アイアンサン
アイアンサン
美とは全てである。
未来を創造するのは美で、支配するのも美である。
美とは天命であり、使命である。
時計一個しかない、他に何もない部屋。
窓もありません。
あなたならどうしますか?
時計を見えない所に置く。
そう設問に答えて、ダナは鉛筆を置いた。
高校で実験的に始められた科目「美学」の最初で最後のテストになった。
ダナは机に突っ伏して寝たフリをした。いつものように。
カリカリ、カリカリ、とまだ皆が鉛筆を走らせる音がする。
口の中で舌打ちをして、頭が良いのを後悔していた。
外れた人間。この私立校では。皆、同じ様な顔。皆、似たり寄ったりな目。
本当に泣きたいのは私だ。といつも思っていた。
そんな私は一人でイキがってるだけ。
卒業の時、心は移り変わるものだけど、決して、この高校時代が意味があったとか、楽しかったとは思わないでいよう、と心に誓った。
ダナはアレクセイに嫁ぐことになった。
親が決めた結婚だった。
私はアレクセイという人に会ったこともない。
比較的、裕福だったこの家も、父の会社がなくなってから凋落の一途を辿っていた。
だから、ブラック・マーケットの一員であるアレクセイと私を結婚させて、楽をしたいのだ。
どこまでツいてないのだ、私は。
私は足元にじゃれつくロシアンブルーを抱き上げた。
「ワータだけは連れて行かせて」私は両親に向かって言った。
両親は、何とも言わず、ただ肯いた。私を見ないで。
私はアレクセイに体を許さなかった。
他に女でも作ればいい。
その人と心中してしまえ、と思う。
死んでしまえ。
私は、深い洞窟の底で、耳を塞いでいる。
外は、真っ暗な海で、月が鮮やかに出ているのだろう。
だって、何の音もしない。
あまりにも、高くなりすぎたプライドは、今にもへし折れそうだ。
このトキオに立つビルのように。
怒ったら負けよ。
底知れぬ浅はかさを人は持っている。
都会の人は冷たいでしょう
戻ってこいという意味だったのか。母の手紙の文面はそこで終わっていた。
ヘザーは母の死に目に会えなかった。
叔父や叔母に蔑まれ、ヘザーはトキオに戻った。
「お母さん、お母さん」って何度も呼んでたのに。
「みんないい人よ。みんな・・」私は母からの手紙を抱き締めて嗚咽した。
私はお母さんの子。
震える肩を抱きしめて。
リッチ・フォーリンビッチはトキオに開業している売れない探偵だ。今日も仕事はなく、回転椅子でクルクル回りながら、煙草をもてあそんでいる。
リッチ・フォーリンビッチは売れないことに不満はなかった。
人目に付かないように売れない所を訪ねてくるものもしばしばあるからだ。
アレクセイと名乗る男が訪ねてきた。偽名かも知れない。
「妻のことが知りたいんです」
「奥さんのことで何か?」リッチ・フォーリンビッチは育ちが良くない。
ヘザーはボーイフレンドデニムのポケットに手を入れ、法律事務所に向かっていた。ヘザーは法律事務所で事務をしている。
「お気の毒に。ヘザー」
「いいえ」
「この度は・・」
「いいえ」
お愛想笑いも板に付いてきた。
「ダナ・ララフォードさん?」庭に出ていたダナにリッチ・フォーリンビッチは声をかけた。
ダナは旧姓で呼ぶ男を訝しがった。
「亭主は、今いませんけど?」
「じゃあ、待たせてもらいましょうかね。よろしいですか?」
「ええ・・。お名前は?」
「アーティーです」
「アーティー、何さん?」
「アーティー・チョークです。ふざけた名前でしょう? 親がイカレてるんです。後悔してますよ」リッチ・フォーリンビッチは返事も聞かずに、家に上がった。
背が高いわけでもないのに着ていたロングコートを、リッチ・フォーリンビッチは勝手にハンガーポールに掛けた。
椅子に掛けたリッチ・フォーリンビッチは家中を眺め回した。
「広いお屋敷ですね」
「そうかしら」ダナは客に紅茶を淹れてきた。
「どうも」受け取って一口吸うと、リッチ・フォーリンビッチはソーサーの横にカップを置いた。あのカチリという音が嫌だったのだ。リッチ・フォーリンビッチは神経質でもある。
「亭主の、お仕事関係の方?」
「お嫌いで?」
気分を害したダナは黙った。
リッチ・フォーリンビッチは何も言わず、脚を組んで家を眺めていた。
沈黙もダナには平気だった。
静寂が好きになった。
誰にも邪魔されない。
でも、誰かがいると、沈黙は誰かのせいになる。
それが不快でもあった。
ワータが出て来た。
「かわいいニャンちゃんだ」リッチ・フォーリンビッチが手を伸ばした。
「触らないで。ワータ」ダナに呼ばれてワータは尾を上げてダナの傍に寄った。
ダナはリッチ・フォーリンビッチを睨んだが、リッチ・フォーリンビッチは薄笑いを浮かべてダナを見ているだけだった。
「そろそろお帰りになったら? 亭主には私から伝えておきます」
「じゃあ、そうします」
リッチ・フォーリンビッチは車の窓を叩いた。
助手のムライジャが顔を出した。
「どうでした? リッチさん」
「固まり切ってるな。水も入り込めない」
その夜、ダナはアレクセイに来客のことを告げなかった。
怒りだ。
私を支配しているのは怒りだ。
ヘザーは部屋を暗くして、母の写真の隣のキャンドルに火を灯した。
「会いたい人はいますか?」そんな新聞の片隅の小さな探偵社の宣伝文句に傷付いていた。
ヘザーは足の爪を気にしながら、小さな声で歌っていた。
どこまでも優しかったお母さん。
ピアノを習わせてくれた。
まだその礼を言ってなかった。
ヘザーはピアノの前に座り、何度も何度もレクイエムを弾いた。エンドレスレクイエム。いつ終わるかなんて分からない。
このトキオのマンションはよく出来ている。音がちっとも漏れない。
「リッチさん。またあの話して下さいよ」ムライジャが言った。
バーで、男二人、カクテルを飲んでいた。
「あの傘の話か?」
「あの話、好きなんでさあ」
「警察なんて馬鹿みたいなもんでさ。殺しがあってな。唯一の目撃者が、そいつは胸に大きなJの字くっつけてたって言うんだな。そんなもんで、警察の奴ら、それがスタジアムジャンパーだと思い込んで、Jの字のスタジャンを洗いざらい探したんだ。でも、それを持ってる奴が見つからない。少なくとも、容疑者の中ではな。そんで、俺に話が舞い込んできた。俺は咄嗟にそれは傘の柄、傘の持ち手なんじゃねえかって思ったんだな。で、聞いてみるとその日は霧雨が降ったり、降らなかったりしてたっていうじゃねえか。んじゃ、そいつは眼鏡を掛けてたに違いねえ。普通の奴はそんな日は面倒臭えから傘なんか差さなくても構やしねえ。で、俺が出かけてって、そのJの字は何色でしたか? って聞いたんだ。そしたら白だって。で、眼鏡掛けて、持ち手が白の傘持ってる、その時そこに居られた奴をさり気なく探してな。あっけなく、御用って訳さ」
ムライジャは途中から、「いいなー」「いいなー」と言いながら、褐色の髪を撫でて、聞いていた。
「もらったのは、赤いアドバルーン一個さ。ほら、今も上がってるだろ? 警察としては探偵に後れを取って金を払う訳にもいかなかったのさ。せめて宣伝に使って下さいだとよ」
鍵を開ける音。
鍵を二回閉める音。
リッチ・フォーリンビッチは自宅へ帰って来た。ロングコートを無造作に椅子の背もたれに脱ぎ捨て、デスクに向かい調査書を引き出しから一枚取り出した。
依頼人、アレクセイ・ハウエル。
調査対象の欄に、リッチ・フォーリンビッチはしばらく迷った末、妻、ダナ・ハウエル、と書いた。
依頼内容、妻のことを知りたい。
ダナの入浴中に、ワータがダナの居室に閉じ込められて鳴いていたので、アレクセイはドアを開けた。
そのまま中に入った。
アレクセイが贈った置き時計が見えない所に置いてあった。
誰もが何かを信じている。今日、見かけた人は競馬を信じている。
このトキオで私が築けたものは一体何だったのだろう。
都会に誘われ、故郷を離れ、いつからか慣れていた。
母は私のいない生活に慣れていただろうか?
自分に呆然とする。
世の中は嘘にまみれてる。
ヘザーは頭だけベッドの端に埋め、女らしく泣いた。
嘘ばっかりの人生だった。
まだ泣いてる黒い犬。
何で人は泣かないんだろう。
一人の朝。
サイレントキャット。
こんな寂しい気持ちには、猫が丁度いい。
寂しさに沈める。
孤独に浸っていられる。
落ち込む時間も必要だ。
静寂が耳に心地いい。
静かな朝が好きだ。
もう誰も起きてこない朝がいい。
何て音楽。
素敵な時間。
人が嫌いだ。
ダナは煙草を一本取り出して、吸った。
ジンを一口飲んで、上を見上げ、自分が死ぬことを考えた。
「ビリヤード、どうです? 一試合」
バーで、アレクセイに他人のフリをしてリッチ・フォーリンビッチが誘った。
アレクセイは無言でキューを磨いた。
「金は賭けませんぜ。あんたに負けたら厄介なことになる」リッチ・フォーリンビッチは先にボールを打って笑った。
並べられたボールがバラバラに転がっていった。
「もうあれから一か月になるぜ? どうなんだ? その、・・ダナは」
「そうですね・・」リッチ・フォーリンビッチは軽く笑みを浮かべた。
「ご存知と思いますが、奥さんのご実家はそれなりに裕福でした。リトグラフの製版の会社を持ってましてね、この不景気の煽りを食って、多大な負債を抱えたまま倒産。父親は今もアルコール依存で手が震えてます。一方、ダナさんは幼少期より明るく快活、頭脳明晰。そして美人です。ただ、原因は分かりませんがね。急に内向的になったようです。高等学校の誰に聞いてもダナさんのことを覚えてる人は誰一人いませんでしたよ。経済的な理由とは思えません。リトグラフの方の経営破綻はもっと後ですから。ダナさんの希望で大学に進学しませんでした。それも解せませんが。一つ気になったことがあります。バレリーナ22です」リッチ・フォーリンビッチはボールを打って、二つも穴に沈めた。
「バレリーナ22?」
「舞台です。その時、ダナさんは働き始めの頃。バレリーナ22という舞台のヒロインのオーディションに応募してるんですよ。もしかすると、ダナさんは、役者デビューしたかったのかも知れませんよ?」またリッチ・フォーリンビッチが打った球を、アレクセイが手で止めた。
「それで、夢半ばで、ってことか?」
「そうとも言い切れません。受かってるんですよ。ちゃんと記録が残ってました。ヒロインに抜擢されたんです」
「じゃあ、ダナはその舞台に立ったのか?」
「いいえ。辞退してました。それも何度も推されたのに、その度に断っています。理由は分かりません。何故そのオーディションに参加したのかもね」リッチ・フォーリンビッチはキューを置いてゲームを止めた。
「どういう舞台だ?」アレクセイもため息を吐いてキューを置いた。
「喜劇です」リッチ・フォーリンビッチは掛けておいたロングコートを手に取った。
アレクセイはリッチ・フォーリンビッチの分の代金も払って外に出た。
冷たく素っ気ない風が吹いた。
「どんな役か知りたくありませんか?」車に半身入って、リッチ・フォーリンビッチはアレクセイに笑いかけた。
「どんな役だ?」
「狂った天使ですよ」リッチ・フォーリンビッチは笑顔を捨てるようにして、ドアを閉め、発進させた。
アレクセイは寒さで少し震えた。
バスルームからまっすぐ自分の居室に向かうダナを、アレクセイが呼び止めた。
「ダナ、君も一杯やらないか?」
アレクセイの足はフラフラで、手に酒瓶とグラスを持っている。
「好きなお酒は部屋にあるから」
「そんな事言わないで。この酒、上等だぜ? ブラック・マーケットでしか手に入らない」
「止してよ」ダナは軽蔑の眼差しを向けて、部屋に入ろうとした。
「僕達、夫婦なんだぜ?」
キッとダナはアレクセイを睨んだ。
「僕は君に一目ぼれしたんだ。君は誤解してるかも知れないけど・・」アレクセイは俯いて、少し笑った。
ダナはニヒルな冷笑を浮かべた。
「私と、寝たいの?」
アレクセイは自分の顔が真っ赤になったのか真っ青になったのか分からなかった。
折れそうなプライドが風にひしいでいる。
ダナはドアを閉めた。
ベッドに腰かけ、見上げているワータを見ていた。
「ワータ。私、寂しくて、相手もできないのよ」ソッとワータの頭を撫でた。
「いつも、自分のことで忙しいの」
ワータもアレクセイもダナも一人で眠った。
この空は涙で支えられてるんだろう。
ボーイフレンドデニムのポケットに手を入れ、ヘザーはふと空を見上げて思った。
ダナとすれ違った。
綺麗な人だな、とヘザーは思っただけだった。
現実はいつも馬鹿馬鹿しいもの。
ダナはヘザーとすれ違ったことも気付かなかった。
今、私に必要なのは激情じゃない。絶望しない程度の希望を持つことだ。
耐え難いな。悲しみはいつも。
どんなに悲しくても、ただ自分が悲しいだけ。
気分転換。安住の地はどこにもない。
どうして草花は揺れるんですか?
私はあの日のままだ。
ファストフード店の前で、ダストボックスに寄りかかってハンバーガーを食べている失礼な男がいた。
「こんにちは、アーティーさん」ニコやかに話しかけた。
「ああ、あ、ダナさん・・」しくじった、という顔をした。
「どなたで?」隣にいた、同じくチーズバーガーをつまんでいた、褐色の髪の頭の悪そうな男がこちらを見た。
「ほら、アレクセイの・・」リッチ・フォーリンビッチはムライジャを肘で小突いた。
「ああ、あ、あの、アレクセイ・ダニエルさんの」
「ハウエルです」
リッチ・フォーリンビッチは黙って下を向いてハンバーガーを食べていた。
「あなたも亭主のお仕事で?」
「ああ、まあ、そんなようなもんです・・」
「お名前は?」
「ペニー、ペニー、トゥ、トゥアーニ、でさあ・・」褐色の髪を撫でて、ムライジャはダナの目を見ようとしなかった。
リッチ・フォーリンビッチは食べ終わった汚れた包み紙をつぶしてダストボックスに入れて、まだ食べていたムライジャの腕を引っ掴んで、車の方へ向かった。
ダナは足を早めて、家に帰った。振り返ると、リッチ・フォーリンビッチがムライジャの頭を叩いていた。
帰ったダナは、まずワータの水を取り換えて、アレクセイの部屋に入り、引き出しを開けた。
思った通りだった。
ニュースエイジ探偵所。その封筒には、出生から事細かに私のことが記されていた。
依頼人は、私の夫だった。
「リッチ・フォーリンビッチ・・」ダナは呟いた。
あまりにうるさく鳴くので、ダナはワータを初めてぶった。
ダナはその日のうちに法律事務所に電話を打った。
バーキンは電話を回した。
「ニュースエイジ」ムライジャが取った。
「こちら、ミヒャエル法律事務所、バーキンと申します。そちらでお調べになられているダナ・ハウエルさんのことで、リッチ・フォーリンビッチさんにお話を伺いたいのですが」
リッチ・フォーリンビッチは電話をとった。
「ブラック・マーケットの一員であるアレクセイは別件でも取り扱われることになりますよ。そんな大きな抗争の火種は警察も司法も嫌うでしょう」バーキンの冷たい声がした。
「私はご主人の依頼があってやってるだけですよ。何の落ち度もない」
「いくらでも争いますよ」
「先方も強気です」
バーキンの前にはダナがいた。ダナの隣にはヘザーがいた。
バーキンはチラッと胸元から名刺を出した。
「今回、担当させていただきますバーキンとヘザーです」
「よろしく」
ヘザーは上がり気味に挨拶をした。
痩せっぽちのヘザーにとっては、射抜くような目をしたダナは何だか近寄りがたい存在であった。
ベージュのセーターを着たヘザーと比べても、黒い革のジャケットを着こなしているダナは対照的でもあった。
「ご主人・・」とバーキンが言った時、ダナの目がキッと釣り上がった。
「アレクセイと言って。私はあそこの家政婦じゃないのよ」ダナはイラついたようにハンドバッグから煙草を取り出した。
「失礼しました。論点をしっかりしないと」
「人権侵害よ!」火を点けてもいない煙草をダナは口に咥えた。
ライターが見つからないようだ。
ヘザーはバーキンの机からライターを取って、火を点けた。
「ありがとう」顔を近付けて、ヘザーの手から煙草に火を点けた。
ダナはヘザーの顔を一瞥して、目を見た。
ヘザーの目を見たダナの目は、どこか同類を見つけたような驚きを含んでいた。
虐げられた者。
煙草を吸ったダナはおとなしくなった。
ダナの目からは光が失われていた。
ダナはヘザーの目を冷たいと思った。
ヘザーはダナの目を弱いと思った。
「泣き寝入りするような女じゃない」
リッチ・フォーリンビッチは憤っていた。
「石膏で固めたようなその顔をぶち壊してやる」
田舎の両親は雲隠れ。
ダナは仕方なくアレクセイと家庭内別居をすることになった。
アレクセイはマーケット・ルールとかで、私と会話できないようになっていた。
だけど時折、話しかけてくる。
それが無性に悲しかった。
「君は男を軽蔑してるだろ」
「人は本当に勝負している時はポーカーフェイスになる。君はいつもポーカーフェイスだ。君は何と勝負してるんだい?」
アレクセイは家にいる時はいつも酒を飲んでいる後ろ姿を見せた。
酔った勢いで、「バレリーナは輝いているよ」とバスルームに向かうダナに言った。
ダナは濡れた手でバスタオルを握りしめた。
いつもアレクセイはしたたかに酔っていた。
打ち合わせに行くとヘザーだった。
「どうしてバーキンが来ないの?」
「他のクライアントが・・」
いつもおどおどしているヘザーがダナは嫌いだった。
「優柔不断でいられるあなたが羨ましい」早速、煙草を取り出してダナはヘザーに言った。
ヘザーはそれでも黙っているだけだった。
「何かを忘れないと」煙草をフカしているダナをヘザーは見ていた。
「誤解されて、生きてきたんでしょ」ヘザーが下を向いて言った。
心外だと言うように、灰皿に煙草をもみ消した。
「泣いたら、特別な日になるでしょう?」ダナはヘザーの涙の跡を見逃さなかった。
「だって、神様は・・」
「そんな言い訳な存在に私は頼らない。後悔ばっかりよ」話は終わりだと言うように、ダナはポーチに煙草をしまった。
「幸せって、きっと、背伸びしないと届かない」立ち上がったダナは、ヘザーを見下ろして言った。
「指図しないで」立ち去り様にダナが言った。
何を指図しようとしたのだろう、とヘザーは考え込んでしまった。
帰り道、アレクセイとすれ違った。
クローバーとかいうあっちの弁護士と歩いていた。
アレクセイはダナを見まいとしていた。
「ケルベロスに喰われちまえ!」
アレクセイはそれでもこっちを見まいとしていた。
「ガス室に送り込んでやる!」ダナはそれでもわめき散らした。
ワータが死んだ。
家に帰るともう死んでいた。
「ワータ! ワータ! 生き返ってよ! ワータ・・」
ジンとウォッカを代わる代わる飲んだ。
「もう誰にも怒られない楽園に行こう」
見上げると人になったワータが手を伸ばしている。
ダナは自分の前に横たわったワータの死体を見た。
「ごめん」今まで会った人全部に謝った。
ダナはワータの手を取った。
ダナの遺体を抱き締めてアレクセイは身も世もなく泣いていた。
「急性アルコール中毒か、喉に詰まらせたか・・解剖しないと何とも・・」
「もうこれ以上誰も、ダナを傷付けないでくれ」ダナの乱れたガウンのボタンをアレクセイは泣きながら留めた。
錆びた空と地平線。
アレクセイが見えた気がした。
私はアレクセイに抱かれていた。
ああ、私はこんなに凍えてたのか。
「あなたの胸に閉じ込めて」ダナは初めてアレクセイの胸に触った。
死んだはずのダナの目から涙が一筋零れた。
変わらぬ愛を。ダナの墓標にアレクセイはそう刻んだ。
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