み続けている。

 何かを楽しみにするような、そんな表情。

 賽銭箱に小銭を投げ入れた彼は、手を合わせるでもなく、立っていた。


 何かを待つように社を見つめる男の耳に、茂みを掻き分ける音が届く。


白蛇びゃくだ様ではないですか! お久しぶりです!」


 茂みから現れたのは、濃紺の着物姿の男。長い髪を左耳の下で緩く結ったその男は、彼を見て眉根を寄せる。


「ヒトの子か。何の用だ?」

「やだなぁ。その呼び方、人間全般ですってば。細井です」

「あー、覚えられたら呼んでやる。で? 狐の社で何をしている」

「ここでお賽銭投げたら、着物姿の美しい男女が現れると聞き及びまして。検証にやって参りました」

「オカルトとかいうやつか」

「はい! でも正体、わかってしまいました。九尾様と雪乃様は、どちらに?」

「……こちらだ」


 白蛇びゃくだの後に続いて、細井は茂みに入る。

 道ではないそこを、白蛇びゃくだはするする進む。細井は四苦八苦しながらついて行く。


「あのー、これ、この道である必要あります?」

「近道だ」


 抗議は聞き入れないという白蛇びゃくだの声音に、細井は苦笑を漏らす。

 相変わらずだと思った。きっと他の二人も相変わらずで、狐と蛇は、あの美しい女の傍にいつもいるのだなと考える。


 茂みを抜けた先は、民家の庭先だった。

 古いが手入れの行き届いたその家。敷地内に入った瞬間、空気が変わった事に、細井は気が付いた。


「こちらにお住まいなんですね」

「そうだ」

「この結界は、雪乃様のためですか?」

「雪乃は引き寄せるからな」


 相変わらずだなぁと、笑みが零れる。


 細井が彼らに出会ったのは、オカルト趣味故だった。

 暇を見つけては、曰く付きの場所に足を運ぶ。

 当たりも外れもあった。

 当たりは、空気が変わるからよく分かる。

 見る事は出来ないが、幼い頃からそういった得体の知れないモノを感じる事が、細井には出来たのだ。

 感じる事が出来るため、危険だと判断すればすぐに逃げる。そのスリルが、彼には快感なのだ。


 その時も、ネットで見つけた情報を頼りに、細井は森の中に分け入っていた。

 森の中の廃屋の側に謎の穴があり、鉄板で塞がれたそこには何かがいるという、曖昧な情報。


 細井は、夜には動かない。

 単純に眠いし、暗いと何も見えないからだ。


 夜でなくとも、そういうモノは身近に蠢いていると知っている細井には、昼でも夜でもスリルの違いを感じない。

 ただ、やはり夜は一層危険で、足下が見えなければ逃げ遅れる危険もあると知っているが故。

 スリルは感じたいが、身の安全は大事。細井は、そんな男だった。


 森の中、辿り着いた場所には噂通りの廃屋があった。

 肝試しスポットになっているらしく、赤いペンキでいたずら書きや、蝋燭、雰囲気作りのためだろう不気味な人形が転がっている。

 廃屋の中を通り過ぎた先に、それらしき物を見つけた。

 赤茶に錆びた鉄板。それを退かすと、穴があるらしい。


「あ。これ、まずいやつだ」


 細井は呟き、心臓が早鐘を打つのを感じる。

 この緊張感が堪らない。癖になるのだ。

 鉄板を退かせば、尚一層まずいと細井の感覚が警鐘を鳴らす。

 何処まで踏み込むか、中に入らなければ大丈夫か、引き際を考える。


 だが、中が見たい。


 好奇心が勝り、細井は鉄板に触れた。

 重たい。

 そして、嫌な感じがどんどん強まる。


 何かが細井を誘っている。


 細井が開けるのを待っている。


 やばいと思うのに、細井の身体は鉄板を持ち上げようと、力を入れる。


「やばいやばいやばい」


 口は細井の意志で動く。

 身体は、何者かの意志で動く。

 完全に引き際を誤った。


 細井は、冷や汗が頬を伝うのを感じながら思う。


 ――あぁでも、この先にある物が、見たい。


「それを開けるな、ヒトの子。迷惑だ」


 低いが不思議な透明感のある、男の声だった。


 声だけでその場の空気が変わり、細井の身体は自分のものに戻った。

 触れていた鉄板から後退り、声の主に目を向ける。


 そこには三人の男女。


 声の主は、濃紺の着物をまとった男。長い黒髪を左耳の下で結っている。

 その後ろには女。蝶が舞う夜空のような着物姿で、艶やかな黒髪を一本の簪で纏めている。

 そして、女の手を取って寄り添うもう一人の男は、柔らかな茶色の髪に濃茶の着物姿。


 彼らは人間ではないと、細井は感じた。纏う空気が清らか過ぎる。


「神、的な感じでしょうか」


 呟く細井の声に、女が小さく笑う。

 美しい女。目が奪われ、離せなくなる。

 これは、清らかなふりをした魔性かもしれない。そう思える程に、女へ視線が吸い寄せられた。


 女に寄り添っていた茶色い髪の男が細い身体を抱き込み、細井の視線から女を隠す。


「我らの花嫁を穢れた目で見るな、ヒトの子よ」

「お前、穢れの跡が纏わり付いていやがる。気色の悪い奴だな」


 茶色い髪の男と黒髪の男が眉間に皺を寄せ、不快感を露わにした表情で細井を見ている。

 黒髪の男が言う穢れの跡というものには心当たりがあるため、細井の好奇心は、三人がどういう存在なのかに向けられた。


「僕、オカルトマニアなんです。――それで、貴方がたはどのような存在ですか? 人では無さそうですが、神ですか? 妖ですか? そしてその女性、花嫁とは一体? あ! もしかして、狐の嫁入り的なものですか?」


 矢継ぎ早に質問を浴びせる細井に、女がくすくすと笑い声を上げた。


「好奇心が旺盛な男なのだな」


 声まで人を魅了する女だと、細井は思う。

 茶色い髪の男が大切そうに抱く腕の中で、女は微笑む。


「彼は九尾の狐。そこのは白い蛇で、びゃくだ。いわゆる神と呼ばれる者だ」

「蛇は神落ちだ」

「てめぇだって落ちかけたろうがよ」

「危うかったが、落ちてはいない」

「俺だってギリギリセーフだ」


 細井は大いに興奮した。

 目に見えるオカルトは初めてだった。好奇心が刺激され、どくどくと血管が脈打つのを感じる。


「あなたも神様なんですか?」


 まだ、花嫁が何なのかの答えをもらっていなかった。


「私は違う。まだ、半分はヒトの身」

「半分? なぜです?」

「この身がまだ、朽ちていないから」

「生きていると?」


 こくりと、女が頷いた。


「花嫁とは、どのようになるんです? そしてこちらで何を? これから、どちらに行かれるんです?」


 疑問は溢れて、止まらない。


「質問はそこまでにしろ、ヒトの子。ここは雪乃を穢す。穴の中のやつがまた何をするとも限らない」


 白蛇びゃくだという男に窘められたが、細井の興奮は収まらない。

 この場を離れようと歩き出した彼らを追い掛けた。


「九尾の狐と白蛇しろへびが、なぜ人間の女性を花嫁にされたんですか? どこから来て、どちらに向かうのでしょう? あ、あと、穴の中には何がいるのでしょうか? あぁ! 興味が尽きません! お供させて下さい!」

「うるさい男だ。少し黙れ。そして雪乃に近付くな。穢れが移る」


 歩きながら、細井から守るように茶色い髪の男が女を抱き上げた。

 横抱きにされた女は嬉しそうに頬を緩ませ、彼の首に腕を回す。

 微笑み合う二人。仲の良い恋人のようだ。

 ちらりと白蛇びゃくだに視線をやるが、彼は平然としている。

 三角関係と呼ぶには、何かが違う。事情がありそうだなと、細井は頭の中で考えた。


「俺の社は失われた。最終的な目的地は、狐の社だ」


 白蛇びゃくだが答えをくれた。

 雪乃という女に近付きさえしなければ、質問は許されるようだと細井は判断する。


「取り壊されたという事でしょうか」

「そうだ」

「なるほど。現代では信仰心も薄れていますからね。花嫁とは、どのようになるのですか?」

「精を注ぐ」

「………それは……そういう事でしょうか」


 躊躇いがちに細井が聞くと、白蛇びゃくだは口の端を上げて、そうだと答えた。

 狐と女に視線をやると、二人の顔が赤い。神も恥じらうのだなと、新しい知識に細井はまた興奮した。


「あの穴には何がいたのでしょう?」


 まだ質問するのかという、げんなりとした視線を白蛇びゃくだから向けられたが、細井はめげない。

 好奇心を満たす事が、何よりも大切なのだ。


「ヒトの想像力が作り出したモノだ。『そこに何かがいる』と、多くの人間が想像して生まれたモノ。穢れの塊」


 白蛇びゃくだの答えで、好奇心は満たされた。


 それは、ネット社会が生み出したのだろう。

 ネットで拡散され、多くの人間が読み、想像した。あの「穴」には何があるのかと。

 その結果生まれたのが、今あの穴に巣食うモノ。


 今回は大きな当たりを引いたのだと、細井は大満足だ。


「僕は細井と申します。またお姿を拝見出来たら、お話しさせて下さい」


 そうして大満足の細井は彼らと別れ、家路に着いた。

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