穏やかに毎日を過ごしてきた。何のトラブルも起こさず中学を卒業し、家から最も近い公立高校に進学。高校でも同じように過ごすつもりでいたし、実際浮かれ気味の周りよりは落ち着いて入学後の春を過ごした。どれくらい落ち着いていたかというと、そう…、一言も話さないほどに、だ。


 夏に入り高校の生活にも慣れてきた頃、昼休みにいつも通りぼっち飯をキメ込み、クラスの女子グループの会話を何の気なしに聞いていると、

「この学校さ、変なこと起こる噂あるらしいよ」

「なんかそれ知ってるー、十年くらい前に工事してからいろいろ起こるようになったって先生言ってたー」

「えーそれってさ、工事の時になんかヤバいもんが出てきたってことじゃない?」

とのこと。あるあるだなぁ、と私は内心思ったが、確かに、三ヶ月ほどこの高校で過ごしてきて頭に引っ掛かっていることはいくつかある。

 と、ここで小学生の頃の嫌な記憶がフラッシュバック。もうこれ以上気にしてはいけないと思った私は、会話の続きを聞いてしまわないよう教室を出た。行く当てが思いつかなかったが、夏休みの課題に読書感想文があることを思い出し、適当に良さそうな本を借りようと私は図書室へ向かった。


 図書館とか本屋に入るとお腹痛くなるんだよなぁ、などと思いつつ本を探すが、最大2000字の文量を書けるようなものは簡単には見つからなかった。いつから性格がひねくれたのかわからないが、私はPOP付きでおすすめされている本には決して手を出さない天邪鬼のため、一向に本を決められずひたすらに図書室内を徘徊し続けた。

 やがて探すことすら飽きるようになり、私は貸出不可の何だかよくわからない分厚い本が並ぶ書架を眺めていた。ふと、一番下の左端の二冊ほどが、隣の何冊かよりもわずかに飛び出していることに気付く。揃っていないと何だか気がかりになるためその二冊を押し込むが、ぴったり奥まで入っているようでそれ以上動かない。。同じ種類の本なのに、この二冊だけ

 どういうことかと本を取り出そうとしたその時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。我に返り、私は今、これまで避けてきたものに踏み込もうとしていたのだと気付いた。「やれやれ」と若干の自己嫌悪になりながら図書室を後にし、教室へ戻っていく。

「さっきのは見なかったことにしよう」

誰もいない渡り廊下を急ぎ足で歩きながら、そう独り言を自分に言い聞かせた。


 午後からの授業というのはとてもつまらなく感じるもので、それは「お昼ご飯を食べる」という大きな目標を達成したためではないかと考える。午前中の授業は、「お昼」という確かに約束された安息が待っているためまだ頑張れるが、午前を乗り切った達成感とお昼を食べた満足感から、午後は気が抜けてしまうのだ。人は目標を達成すると、無意識に油断して気が抜けてしまうものなのだ。そうして私はいつものごとく舟を漕ぎながら、耳に入ってくる呪文を読めるかギリギリの字でノートに書いていく…はずだったが、今日はずっと目が冴えている。原因ははっきりとわかっていた。

 忘れよう忘れよう、と抑えつけるほど逆に意識してしまうのだ。つまらないことには変わりない授業に集中できるはずもなく、さっきのことを思い出しては無心に、思い出しては無心にというのを繰り返しているうちに、悶々とした気持ちは強くなっていく。やがて例の「噂」と図書室での出来事を結び付けて考えてしまってからは、更にその気持ちが強くなってしまった。いけない、これは結構なストレスになる。これまで通り穏やかに過ごすためにも……。

 私が出した結論は、キリの良い所で身を引くというものだ。は「おかしい」というだけで別にオカルトではないのだから、確かめるだけ確かめてスッキリさせようと考えたのだ。なんと心の弱いことだろうと自分に呆れつつ私は放課後、再び図書室に足を運んだ。


 その棚は部屋の奥の方にあり、その配置の角度的に例の本を調べていても入口からは棚に隠れて見えないようになっている。また、周りにもいくつか書架があるためその場所はほとんど死角となり人目につかない。この「死角」というポイントも追加され、ますます怪しくなってくる。別にやましいことをするわけではないのだが、私は一応周りに見られないようにその棚に向かった。

 再度本を押し込んでみるがやはりその二冊は飛び出したまま動かない。私は静かに一息つき、なかなかに重量のあるその本を取り出した。これは書誌というらしく、論文やら記事やらの文献をリスト化したものらしい。パラパラとページをめくってみるが、漢文かと思うほどに漢字が羅列された文献以外に特におかしな所はない。

「じゃあ」

と、隣の飛び出していない方の書誌を取り出し奥行を確かめてみる。がしかし、その寸法は全く同じだった。これらの本は、何らおかしな点がない普通の本だ。となると、棚の奥に何かがつかえているということになる。

 ほとんど土下座に近い姿勢で奥を覗き込む。今だけは誰にも見られたくないと願いながら確かめる…が、予想に反し奥には何も見当たらない。そんなばかな。。何に期待して焦っていたのかわからないが、私はここで止まることができなかった。日焼けしていない白い腕を奥まで入れ何かないかと探る。と、指先に違和感があった。この棚は木製であるはずなのだが、指先の感触はまるで別物に触れているかのようだった。試しに棚の側面を触ってみると、やはり奥の面とは感触が違う。見ただけでは気付かなかったが、確かに奥に何かがある。

 上下幅がほぼ棚にピッタリの証書入れのようなもので、ご丁寧にカバーが棚と同じ木目調に塗られている。覗き込んだ時に気付けなかったのはこのためだ。まるでこうなることを予測していたかのようなそれに若干の不気味さを感じつつ、おもむろに開いていく。中にはA4サイズの上質紙が挟まれており、そこにはボールペンと思われるインクでいくつかの文が書かれていた。


『七不思議の掟』

 ・損害が生じないものを…物損や傷害、著しい水の消費等は避ける

 ・イタズラと思われないものを…警戒され、調査されてしまうと厄介なため

 ・可能な限り遠隔で作動できるものを…毎回現場で作動させているといつか怪しまれてしまうため

 ・長くもつものを…卒業後も作動し続けることが望ましい

 ・口外を禁ず


「んぇ??」

てっきり地図やら暗号やらが書かれているものと期待していたため、私はなんとか現状を理解しようと脳内CPUを働かせるが、見事にフリーズ。

 その後、なかば放心状態で掟なるものを見るともなく読み返していたところ、下の余白に★のシールが貼られていること、またその下に「→美術室」と記されていることに気付いた。七不思議の一つは美術室にあると、そう表しているのだろうか。もしかして……と心当たりがあるが、それを考えるのは一旦中断し、この掟から読み取れることは何かあるかと確かめていく。

 まず、この本によると七不思議は作られたものであるということ。よってこれはオカルトではなく、ミステリーであるのだと認識を改める。少しだけ心が軽くなった気がした。

 また決定的なのは、この掟を作ったのは生徒であるということ。わざわざ「卒業後も」と書いてあるから確定だ。それと、おそらくその生徒は既に卒業しているということ。もしこれが「噂」に関わるものだとすると、十年近く前からここにあるということになる。さすがに未だ留年しているなんてことはないだろう。ただ、これが「噂」の不思議だという確証はなく、別の新たな不思議ということも考えられる。十中八九、既に卒業していると思うが、まあそれはこれからわかっていくことだろう。

 四つ目以外の項目に関しては、とにかくバレないことに徹底しているらしい。実際、これがもし「噂」の不思議だとすると、十年間バレていないわけだからなかなかの本気度を感じる。それに、「損害が生じない」なんと立派な掟だろう。胸に刺さるよ。

 こんなもんか、と一息ついたところで時計を見ると十七時前だった。微妙にお腹も空いてきたため、掟本おきてぼんを戻し元の状態にしてから帰路に就いた。


 そういえば、あの掟本の存在は七不思議の一つに含まれるのだろうか。急坂が続く帰り道を歩きながらふと思い返す。それもまぁ、今後調べていくうちにわかっていくことか、と結論付けたところであることに気付く。

 私は、この七不思議を許している。今、さも当然であるかのように「今後調べていく」と私は考えていた。これまでオカルトを避けていた身であるのに、今回は寧ろ積極的に関わろうとしている。それはなぜなのか。おそらく、オカルトではないという点、また、損害が生じないと約束されている点でこの七不思議を許容するに至ったのだろう。オカルトではないし、迷惑にもならない。なんとも言い訳がましいと自分でも思うが。

 しかし、この気持ちを抑え込むことも無視することも既にできなくなっていた。私は確かに、ワクワクしていた。この激しい鼓動は、坂道を上っているからではないとわかっていた。「本物の七不思議」、そう知っているのは私のほかにもいるのだろうか。それに、あの掟を作った人は今何を?この先どんな不思議がある?知りたい、どうしようもなく知りたい。考えることが山ほどあって忙しい。これからもっともっと忙しくなるに違いない。歩調は次第に速くなっていき、息を切らすのもお構いなしに坂道を行く。

 家に帰りコップ一杯の水を飲み干した後、私は時間割表をリュックの中から取り出す。掟本に記された場所は美術室。運が良いことに、選択授業は美術にしていた。

「次の美術は確か…」


 胸の高鳴りは続くままだった。美術部員でない私が美術室に気兼ねなく入れる時間、それが来る日は、明日だ。


 私の平穏で非日常な高校生活は、こうして動き出した。

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