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七月中旬、気温だけでなく湿度も高まり蒸し暑い日々が続く。昼休み、生徒や教師がゾンビのように冷房の効いている室内へ向かう中、私はひとり藤棚のある中庭に立っていた。美術室の不思議を解いたのが六月末、それから実に三週間も経っているのだが、何もないままこうして毎日立ち尽くしている。
いや、何もないとは言ったものの、進展はあったのだ。とても大きな進展が。しかしこのまま進んで良いものか、私は悩んでいる。
どうしてこんなことに…。拭いても拭いても汗が止まらない。うだるような暑さに視界がぼやける。うぅ、頭がくらくらしてきた。室内に戻らないと、と歩き出すがうまく力が入らない。声も出せないままゆっくりと倒れ込み、私はいよいよ意識を手放した。
生徒になってもう十年目になるが、保健室を利用するのは初めてだ。しかも運び込まれるなんて。養護教諭によると、私は熱中症で倒れたらしい。でしょうね。運び込まれた経緯としては、たまたま近くを通りがかった英語教師が見つけてくれたとのこと。ありがたい気持ちと同時に、迷惑をかけて申し訳ないという気持ちも湧いてくる。お礼を言いたかったが、もうすぐ五限が始まるということで既に行ってしまったそうだ。また、ご丁寧に塩分補給のタブレットを置いてくれていた。うーーん、イケメンすぎる。
「熱中症で倒れた」というのは何だか恥ずかしくて、クラスの人達にバレないように私も五限に出席しようとしたが、当然止められた。私のクラスの五限は体育なのだ。
「いくら軽症で回復したからって、すぐにまた外に出るなんてありえない!」
とこっぴどく叱られてしまう。ぐうの音も出ない。仕方ないがここで休むとしよう。
そうして私は休みながら藤棚のことを考えることにした。藤棚はB棟とC棟の間の中庭にあり、明るすぎず暗すぎずといった影の具合が良い場所なのだが、なぜか誰一人利用していない校内過疎地の一つだ。中央に置かれている大きなテーブルは見るからに木製であるのに対し、ベンチはいかにも自動販売機の隣に置いてありそうな色褪せた青色のプラスチック製である。人がいない原因はこの統一感のなさでは…。こんな何もない所では美術室のような機械仕掛けは難しいだろう、と思いつつもその日私は隅々まで調べた。
調べ始めて五分と経たないうちにそれは見つかった。いつもの「★シールと次の場所」だ。テーブル裏にあった。大きな進展というのはこのこと。だがしかし、肝心の不思議については何もわからなかった。その日から今日まで、実に三週間かけて探しているのだが、未だ見つからないままである。美術室の時と違って何の前情報もないため、何が不思議なのか全く見当もつかない。いったい私はどうすれば良いのだ…。
「→B棟トイレ」次の不思議の場所。これがわかったのだから、次に進むことは一応できる。できるのだが…肝心の不思議が未解決というのはすごくもどかしいもので、やはり放ったらかしで次の不思議には進めない。私は、全部知りたい。
しかし、あそこには本当に何もないのだ。何もおかしな所はない。三週間も見てきて何もないなんて信じたくなかったが実際そうなのだから、私は疑心暗鬼になっていた。思考の末辿り着いた答えは、「七不思議は本当にあるのか」。本当は七つもなくて、美術室の不思議を解き舞い上がった私のような奴を
「えーっと内海さん、嫌だったら言わなくていいんだけど…どうして中庭にいたの?」
美術室の時と同じく、不思議については口外禁止だ。ここは適当に返事をしておく。
「あーー、私、藤棚が好きなんです。日陰の具合が丁度いいというか…まぁとにかく落ち着くんです」
「ん?あぁ、藤棚ね!私てっきり何もない中庭にいたのかと…ほらA棟とB棟の間の。そっかぁ、もう一つ隣の方だったのね。ってことはここから結構距離あるわね…。あの人すごいわぁ、内海さんのことお姫様抱っこで運んできたのよ」
お姫様抱っこ
「お姫様抱っこなんて久々に見たわぁ。私もやってもらおうかしら。
あ、そうそう、藤棚の話だったっけ。内海さんって外に出るタイプじゃないでしょ?肌だって白いし。だからなんで中庭にいたのか私不思議に思ってたんだけど…、藤棚が好きな子なんているのねぇ。今度暇な時にでも行ってみようかしら」
なんかもう楽しい人だな。負の感情が浄化されていくのを感じる。
「あ、でも、もうすぐ草刈りやるから当分中庭には入れないわね。あ今のは別に『庭』と『には』をかけたわけじゃないわよ。
今日でわかったと思うけど、もう暑くなってきたから外に出るのは控えてね。あと、水分補給はこまめにね。塩分も忘れちゃだめよ」
マシンガントークに頭が追い付かなくなりそうだが、今大事なことをさらっと言っていた気がする。「当分中庭には入れない」だって?これ以上時間がかかるとなるとさすがに焦る。早く見つけないと…。
結局その後も会話(ほとんど彼女が喋っていた)が続き、五限終わりのチャイムが鳴るとようやく私は解放された。話好きのおばちゃんという感じだったが、まぁ嫌いではないな。
放課後、私は懲りずに藤棚に居た。もう最近では自分から探すことをせずに、ただひたすら不思議が起きるのを待つようになっている。ただ待つだけでは退屈すぎるため小説を用意するようになったのだが、既に二冊目の半分くらいに差し掛かっていた。それくらいに何も起きず退屈だ。結局その日も何も起きず、十八時頃に下校した。
そして週が明けて昼休み、藤棚へ向かうと、養護教諭が言っていた通り草刈りが行われていて入れなくなっていた。この学校の中庭は雑草や低木が多いため、作業には結局一週間ほどかかっていた。もし草刈りによって不思議が起きなくなってしまったらまずい、と思っていたのだが、先に結果を言おう。
草刈りが終わって中庭に入れるようになったその日の内に、私は不思議を目撃することとなった。
七月末、昼休み、一向に不思議に遭遇しないことを不安に思いながら藤棚へ向かう。昨日で草刈りの作業が終わったらしく、今日からまた自由に立ち入れるようになったため早速調査をすることに。調査というか、ただ待つだけなのだが。
中庭の雰囲気はガラリと変わっていた。雑草はなく、鬱蒼としていた低木の
リベンジの放課後、私は昼休みと変わらず本を読み始める。展開がクライマックスに入りなかなか面白くなってきたため、今日は最後まで読み切るつもりだ。不思議三割、小説七割の具合で集中する。
……面白い。解けたかと思われた謎に新たな可能性が見え始め二転、三転…、主人公が辿り着いた全てに納得できる答え…、そしてエピローグで明かされる真実…、面白すぎる。これ程までに面白い小説が世の中にはまだまだ存在しているのか、と読了し感慨に浸っていたところ、日が傾いて周りが暗くなり始めていることに気が付いた。十八時前、この地域は夏であっても暗くなるのが早い気がする。
小説への感動のあまり不思議のことを忘れていた私は、そろそろ帰るか、と荷物を持って立ち上がる。すると、視界の端、藤棚の隅に人影があることに気付いた。あまりの驚きで数ミリ地面から飛び上がる。心臓が
いくら本に集中していたからと言っても、人が近づいて来たらさすがに気付く。そして、誰も近づいて来ていないと私は知っている。
その人影の正体が何なのか「わからない恐怖」に襲われながらも、私はゆっくりと視線を人影の方へ向ける。そこにあったのは…。
人影だ。それは文字通り、人の形をした影だった。ただし、とてつもなく人に似た影。頭部と胴体、そして腕が存在するその棒立ちのシルエットは、この距離から見ても間違いなく人に見える。私は直感的に理解した、これが不思議の正体であると。これは明らかに調整されて生まれた影だ。しかも「草刈りが終わる」、「とある角度まで日が落ちる」という二つの条件付きの。
影は低木によるものが大半だが、よく見ると腕と胴体の境目辺りに僅かな隙間がある。生暖かい風が中庭を吹き抜けると、その腕と胴体ははっきりと分離し歪んだ。どうやら腕を作っているのは低木ではなく他のものらしい。夕日の角度から影の元を辿ってみると、藤棚の
夕暮れの帰り道を行く。後味は悪いが、藤棚の不思議が解けたことでかなり肩の荷が下りた。この不思議に関してはタイミングが悪すぎたのだ。剪定前は人影とは最もかけ離れた状態だったため無駄に時間がかかってしまった。でもまあ、珍しく大当たりの小説に出会えたのだから許してやってもいいかな。
そしてこれでようやく進める。いよいよド定番の、トイレの不思議だ。
八月に入り夏休みまで残り二週間といったところ。私がやるべきことはもちろん、トイレの調査だ。B棟は主に二年生が使っている校舎で、一年生の私が何度も通うのはアウェイ感があって気が引けるのだが、幸いトイレはひと階に一か所の計四か所。しかも、そのうち四階のトイレはつい最近改修工事をしたらしい。つまりその四階には不思議がなく、あるとするなら残りの三か所ということになる。
それに、今回はトイレの不思議なのだ。当然、誰もが知っているアレを期待する。もしアレなら、三か所なんてすぐに終わるものだ。
六限後の校内掃除が終わり、とうとう放課後がやって来る。
いざ、「花子さん」の元へ。
こちらも先に結果を言おう。
女子トイレには花子さんなど居らず、また、他の不思議も見つからなかった。そう、女子トイレには。
つまり、つまりだ。この不思議は、男子トイレに存在する。
どうやって調べる……?
蒸し暑い体育館での終業式が終わり、夏休みが始まった。
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