第28話 悪魔の掟

 私は立派な悪魔だ。きちんと契約書の結び方、人間界の法律と魔界の法律をみっちりと勉強した。

 サキュバスやインキュバスたちと違い、綺麗な人型というわけではない。私の姿は小さい黒ヤギそのものだった。二足歩行としての誇りもある。


 勉学に関しては私はしっかりと学んでいた。


 魂を奪うためにとても良い事例と効率の悪い事例を学んだ、成績は良かった……のだが……。

 仕事初めに変な人間を担当したせいで、魔界大学契約学部を卒業したくせに、と蔑まれる存在になり果ててしまった。


 憂鬱な気分で、担当した人間の元へ向かう。


「待ってたよ、悪魔ちゃん!」


 出会った時には疲れた社会人だった女は、今やかわいらしいパジャマを着て甘ったるいココアを飲みながら私の出現を待っていた。


 何もない空間から現れるた私を、女は笑顔で出迎える。


「さて今日こそは願いを言ってもらおうか」


「願いは前にも言ったでしょ」


 私に向かって、かわいらしいマグカップを差し出す女は名をスズキという。このスズキ一族の先祖が、大昔にとある悪魔に『借り』を作った。


 それは今や天使と外交している悪魔に向いていない私の兄だった。


 『借り』は返さなくてはならない。そうして取り立てに来たのだが、この女、私が現れてから急に元気になった。


「悪魔ちゃん、甘いの好きでしょ。おいしい?」


「ふつう」


 ココアは美味しいし、コーヒーより好きだ。


「悪魔ちゃんと一緒に暮らしたいな」


「それはダメだって決まってる」


「えー、何でぇ?」


 子供のようにそう言ったスズキ。何度ダメだと言ってもこの女は理解しやしない。


「家に帰ってこんな可愛い子がいたら毎日の生活が潤うと思うんだけど」


 子供の教育には、きちんと理由を伝えることが大事だという。人間に対しても有効だろうか。


「昔、悪魔との結婚を願った人間がいた。運が悪く二人は相思相愛になってしまった」


「ロマンチックね」


「ロマンチックなものか。人間に先立たれて、悪魔は家に引きこもり出世街道から外れて今や天使どもとやり取りする部署に左遷されたんだぞ! エリート街道を歩いていて一族の誇りだった男が!」


「悪魔ちゃんはまだ愛を知らないのね! 私が教えてあげる!」


「うるさい! 忌々しいスズキの一族め! 私の兄を堕落させた罪は重いぞ!」


 それに、だ。


「それに悪魔と人間のハーフはすぐに殺さなきゃいけないと決まっている!」


 私はスズキに六界全書を見せてやった。人間には読めない高等な魔界文字だが、しっかりと分からせてやるのが大事だろう。


「つまり?」


 本を眺めていたスズキは私をぎゅっと抱きしめた。


「何となくだけど、悪魔ちゃんが私の魂を狙っている理由が分かったわ。だからうちの一族は短命なのね」


「お前が! 最後の! 一人なんだ!」


「そして悪魔ちゃんの親戚ってことね。遠い姪っ子のこと、……可愛がってくれて、良いのよ……」


「もー---人間やーだー----!!!」


 ココアは美味しいけど!


 願いを叶えると言った時、人生に絶望したように笑っていたスズキは、今や生き生きと私を追いかける。姿を見た瞬間から、瞳にキラキラと光りが宿り出したのだ。何て特異な人間だ。


 今日も嫌になってしまい、魔界に逃げ帰った。兄にスズキの一族対策を聞いても、遠くを見ながら「良い子たちだろ……」と人間との思い出を語るばかり。


 悪魔は契約にのっとって魂を手に入れる。闇営業は真っ当な手段ではないのだ。魔界の中でも指名手配されてしまう。


 私は頭脳派ではあるが、腕っぷしは強くない。兄は私とは違い筋骨隆々の、人間から見れば化け物のような姿だ。


 力も頭も良かった兄は人間と契約して出世街道から外されてしまった。


 その間にも悪魔の力を使って『無償』で人間たちの役に立っていたせいで『借り』が蓄積している。人間に干渉する時は契約を挟まなくてはいけない、これも大昔から決まっている悪魔の掟だ。


 利子だけでも、スズキ一人の魂で何とかできる量ではない。だから今のうちに『損切り』するべきだと家族会議で決まったのだ。


 それなのに……。


 頭脳派でクールな私の外見を『可愛い』と言ってぬいぐるみのように扱うスズキの手のひらの上で踊らされる始末。


 うちは代々、契約会社を営んでいる立派な一族だ。私は跡取りとして、スズキの魂の回収を命じられている。

 あの女を何とかしないと、跡取りの話だってなくなってしまいかねない。


 部屋で次の回収計画を練っていると、兄がこっそりと声をかけてきた。


「恋、しちゃったか……?」


「私は異常性癖者ではないッ」


「種族差別だぞ!」


 相手は人間だぞ! 兄に呆れていると、彼はこっそり私に耳打ちする。


「恋だの愛だのはいいぞ。取引先の天使も人生を豊かにするって言ってた」


「そういうのはコストパフォーマンスが悪いので感心しませんね」


 私は兄を無視するようにして、契約書を見直すことにした。


「なんだ、違うのか? お前が回収に失敗続きなのはてっきり恋のせいだと思ってたんだが……。恋はな、それが頭から離れなくなって何度も会いたくなったり、一緒にいるとほっとしたり……」


 人間バカの兄はそんな事をブツブツ言いながら部屋を出て行った。


 ほっとする、何度も会いたくなる、頭から離れない……。私は思い当たることがあった。


「まさか……ココアのせいで……? いやケーキ、クッキー……オレンジジュースのせい……?」


 これが……恋なのだろうか……。そう思うとあのスズキに会うのも嫌ではなくなってくる。私は、仕方なしに今日もスズキに会いに行く。今日から私は恋をする。

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