第9話 偽物と本物札屋

 何の変哲もない、平屋の日本家屋。

 人が住まなくなって何十年も経っているだろうその建物は、林の奥深くにあった。

 窓という窓は全て木を打ち付け閉じられており、中をうかがう事は出来ない。

 側にある井戸は枯れて、深く暗い穴と化している。


「助けて、くれるんですよね。大丈夫ですよね」


 怯えているのは二人の青年。

 青年たちの視線の先には、袴姿の男が一人。


「ここは、とても嫌な感じがしますね。祓い清めるには更にお布施が必要です」

「いくらでも払います! だから、助けて!」

「今も声が! 声が近くなってるんです!!」


 真っ青な顔をした青年二人に急かされて、袴姿の男は、ただ一つ開いていた玄関をくぐり、家屋の中へと足を踏み入れる。

 そこは、何もわからない人間から見ても異様だった。

 家具は何もない。あるのは何枚もの鏡。鏡に囲まれた中心には木彫りの人形と、その下に大量の、真っ黒な髪の毛。


「あれに、触れたんですか?」


 男が振り向き聞くと、二人はこくこくと頷いた。


 青年たちは、友人と三人で肝試しと称してここを訪れ、無理矢理玄関を開けて中に踏み込んだらしい。

 その時、仲間の一人が鏡の中心の人形に触れ、気が触れた。

 狂ってしまったその友人が死んでから、二人には奇妙な事が起こるのだという。


 誰かにいつも、見られている。


 夢の中で、死んだ友人が彼らを呼ぶ。


 最近では目が覚めていても声が聞こえ、段々と近付いて来ているのだ。


 そうして命の危険を感じた二人は、インターネットで調べた祓い屋に助けを求めた。それが、二人の視線の先にいる男だった。

 二人が話さずとも死んだ友人の特徴を言い当てたために、祓い屋の男は本物なのだと信じて、少なくない額を前金として払っている。


 袴姿の男が木彫りの人形へと近付き、袂から札を取り出した。


「あー……。その札やめたら? これ、君の手には負えないよ?」


 一つしかない出入り口から投げられた、制止する声。

 声の主は、パンクファッションに身を包んだ若者だった。ピアスだらけのその若者へ振り向いた袴姿の男は、不愉快さを顔全体で表す。


「また邪魔をしに来たのか。お前もそこで見ていろ」


 どうやら、知り合いらしい。


「やめないと、喰われるよ」


 言いながら若者は、「失礼」と断りを入れてから、何かを青年たちの背中に貼った。


「それ、外さないで下さい。事が終わるまで」


 若者が何者で、何を貼られたのかはわからないが、青年たちは素直に従う事にする。

 この恐怖から解放されるのであれば、何だってよかった。


「俺は止めたからね」


 袴姿の男は、イラついていた。


 この若者は知り合いだ。

 彼はこうして何度も、男の仕事の邪魔をしに来る。この仕事から足を洗って、普通の仕事をしろと勧めて来るのだ。

 同業者を排除しようとしても、そうはいかないぞと男は歯軋りし、手の中の札を木彫りの人形へと貼った。


「あ〜ぁ」


 若者の声は、もう二度と、男の耳には届かない。





     ※






 庭にはためくのは洗濯物。

 縁側には男と女。

 男は、ふわふわした茶色の髪に濃茶の着物姿で、女を愛しそうに、とても大切そうに腕に抱いている。

 女は、唐花模様の華やかな黄色い着物姿で、男の腕の中で目を閉じていた。


「相変わらず、九尾と雪乃は仲良しだね」


 そんな二人に声を掛けたのは、下唇にピアスを付けたパンク系ファッションの若者。

 染めていない黒髪は短く切られ、ワックスでおしゃれに整えられている。

 そんな若者をちらりと見て、九尾と呼ばれた茶色い髪の男は、女の頬を優しく撫でて起こす。


「雪乃。忠義ただよしだ」


 女の瞼が震え、ゆるりと目を開けるのを、黙って若者は見つめている。

 若者の後ろには、陶器の酒瓶を肩からぶら下げた別の男が一人。濃紺の着物姿のその男は、黒髪を片側の耳の下で緩く結っている。


「久しいな、忠義ただよし


 目を覚ました女に話し掛けられ、忠義ただよしは微笑んだ。

 縁側に座布団が用意されて、そこへ腰掛ける。


白蛇びゃくだも変わらず酒ばかり。変わるのはヒトの特権かな。あ、雪乃は前より更にきれいになったね」

忠義ただよしはまた、穴が増えた」


 忠義の両耳には無数のピアス。それを見て、女が笑った。


「祓い屋の仕事で札、減るだろう? そろそろいるかなって思って、来た」

「助かるよ。びゃくもきゅうちゃんも、祓う事は出来ても封じる事は苦手だから」

「向き不向きだね。神が封じてしまうと力が強過ぎる。ヒトにも影響が出るだろう」

「私は、引き寄せる事しか出来んがな」


 自嘲気味に女が零すと、濃茶の着物の腕が、背後から柔らかに女の体を包み込んだ。

 女は未だに、茶色い髪の男の、膝の上。

 抱き締められた女は幸せそうに、表情を緩ませる。

 穏やかな空気を醸し出す二人の隣にどかりと、黒髪の男が胡座をかいて座った。


「そういえば忠義ただよし。お前の札の文字を真似た偽物を見掛けた。心当たりはあるか?」


 黒髪の男に問われ、忠義ただよしは苦く笑う。


「あれだろう? 道を閉じず逆に開けてしまったり、封じず引き寄せてしまったりのやつ」

「この界隈でよく見る。知り合いか」

「半端に力があって、自分を過信する人だった。雪乃たちに会う前だったかな。うちで面倒見てたことがある」

「やめさせないと、その内、喰われるぞ」


 黒髪の男に顰め面を向けられた忠義ただよしは、僅かに目を伏せ、答える。


「もう、喰われた」


 再三注意はしたが取り合わず、自分の力に見合わない仕事をして喰われたのだと、忠義ただよしは淡々と話す。


「ヒトの呪いが溜まった場所。封じて来たけど、また溢れ出すだろうね」


 呪詛は、安易に手を出すものではない。

 時として、己の意図に反して大きく膨らみ過ぎて、人の手には負えないモノとなる。


「ヒトも、怖いな」


 去って行く忠義ただよしを見送りながら呟いた雪乃は、九尾の胸に背を預ける。

 雪乃を腕に抱き、九尾は彼女の耳元へと頬を寄せた。


「ヒトの思考は時として、我らには理解出来ん」

「大抵の場合、穢れを生むのはヒトだ。だが忠義ただよしは、きれいなもんだ」


 身を寄せ合う二人の隣で、まだ日も高いというのに白蛇びゃくだは、瓶から直接、酒を飲む。


忠義ただよしは私の逆だからな。……羨ましい」


 三人が住む場所に流れるのは、清浄な空気。

 まるで時が止まったかのようなその場所で、九尾の狐と、白い蛇と、その花嫁は、祓い屋を営む。

 それは花嫁が、人の世との繋がりを持ち続けたいがため。

 それともう一つ。狐の社を、守るため。


 変わり行く人の世。

 忘れ去られ、存在価値を失う視えざるモノ。


 彼らは寄り添い、今日もそこに、在り続ける。

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