今までで一番寝覚めの良い朝が来た。家と学校が近いためいつもならギリギリの時間に起きるのだが、今日はいつもより一時間早く目が覚めた。早起きで気分が良くなるのは実に久々だ。

 いつもならまだ寝ている時間帯に諸々の準備を済ませておき、私は今日の予定を落ち着いて確認する。


 音楽、書道、そして美術のうちから一教科を選ぶ選択授業は週に一回、二限分を使って行われる。つまり今日不思議を見つけられなければ、一週間待たないといけないことになる。別にこの時間にしか探せないわけではないが、うちの学校の美術部はかなり活動的なようで、放課後だけでなく昼休みにも、美術室では部員何人かがそれぞれ思い思いの創作活動をしている。そんな空間で異分子が十分も二十分もうろうろできるはずがなく、やはり自由に動けるのは、授業内で好きなだけ取ることができる休憩時間中ということになる。

 美術講師の方針により、課題が間に合うのであれば授業時間内の休憩は個人で自由に取ってよいことになっている。休憩と言っても一応授業中のため外に出ることは許されないが、室内で何をしていても、よほどの場合以外はとやかく言われない。いつもなら休憩は取らないのだが、今回はありがたく使わせてもらおう。先週から始まった水彩画の課題はまだまだ終わる気配がないが、不思議には心当たりがあるし今日一日くらいなら割り振っても大丈夫だろう。


 準備が早くに済んでいたため、学校にはいつもより早めに着いた。美術の授業は一限からであるが扉の鍵はまだ開いていないため、実は早めに登校しても何の意味もなかったということに気付く。これがらされる気分か。今すぐにでも行動したいのに、待ち時間はまだ三十分ほどある。仕方なく私は、美術室の不思議として心当たりのある現象を思い返すことにした。

 私が覚えている限りでは、その現象はこれまでに二回起こった。もしかすると、それが「おかしい」と気付く以前にも何回か起こっていたのかもしれない。


 美術室には面積の広い机が多くあり、そのほとんどは道具などの備品や作品を置く用として使われている。作業用として使われるのは二つほどのため少しかわいそう。備品の中でも「絶対誰も使わないだろ」と思うようなものは、机とともに部屋の後ろに追いやられている。例えば謎の木の板や、球体の模型、石膏像などだ。それらは埃かぶっているため、どうやら部員にすらも使われていないらしい。

 初めてその現象に気付いたのは、ある日の授業中だ。影のつけ方の説明を聞いていたところ、部屋の後ろからゴトゴトと何かが揺れる音がした。私は一番後ろの席だったため気になって振り返ってみると、何席か隣の、別のクラスの女の子も同じように振り返った。その日は一番後ろにいるのが私とその子の二人だけだったためお互いに振り返ったのが見え、自然と顔を見つめ合うことになった。どちらもキョトンとしていたが、授業に戻るため首をかしげてその場の空気を流す。どうやら物音に気付いたのは私達だけだったらしく、前に向き直ると他の皆は既に影の練習を始めていた。

 その後、一限と二限の間の休憩時にさっきの子が話しかけてきた。

「さっきさぁ、なんか後ろで変な音しなかった?」

「うん、した。なんか揺れる感じの音だった。ケータイのバイブに近いかも」

「あーそれだぁ。誰か忘れちゃったのかなぁ」

「うーん、たぶん美術部の人じゃない?」

「あー、じゃあさ、わかりやすい所に置いといてあげない?」

私は別に放っておいてもよかったのだが、ここで断ると印象が悪くなると思ったため彼女の善意に応えることにした。

「そうだ、ね。じゃあ一緒に探そ」

 部屋の後ろに行き机の上を一通り探してみるが、スマートフォンや携帯電話のようなものは何一つ見当たらない。一応机の下も覗き込んで確かめてみるが結果は同様。さすがに諦めたようで、

「あれぇ、聞き間違いだったのかなぁ」

と立ち上がる。しめた、これで終わらせよう。

「あの時、先生がスライド黒板動かしてたからその音かもね」

「えぇーそんなことあるかなぁ」

「でもケータイがない以上そうなんじゃない?きっと反射かなんかで後ろから聞こえたんだよ」

自分でも何を言っているのかわからないが……

「うーーん、まぁ見つからないんじゃしょうがないかぁ」

なんとか納得してくれたようだ。

 そんなわけで、この一件は終わったものだと思っていた。だけどその一週間後、私はもう一度遭遇した。今度は私だけが。

 二回目の遭遇は授業中ではなく、授業が終わった直後のタイミングだった。その日の課題は自分の手のデッサンで、二限分を使ってその日の内に完成させないといけなかったが、私は影にこだわってしまって授業時間を少しオーバーした。なんとか完成したが、片付けをして教室に帰ろうとした時には、周りには美術講師を除き誰もいなかった。遅れたことに若干の恥じらいを持ちつつも課題を提出し、黒板をきれいにしている彼女に挨拶してから美術室を出ようとしたその時、またしてもあの物音がした。

 耳にした瞬間、全身に鳥肌が立つ。不意だったにも関わらずはっきり聞こえてきたその音は、携帯電話でも黒板を動かす音でもない。それなのに、違うとわかるのに、その音の正体がなんなのかはわからないままだった。一応前回と同様に前を向き、先生にも聞こえていたか観察するが、何も聞こえていない様子で上下を入れ替えた黒板をきれいにしていた。どうやら音を聞いたのは私だけらしい。

 これ以上は踏み込んではいけないと思い、あの音に関してはそれから考えないようにしていた。しかし美術室から逃げるように出たあの時、私は視界の端であるものを捉えていた。それは、埃をかぶった一つの石膏像。机の上に鎮座するその石膏像はまるで外を見ているかのように窓の方を向いている。その底、机と接触している所に埃が乱れた跡があり、その部分だけ机の木目がはっきりと窺えた。つまり。

 石膏像が、僅かに移動していたのだ。


 と、丁度ここでチャイムが鳴る。話を整理していたうちに、出席確認やら連絡事項やらのSHRショートホームルームが終わったらしい。この十分の休憩を終えたら、いよいよ一限目の授業が始まる。

 私は静かに深呼吸をし、荷物を持って席を立つ。これからの期待に口元が綻びそうになるが、なんとかポーカーフェイスを保ちつつくだんの美術室へ向かった。

 扉の鍵はもう開いていて、既に数人が席に座っていた。私も座ろうと向かったその時、

ゴトゴト

とあの音が聞こえてきた。


 いくらなんでも早すぎる!

 さっき話を整理していた時、この現象には何かきっかけがあるように思えた。これからそれを探そうと思っていたのに、早速起きてしまうとは。まずい、早く観察しないとそのきっかけを見逃してしまう。

 私はすぐさま部屋を見渡す。私以外の生徒は席に座ったままで、特に怪しい動きはしていない。美術講師もただ黒板にコピー資料を貼っているだけだ。じゃあ、トリガーは一体何なのだ。私が部屋に入ったからか?いや、それなら授業中に起こった説明がつかない。暫時の観察ののち、結局わからずじまいで私は席に座った。惜しくも見逃してしまったが、今は気持ちを切り換えて次に起こるのを待とう。起こるのが一日一回でなければの話だが…。

 最初から休憩を取るわけにはいかないため、先週決めた大まかな構図と内容を画用紙に下書きしていく。ひと段落ついたところで、いつ次が起こるかを警戒しながら何がトリガーなのか考え始める。とりあえず、共通点を探してみよう。

 先ほどのも含め三回の不思議を目の当たりにしたわけだが、その全てに共通していることや状況はあるか。まず当たり前だが、私がいたということ。それと美術講師もだ。そうだ、こうなると彼女が怪しくなってくる。だけど彼女は特に変なことはしてない。先生らしく黒板をきれいにし、先生らしく資料を黒板に……。そうか、黒板だ。全ての状況で、先生が黒板に触れている。いや、正確に言うと、黒板を動かしている。

 もしスライド黒板を動かすことがトリガーとなっているのであれば、ある程度の辻褄は合う。九割くらいは正解だと感じるがしかし、ここである疑問が湧いてくる。本当に黒板がトリガーであるというなら、もっとこの現象に遭遇しているはずなのだ。あのスライド黒板は、ほとんど毎回の授業で動かされている。にも関わらず今日までに二回しか遭遇していないのはおかしいのではないだろうか。もしかしてまだ見逃していることが…?いや、それはまぁ後にして石膏像と黒板を調べよう、と決めたところで、一限の終わりを告げるチャイムが鳴った。


 黒板は授業終わりに調べるとして、まずは石膏像からだ。できれば二限が始まるまでのこの十分休憩で済ませたい。私は席を立ち、石膏像や立体模型が置かれている後方へ足を運んだ。

 例の石膏像を色んな角度から観察する。よくある西洋人の顔の石膏像で、外見におかしな所は特に見当たらない。強いて言うならば、他の石膏像とは違って耳や目に小さな穴が空いている点だろうか。現実の人の顔を再現しようとしただけなのかもしれないため何とも言えないが、ただ、鼻にだけ穴が空いていない点は少し引っ掛かる。再現するなら鼻の穴も空けるはずだ。それにもし技術的に鼻の穴を空けることが難しくても、削るなりなんなりでそれっぽくできたはずだ。うーーん、と唸りながら観察を続けていると、

「内海さん、大丈夫ですか?」

と美術講師が声を掛けてきた。

「授業中ずっと手が止まっていたみたいだから、どうしたのかなって」

さすがに何もしなさ過ぎたか。言い訳考えてないな、どうしよう。

「えと、絵に人を描こうと思ったんですけど、顔の角度に悩んでて…」

人を描くつもりはなかったがこうなっては仕方ない、後で描き足しておこう。

「それで、ちょっとこの像動かしてもいいですか」

おお、急ごしらえの言い訳にしてはなかなか良い出来ではないだろうか。我ながらファインプレー。

「うん、いいですよ。…そっかぁ、人の顔って難しいもんねぇ。ちなみにどの角度にするかって、ある程度決まってる?その、横からもそうだけど上下の角度もあるから…」

「あーー、いえ、俯瞰とかはしてないです。それに遠目に描くつもりで…………?」

思わず石膏像を動かす手を止める。

「………軽い」

実際に持ったことなどないが、石膏像にしては明らかに軽いとわかる。これはまるで…。

「あぁこれね、中が空洞になってるみたい」

やはり。ということは中に何か仕掛けが…。と、今すぐ調べたいところだがその前に先生をやり過ごさなければ。

「もしかしてバッタもんですか?」

「ふふ、そうかもね。でも多分、卒業生の作品だと思うよ。先生、今年で五年目になるんだけど、この学校に来た時からもう置いてあったし。それに手作り感というか、個性が見える部分も少しあるし売り物ではないと思うよ」

 卒業生、手作り…。掟本も手作りだったのだ。一から仕掛けを作っていてもおかしくない。いったい石膏像の中に何があるというのか…と、ここで二限が始まるチャイムが鳴った。席に戻る前にもう一度像を確かめておく。中に何かあるのはもはや間違いないのだが、それの取り出し口がさっきから一向に見つからないのだ。

 皆が席に着き作業を始めていく。どうやら石膏像についてはここまでのようだ。像から離れて私も席に着き、おとなしく絵の下書きに人を描き足し始めた。


 授業終わり、私は先生にあるお願いをした。「視力が落ちてきて、後ろの席で黒板の字が見えるか不安なので確かめてもいいですか」と、ついでに上下に動かしてもらうようにもお願いした。もちろんこんなのは嘘だ。これで不思議のトリガーが黒板であるかを確定させる。…今日は先生に嘘しか言ってないなぁ。ホント申し訳ない。

 適当に字を書いてもらって、動かしてもらう。物音はしない。見当違いだったか?いや、決めつけるのはまだ早い。

「『さ』と『き』を見分けられるか確かめたいのでもう一度お願いしてもいいですか」

二回目のスライド、今度は音が聞こえた。

 同じようにしてもう二回動かしてもらった結果、四回のうち二回音が鳴った。ほぼ確定。あとはどういう仕組みか突き止めるだけだ。ある程度予想はついているから、その調査は昼休みでもいいだろう。

 先生にお礼を言い、荷物を持って美術室を後にする。扉を出る直前、先生が黒板を動かしたのだろうか、またしても例の石膏像がゴトゴトと僅かに揺れていた。


 昼休み、美術室には数人の部員がいたものの美術講師の姿は見当たらなかった。今なら調べられると思い、スライド黒板の前に立つ。

 黒板と石膏像が連動していることはまず間違いないだろう。それに、黒板が動いてから石膏像が動くまでに数秒のタイムラグが発生していることから、この二つは直接的に繋がっているのではなく間接的に繋がっていることがわかる。つまり、機械類を経由しているのだ。

 私は黒板を動かし、手前側と奥側のボードが重なるように調整した。これで下にスペースができ、スマートフォンを入れられるようになる。カメラを起動し内カメラに切り替えて確かめていったところ、予想していた通り、奥側のボードの裏面左上に何かが取り付けられていた。

 予想通りに事が運ぶと気持ちが良いものだ。その嬉しさと、これから不思議の正体を目にするワクワクとで、私は高揚していた。そうして周りの目を気にしない無敵モードに入った私は、部員がいるにも関わらず椅子の上に立って黒板裏のそれを確かめようとする。が20センチほど高さが足りなかったため、腕を伸ばしてなんとか高さを補い、カメラで二、三回撮影する。椅子の上に立ったまま写真を確認してみると、そこには意外なものが写っていた。

 黒板裏のそれはモーションセンサーと呼ばれるもので、物体の動きを検知する装置らしい。あまり機械に詳しいわけではないので、ウェブに書かれていることはそれ以上わからなかった。つまるところ今回で言うと、黒板の動きを検知していたということになる。そしてその信号を石膏像に送ったのだ。おそらくあの石膏像の中には、受信機と、振動させる装置が入っているのだろう。なぜか完璧に受信しているわけではなさそうだが…。

 話を戻そう。意外なものというのはもちろん、モーションセンサーのことではない。撮影した際に写り込んでいたそれは、撮影することを予測していたのか、次の不思議の場所だった。掟本と同じように「★のシール」とその近くに「→藤棚」の文字が書かれている。美術室は解けた。これで、に進める。

 ふぅ、と息をつく。ずっと椅子の上に立っていたことに気が付き、慌てて降りた。周りの部員は私のことを見ないようにしてくれているようだ。その気遣いが逆に痛い。

「失礼しました」

と少し震えた小声で呟き、そそくさと美術室を後にする。


 ひと段落ついたということで、疲労感がどっと押し寄せてきた。今日は忙しかったなぁ。頭使ったし嘘ついたし、最後に恥までかいた。長い息を吐きながらスマートフォンを取り出し、アルバムの写真を再度見る。「★→藤棚」さすがに今日は無理だ、これはまた明日だな。と決めたところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 退屈な午後の授業が始まる。やり切った私が舟を漕いでしまうのは、仕方のないことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る