Like a virgin

Like a virgin


真砂子まさこぉ!」駅に入る前、真砂子は呼び止められた。

振り返ると懐かしい顔があった。

信自しんじ! ともえ!」オートバイにまたがり、二人が笑っていた。

「水臭えなあ」ヘルメットを外し、信自が笑った。

「おじさんの三回忌だから、帰って来ると思って待ってたんだ」ヘルメット姿のまま、巴が真砂子の前にピョンと跳んだ。

「ごめん」真砂子は少し声を落とした。

「もう行くの?」

「ううん。まだいいの」

「じゃあ、見晴らし台の公園に行こうよ」


「じゃあ、信自のところに泊まりなよ」

「あそこの八百屋の二階? まだ空いてるの?」

「夜這いされないようにね」イヒヒと巴が笑う。

「ある訳ねえだろ。んなもん。俺たちキョウダイみたいなもんなんだから」

「あらー。私達がお姉さんだったから、シマイよ。ねー?」

「ねー」

昔、ここは過疎地だった。

三人は見晴らし台の公園に立った。街並みはすっかり変わっていた。

「電車一本でこれだもんね」と巴が呟いた。

「途端にベッドタウンだもんな」信自も呟いた。

「都市化、か」真砂子も呟いた。

三人はずっと一緒だった。ここの数少ない子供で、皆から慕われていた。

「ここも取り壊されんのかなあ・・」信自が後ろの遊具たちを見やり、ため息を吐いた。

「何で?」真砂子が聞いた。

真砂子だけは高校からこの街を離れていた。

「カップルたちがいちゃついて、夜には物騒な奴ら、・・もう俺らの時代とは違うんだよ」

真砂子は俯いた。

「二人とも私を責めないんだね・・」

「ある訳ねえだろ。んなもん。俺たちキョウダイみたいなもんなんだから」

「だから、シマイよ。ねー?」

「ん」真砂子は目頭が熱くなった。

「ナナはどうしてる?」真砂子は聞きたくても聞けなかったことを聞いた。

信自も巴も俯いた。

「あのまんまだよ」信自が答えた。

真砂子と巴、信自、そしてナナがいつも一緒だった。ナナが小学校六年生の夏まで。あの時まで。

「会いに行けるかな?」真砂子は聞いた。

「ゆっこおばさん、相当参っちまってるよ・・」

台風の後、ナナが突如、行方が分からなくなった。街中の人が捜しに出た。

「おじさんは?」

「今もトラックやってる」

ナナは用水路に浮かんだ姿で発見された。

「私達の秘密基地、私達しか知らなかった・・」

「溺れたりするかよ、あんな遊び慣れたとこで・・」

見つかった時、ナナは心肺停止だった。四日間、ナナは昏睡状態だった。医者は、一命を取り止めただけで奇跡的だと言った。

意識が戻ったナナは、誰のことも何のことも分からなくなっていた。医者は、何の後遺症か分からない、何かのダメージだろうと言った。

事件と事故の両面で調べられた。着衣の乱れなく、警察は次第に事件性はないと判断した。

ナナのランドセルは見つからないままだった。

「あの時からだよ。俺、この街、嫌になったの」

「私も」

「私も・・」

「キツネ憑きだとか言ってよ」

「時薬とか言ってたばあちゃんも死んだ」

「信自はどうしてこの街出ないの?」

「出来るかよ。俺んち八百屋だぞ? もう跡継ぐの決まってんだから」

「トモちゃんは?」

「さあ・・」巴は首を振った。

「私ね、あの頃は良かったな、って、思っちゃうの。何でかな?」

「本音でぶつかってたからだろ?」

「ねえ、明日、私達の秘密基地、行ってみようよ」

「まだ残ってるの?」

巴は肯いた。


巴を送って行ってから、信自の体につかまってオートバイに乗った。

帰りたい、と思った。

「ねえ、私、ナナのとこ、行ってみるよ」

八百将に着いてから、信自に言った。

ここは信自の家業の店舗で、二階が貸し部屋になっている。

「じゃあ、俺らも行こっか?」

「うん」

信自が八百将のシャッターを上げ、眠った野菜達を尻目に、二階に上がった。

「ここはスラム?」

「変なこと言うなよ」

「オバケが出そう」

「出るかよ。んなもん」信自はシャッターの鍵をチャリと置いて、そのまま床にドカッとあぐらをかいた。

「さっきは悪かったな」

「え? 何?」

「なんか、・・ナナに会わせたくないみたいでよ・・」

「・・分かるよ。その気持ち」

街は変わっても、私達は変わらないのだ。

「ところで枕はどこ?」裸電球の下で、あの頃の気持ちにも帰れない自分に真砂子は気付いていた。


八百屋の朝は早い。

昔と同じ、信自が親父さんにどやされる声で目が覚めた。

トントンと階段を下りていくと、「おはよう。よく眠れたか?」と信自が笑いかけた。

「うあ」と真砂子は欠伸混じりで返事をした。

「マッちゃん、久しぶりだね。元気しとったかい?」親父さんがもう頭にハチマキを巻いて大根を拭いて並べている。

「はい。おばさんは?」

「足が痛いってね。この頃、朝は出んのよ」

「だからさあ、巴んとこで待っててくれないか? 俺、後で行くから」信自も手際よく菜っぱの葉を立てて並べている。

「どっか行くんか?」親父さんが信自に聞いた。

「ああ、ナナんとこ・・」信自は俯いてるみたいだった。

「そうか・・」親父さんも心なしか声を落とした。

「マッちゃん! お久しぶりねえ」奥の居間から信自の母親が顔を出した。足を重そうに引きずって来た。

「会いたかったよお! 今何してるん?」

「東京のOL」

「色っぽくなってえ! もう信自のお嫁さんにはなってくれんの?」

「やめてよ、そんな昔、」

時田ときたさんとこ、行くんやて」親父さんが言った。

「ん・・」いつもこの街の人はナナの話になると口を噤む。

「んじゃ、これ持ってお行き」おばさんは西瓜を叩いて渡した。

「上物だよ」

「ありがとう。じゃ、待ってるから」と真砂子は信自に声をかけて、信自の自転車に乗ろうとした。

「ちょっと、これ鍵かかってるよ?」

「ほらよ」と信自がポケットから鍵を放り渡した。


巴は待ってくれていた。

「そっか。じゃあ、その間に秘密基地に行ってみよ」

「うん・・」

「私ねえ、時々来るんだ・・」西瓜を巴の家に置いて、行き道で巴は俯いて言った。

「秘密基地?」

巴は俯いたまま肯いた。

おばさんは色っぽくなったって言ってたけど、私より巴の方が何か、色っぽくなった。と、真砂子は思った。


「あった、あった。カモダリサイクル工業」巴が古びた看板を指差した。

時雨のそぼ降る朝だった。

私たちの秘密基地は街の外れの、山の中のリサイクル工場裏の広い空き地だった。そこに捨てられていたソファやら何やら色々持ち込んで遊んでいたのだ。

「ここの人も調べられたっけ・・」色褪せた看板を見上げ、真砂子は呟いた。

「あの頃は、数少ないよそモンだったね」巴が傘を畳んで林の中へ分け入った。後に続いて真砂子も腰を屈めて付いて行った。

用水路は残っていた。その日も水が急だった。

「規制線、まだ残ってる」黄色いテープを巴は引き剥がした。

秘密基地はまだ残っていた。あの面影のままに。もう私たちが持ち寄った何もかもはなくなっていたけど、ポッカリとそこだけ原っぱになっている。

オミナエシの花がいっぱいに咲いていた。

狭いな。狭かったんだ。と真砂子は思った。

もう誰もいないリサイクル工場もあの頃は壁のように見えたけど、今見れば巨大なコンクリートの塊だ。

「トモちゃん、ずっとここに居るつもり?」

「いけない?」

「分からない」

「私達、ずっと、一緒だったじゃない」巴は立ち上がって、リサイクル工場を見た。

「私ね、暗いお城の中の夢をよく見るんだ。これのことかな?」

「私もその夢よく見るよ」

「えっ?」

二人は顔を見合わせた。

「でも、誰とも会ったことない」真砂子は言った。

「私も。今日も見た」

「私も。何か走ってた」

二人は顔を見合わせて、「原体験って恐ろしいね」と笑った。


秘密基地から帰ると、信自が待っていた。

「ナナのとこ行くんだろ? ゆっこおばさんには連絡入れといたから。真砂子も来るって言ったら驚いてた」

「そっか、久しぶりだもんね」真砂子は自転車の鍵を信自に返した。

「早いとこ行こ、おばさん待ってる」

「待ってよ、トモちゃん。西瓜、西瓜」

「ああ、そうか」


こんなに影の薄い人だったっけ。

「マサちゃん、久しぶりねえ」優子ゆうこおばさんは壁に倒れかかるようにして、スリッパを出した。

「ナナ、二階にいるから」悲しい笑みで、ゆっこおばさんはお茶を入れに行った。

ナナは階段の暗がりがいつも怖いと言っていた。

私も、今、同じような気持ちだ。

ナナの部屋は開いていた。

白いシフォンのワンピースを着たナナは座って何かおままごとをしていた。

信自と巴はそれを見て黙っている。

「ナナ?」真砂子は驚かせないよう、正面にそっと座って目線を合わせた。

ナナは真砂子を見て、首を傾げた。

「ちょっと待って」巴が声を上げた。

巴は指を差している。

ナナが遊んでいたのは灰色の城の玩具。

「私達、これ、」巴が静かに声を上げた。

信自を見ると、信自も信じられないような目でそれを見ている。

「ああ、それ」後ろから声をかけられて、三人ともビクッとした。

ゆっこおばさんが小さなテーブルにお茶を三つ分けて、「この子、それでしか遊ばないのよ。他にもいっぱいあるのに」とナナを見て言った。

確かに、棚には木でできた鳥や首を振る可愛いお人形が置いてある。

「真砂子」信自が傍に来た。尋常じゃない目だ。

ナナはお人形で遊んでいた。

お姫様と兵士。

お姫様が兵士に追いかけられている。

灰色の城の傍で、お姫様が倒れる。

巴も信自も真砂子も、それを見ている。

後ろからゆっこおばさんも見ている。

ナナが何か言っている。

信自が兵士を持つナナの手をグッと握った。

空耳じゃない。

ナナが何か言っている。

「何て名だ」信自が聞いた。

ナナはゆっくり顔を向けて、口をパクパクさせた。

「ナナ」

「カ、モ、ダ・・」

信自はナナの手から兵士を取って、床に叩きつけた。

ゆっこおばさんは盆を持って下に降りていった。

「覚えてる。小太りのおっちゃんだ」信自が自分の興奮を抑えきれずに言った。

「捜そうよ」

「もう時効だろ。どうせ」

「知らないの? 時効がなくなったのよ。凶悪事件の場合」

「どうするの?」真砂子が言った。

「撲り殺してやる」

「市役所に行けば分かるんじゃないの?」巴が言った。

「帰って来いよ。ナナ」信自がナナの両の肩を掴み言った。

それでいいの? と真砂子は思ったが、言えなかった。

ゆっこおばさんとお別れをして、ナナの家を出た。


「信ちゃんも見るんだ。あの夢」

「ああ。いつも同じ、城の外で遊んでる」

「・・私達は城の中にいるよね?」

「うん」

「やっぱり信ちゃん、男だから」

「ナナはまだ逃げてるんだ」信自が言った。

真砂子はハッとした。

私も逃げてる。

もう逃げない。

もうあの頃に負けない。


「顔も見ずに行っちまうのか?」

夜、八百将から出た真砂子を信自がオートバイにまたがって待っていた。

「うん・・」真砂子は俯いた。

「私、分からないよ。・・巴も信自も変わったよ! 警察に行くべきじゃない!?」

「警察なんか信じてくれると思うか? 夢の話なんか」

「ごめん」

謝ってばっかりだ。私。

馬鹿だ。私。

「俺達はカモダを捜すよ。それでいいだろ?」

「私は東京に帰る」

信自は何も言わなかった。

それっきり、真砂子は駅へ歩いた。


数日後、オフィスにいた真砂子に電話がかかってきた。

「あった。責任者、加茂田一郎かもだいちろう」信自の声だった。

「何としてでも、探し出してやる」

「それで、どうするの?」

「ぶっ殺す」

真砂子の目から涙が溢れた。

「信自じゃないみたいだよ・・」

「・・ごめんな」

電話は切れた。


その日もあの夢を見た。

回廊を走っている。

「ナナ!? ナナ!?」

走る柱の陰から庭を見ても、信自の姿は無い。巴も。

ナナも。

長い影。

子供のままのナナがいるはずだ。

信ちゃんだってトモちゃんだって居るはずだ。

夢から覚めれば、また忘れてしまう。

手を伸ばせば届きそうなのに。

ずいぶん大人になったけど。

追いかけるほど逃げていく蜃気楼の城。

すごく遠くにも感じるし、すごく近くにも感じる。

追いかければ逃げてしまう夢のようだ。

あの思い出の場所に思い出はあるか。


台風の匂いは、あの日を思い出させる。

真砂子はマンションのベランダで半月を見ていた。

夏を連れて行って、今年最後の台風が過ぎていった夜であった。

いつか、巴が話してくれた事がある。

「冥王星とその衛星カロンってね、見つめ合う星って呼ばれてるんだって。いつも同じ面をお互いに向けて回り合ってるんだって。私達もそんな風になれたらいいね」


「見つけた。今は○○市に住んでる。今夜連れ出しに行くからよ」信自から電話がかかって来た。

「引っ張り出して、あのリサイクル工場にぶちこんでやる」


真砂子は取るものもとりあえず、電車に乗った。

あの街へ。


着いたころには、夜になっていた。

真砂子はリサイクル工場に急いだ。

入り口がない。固く閉ざされている。

信ちゃんもトモちゃんもこの中に居るの?

入れない。

真砂子は急いで秘密基地に潜り込んで、窓によじ昇り、中二階に上った。

窓からは暗い部屋のシルエットだけ。

人影が動いた。

窓をドンドンと叩く。

巴が開けてくれた。

そこには中年のボロボロのおじさんが、信自に殴られていた。

「これ、見ろよ」真砂子の方を向きもしないで、信自が何かを放った。

革がボロボロに剥げたランドセルだった。

「ナナの・・」

「このロリコン野郎」思いっ切り信自が加茂田の顔を殴りつけた。

それでも、血反吐を吐きながら加茂田は笑っていた。

あの時と同じだ。

意地悪した他の街の子を信自がボコボコにしてる時。

巴は黙って見ている。

「可愛かったから」加茂田が嘲るように笑った。

「畜生!」信自が止められない。

「止めて! 信自!」羽交い締めにしようとした。

「離せ!」

「ナナが見てる!」

初めて、泣きそうな目を真砂子に向けた。

「どうすりゃいいんだよ」

その時、パトカーのサイレンの音がどこかから聞こえた。

どんどん近くなってくる。

ゆっこおばさんがいた。

ゆっこおばさんはナナのランドセルを見て、大事そうに抱えた。

信自も巴も真砂子も何もできなかった。

「あの子のためよ」ゆっこおばさんがランドセルを抱えたままで加茂田に近付いた。

パトカーが止まった。赤い光がクルクルと窓を照らす。

「あの子を返して」ゆっこおばさんが加茂田に言った。

加茂田は震えていた。

警察が突入して来た。

「確保!」加茂田と、信自がねじ伏せられた。

煤塵が舞い上がるリサイクル工場に真砂子と巴とゆっこおばさんだけが取り残された。

ゆっこおばさんはナナのランドセルを抱いて、号泣した。


三人とも同じ理屈を聞かされて、すぐに返された。

信自はしばらく事情を聞かれていた。

「トモちゃんが電話したの? ゆっこおばさんに」

「うん」

真砂子と巴はナナのお家に来ていた。

おじさんも帰って来ていた。

「真砂子の気持ち、分かってたよ。私もそこにいるしかなかったんじゃない、ここにいたいんだ」

もう逃げなくていいんだ。

もうあの頃じゃない。

真砂子と巴は二階に上がった。

そこではナナが変わらず遊んでいた。

「ナナ」二人同時に言った。

ナナがこっちを向いた。

えくぼを見せて、笑った。

あの頃のように。

「こんなに大人になっちゃって」ナナが笑って言った。

「ずっと見てたよ」ナナのえくぼ。

「ナナ!」二人はナナを抱き締めた。

ゆっこおばさんもおじさんも駆け上がって来た。

おじさんは誰よりも泣いていた。


「また一緒に遊ぼうね」真砂子はナナの髪を撫でた。

帰って来た信自も「もう恐くないから」と優しい声で言った。

「こわい?」真砂子はナナの手を握った。

ううん、とナナは首を振り、「どうしたの? そんな恐い顔して」と信自に言った。

信自はずっと黙ったままだった。


真砂子は八百将の二階に住むことにした。

思い返すとあの頃のままあったと思う。

透明な時間。

巴も信自もナナも色褪せてなんかいなかった。

ただ、すれ違っていただけだ。

おもかげは四人、ずっと同じだった。

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