三、地雷丸と茎針雨

 祠の先には木材で簡単に整えられた階段があり、十五段上ると古民家が一軒見えた。のぼりはないが、井崎家が営む団子屋だ。弘道が言った通り定休日なので、のれんはかかっていなかった。

「じいちゃん、急に地雷丸がうるそぅなったんやけど」

 引き戸から現れたのは、短い茶髪の青年だった。垂れ目が井崎とそっくりだった。

「当たり前や。お客さんが来はったんや」

 青年は察したようで、花帆に会釈すると井崎に視線を戻した。

「ほな雄太ゆうた、お嬢さん方にお団子とお茶をお出しするんや。お茶はうちにあるもので一番ええのを出すんやで。ああそれとこちらの結月はんが『わいふぁい』言うてな。お前がよぉ分かるやろ。わしはちぃと地雷丸の小屋に行ってくるな」

「地雷丸に腰やられたらあかんで」

 弘道が離れると、雄太は「馬小屋に」と言った。雄太は花帆の手前、髪を染める年頃らしいやんちゃさをひた隠しにしていた。

「祖父がすんません。この通り今日は休みやさかい大したものはお出しできまへんが、新作の試作品でもどないですか。どうぞ中に」

 今度は結月が先頭を切って店内に入った。芳恵は新作の単語に反応しつつ、花帆に新作団子の味が濃すぎないか不安だった。花帆と雄太の背中を繰り返し見返して落ち着かなかった。花帆は普段より一層落ち着いた物腰で大人びていた。芳恵は弘道についてきたことを後悔するあまり、差し出されたきな粉を練りこんだ団子も、抹茶ソースも味が分からなくなった。

 花帆はベースのきなこ団子そのまま二口で一玉ずつ食べ切った。花帆には少し味が濃かったが、それでも玉露茶と相性がよいと喜んでいた。

 三人が間食すると、店外から蹄の闊歩が聞こえてきた。店の前で、弘道が一頭の馬を宥めていた。続いて宥める雄太が、地雷丸だと紹介してくれた。

 地雷丸はたてがみを一振りして、大人しく花帆に近づいた。花帆と合った視線を逸らさず頭を垂らし、花帆が触れるのを待った。

 花帆が頬を摩ると、地雷丸は右手のひらに頬を摺り寄せた。この血統の中でも、地雷丸は最も早くわたしたちに反応した。このとき初めて、馬にも血と魂の継承があると知った。花帆も気づいていた。

 芳恵と結月には、それが女子高生と馬との無邪気な戯れに映っていた。芳恵はスマート・フォンのシャッターを連打して、花帆に涎を垂らしていた。結月は芳恵を変態と呼びつつも、人懐こい地雷丸に魅了されていた。ニ、三度スカートのポケットにしまったスマート・フォンに触れていたので、内心では充電が切れて悔しいのだと察した。

 花帆の右手のひらを堪能すると、地雷丸は花帆の左半身に自分を寄せて、右手のひらが鞍に当たるよう促した。

「あなたはちゃんと、ここに戻ってくるのよ。芳恵たちと三人で下山しなくちゃいけないからね。分かった?」

 地雷丸は声を震わせてさらに頭を垂らした。こちらの血もしっかり覚えていて、花帆はステップをするように地雷丸に跨った。

 地雷丸は嘶き、階段と小道の坂をものともせずに駆け下りた。

「花帆、待って!」

 一気に芳恵の叫び声が小さくなり、しまいには地雷丸の蹄と落ち葉のひしめきで完全に掻き消された。これで花帆は二人に気を遣う必要がなくなった。

「地雷丸、大人しくなさいね」

 花帆の指示通り、地雷丸は嘶くことなく足を止めた。目の前には弘道と出会った祠があった。

「そうよ、お利口さんね」

 地雷丸は喜んで、花帆の両手のひらに鼻を摺り寄せた。それから花帆は祠の隙間から漏れている光に引き寄せられて、地雷丸から離れた。

「これが、今度は私が使う——」

 祠に手を伸ばすと、腕が中へ吸い込まれた。花帆も例外なく驚いたが、中で掴んだものの正体は始めから分かっていた。

 腕を引き抜くと弓が一張、祠から一緒に出てきた。これこそが茎針雨。わたしが継承し続けてきた、この世で唯一の武器だ。

 当然ながら茎針雨は緑の光を放ち、花帆を主として認めた。花帆にもその証が表れ、セーラー服の繊維の隙間から薄緑の光が無数の筋を作っていた。その間に弘道が別の馬で到着して、花帆が振り向くと畏まって左ひざを地面に着けていた。

「私めの無礼をお詫び申し上げます。花帆さま」

「今までよく茎針雨を守り、地雷丸を育て上げた。お前の忠誠に感謝する。私のこともよく気づいた。私はお前が望む姓を名乗らなかっただろう。私が望むまま演じてくれたその聡明ぶり、一体誰が無礼と言えるものか」

 私が導かずとも、花帆はすでに立派な主だった。私を覆う内部では、完全な処刑人になった事実に自我を奪われないよう、不安と恐怖を掻き消そうとしていたが。

「お前の孫、雄太も立派な男だ。お前で役目が終わるのが実に惜しい。ぜひ団子屋以外にも道を開いてほしいものだ」

 これだけは言わせてもらわないと、雄太までも束縛しかねなかった。

「お言葉ですが、それはどないな意味でしょうか。雄太は私の後継に相応しくないと?」

 怒りではない。弘道は孫の雄太可愛さというより、信じていたものが崩れるのを恐れている目だった。声が震えてさらに枯れて聞こえた。

「聞け。そうではなく、この私が最後の処刑人だからだ。私の代で使命が完遂する。その証に見ろ」

 花帆は祠を指さした。内部に留まっていた緑の光が花帆の背中にすべて吸収されると、祠の木材は朽ちて一気に崩れ落ちた。弘道は口元に両手を当てて空気を呑み込んだ。

「すまない。私が生まれなければ使命は終わらなかったのだが。とはいえ今私が消えるわけにはいかない。生家筋の特徴はお前も知っているだろう」

 これで弘道の反逆も未然に防いだ。弘道に敵意は感じられなかったものの、落胆から抜け出せてもいなかった。花帆はそれ以上何も言わなかった。弘道の感情は本人のものだと、花帆もよく理解していたからだ。

「とりあえずお前の店に戻ろう。彼女たちの前では仮面を貫かなければな。お前ならば分かってくれるだろう」

 花帆は地雷丸に跨り、地雷丸は指示をくみ取って一歩ずつゆっくりと小道を進んだ。弘道は項垂れて愛馬の花子とともに殿しんがりを務めた。

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