九十九髪
九十九髪
「お婆様の
「こういうのは
「つくもがみ」
「そう。これにはお話しがあってね、・・」
時は戦乱の世。都は朽ち果て、民の心は荒廃していた。
板一枚に四人の遺体を載せて、焼け野を歩いている少年がいた。
「もし、どこへ行かれるのです?」
少年は睨み付ける様な目で秋穂を見て、板から手を離した。
「
少年はそう言って、板に載せられている四人の遺体を見た。
「おとうもおっかあも妹のヨシもアキミも・・、おとうを見てくれよ、首もねえ。でも確かにおっとうなんだ。おっとうなんだ」少年はそう言って、涙ぐんだ目を拭った。
「俺が食べ物探しに行った時にやられたんだ」
「それで化野に?」
「そうだ。化野に置いて来る。これじゃあ、あっけなさ過ぎるからよ」少年はそう言うと、またむんずと板の端を持ち上げ、引っ張りながら歩き出した。
「こっから先は行っても無駄だぜ。みんな、焼き払われて何も無え」そう言い置いて、立ち去ろうとする少年に秋穂は追いついた。
「女の一人歩きは危ないぜ」少年は秋穂を見もせずに言った。
「私は秋穂といいます。あなたのお名前は?」
「いろは。秋穂か、いい名だな。お前、平民の出じゃねえだろ? 何となく立ち居振る舞いで分からあ」
「そうよ。小さいけれど、商家の娘だったのよ」
「商人かあ。それがどうしてまた、こんな所に一人でいるんだい?」
「都では今、人さらいが横行してるのよ。それでお父様お母様は私を逃がしたの」
「お付きもなしでか?」
「そんな
「野党、追いはぎ、・・よくここまで来られたな」いろはは足を止めようとしない。草鞋はもう血で染まり、玉のような汗が滴り落ちている。
「あなた。いろははどこから来たの?」秋穂は足を止めようと、いろはの前に立ちふさがった。
いろはは板を置き、その場に腰を下ろした。
「この先にある
秋穂もそこに裾を下ろし、座った。
「私もここまで闇雲に走ったの。もう、どこをどう来たのか分からないぐらい」
いろはは小刀を取り出し、ブツッブツッと遺体から一人ずつ髪の毛を切り出し、脇に下げた巾着袋に入れていた。
「何で俺は武士に生まれて来なかったんだ」
「乱世を恨んではいけませぬ。今は武士の世。いつか泰平の世が訪れます」秋穂はそう言い、零れ落ちる涙を拭った。
「生きて、生きて、生き抜いてやる。それがせめてもの供養だあ」いろはは巾着をギュッと握り締め、大事そうに、たくし上げた腹にしまい込んだ。
「早く、おとうとおっかあに会えるといいな」
「ええ」と秋穂は肯き、「いろははこれからどうするの?」と聞いた。
「さあな。そんなこと考えたことも無かった」
「私はあなたに付いていく。それから、あなたが私に付いてくればどう?」
「化野に来るって言うのか? 俺があんたに付いて行くって、どういうことだ? 何かあてでもあるのか」
「ええ。昔、うちで働いてくれていた者が川向こうに住んでるのよ。そこに行ったら、もしかしたら・・」
「俺なんか入れてもらえる訳ねえ」
「私を守ってくれる?」
「・・もう人が死ぬのは見たくねえ」
「頼りにするわ」
「へへっ、さすがは商家の娘だぜ」といろはは笑って立ち上がった。
化野。屍が累々と自分も他人も関係なく打ち捨てられている。
「ほら、あっち見ろよ。また町が焼かれてる」
山の向こうでは煙が立ち上り、炎に巻かれる町が見えた。
「ここは、人間が住む所じゃねえ。
いろはが言ったのは、この世のことだったのか、化野のことだったのか。
「人は愚かじゃないわ」秋穂は言った。
「俺なんて、どっかでのたれ死ぬのがオチさ」
「臆病風に吹かれたの? さっきまでは、生きて、生きて、生き抜いてやるって言ってたじゃない」
いろはは寂しげな目で見つめ、「そうだな」と呟いた。
川下に差しかかった。
「ここは静かな所だな。侍が来た跡もねえ。もしかしたらいけるかも知れねえぞ」いろはは秋穂の手を取って、川を渡った。
「冷たい水。無事に着いたら一番に湯に入りましょうね」
いろはは笑った。
「湯、かあ。もうしばらく入ってねえや。ヨシにもアキミにも入らせてやりたかったな」
「ごめんなさい。辛い事」
「いいんだ。ヨシもアキミもおとうもおっかあももう泣かないでいいんだからな」
「いろは。あなたの手は刀を握るようにはできていませんね」
秋穂は少し笑った。
「こっちに道があるぞ」
「ああ・・! 見覚えがある・・! 近い、もうそこよ!」秋穂はいろはの手を握って、走り出した。
大きいとも小さいともいえない家があった。
「ほら!」
いろはは秋穂の手を離した。
「いろは?」
「俺は入れねえ」
「いろは」
「これが身分の差だ。俺みたいな馬の骨が紛れ込んだら厄介事が降りかかる。ここでお別れにしよう」
「どうして? いろはが良かったら、うちで働いてもらってもいいと思ってるのよ?」
いろはは首を縦に振らなかった。
腰から巾着を取り出し、自分の髪も小刀でバッサリと切って、その中に入れた。
「俺が死んだらよ、・・地蔵にしてくれないか。会釈して行くだろ? そうしたら、・・そうしたら、俺、人の心が分かるかも知れねえ」
いろはは巾着を秋穂に握らせた。
「頼めるよしみでもねえのに・・」
「いろは・・心は変わらないのね?」
いろはは小さく肯いた。
秋穂は自分の腰に付けた根付を外して、いろはに渡した。
「これを身に付けておいて。あなただって分かるように」
いろははそれをギュッと握り締め、懐に入れた。
「いつでも来ていいのよ。もてなすから」
「あの井戸の水だけ飲ませてくれよ。もうカラカラだ」いろはは笑い、秋穂も微笑んだ。
井戸の水を飲むいろはの後ろ姿をじっと、秋穂は見詰めていた。
井戸の水を飲むと、いろはは秋穂を見ながら少し後ずさりして、それから思い切ったようにまた暗闇の中へと駆けて行った。
「お嬢様!」戸を叩いた秋穂は誰にも見られないよう中へ迎え入れられた。
秋穂は振り返ったが、そこには影も無かった。
しばらく経って、「お嬢様! お嬢様!」と毛を梳いていた秋穂は表から帰ったそこの住人に驚かされた。
「何? どうしたの?」
「前、お話しされた、いろはとかいう子が、今、町で、」
「いろはが! どうしたの?」
「引きずり回しです」
秋穂は声を失った。
「確かなの?」
「お嬢様の根付を・・」
秋穂は裸足のまま駆け出した。
町に着くと、人だかりが出来ていた。秋穂は血の滲んだ足で分け入り、分け入り、見た。
馬の尾につながれたいろはが居た。
「いろ、は・・」秋穂はヨロヨロと近付こうとした。いろはも秋穂に気付いた。
「何だ、お前」傍にいた武士に刀で止められた。
「何の罪です! 何のお咎めです!」
「この小僧か? 馬の前を通ったんだ」
「それだけで・・?」
武士は何も言わず、ただ仏頂面でいろはを見下ろしている。
「何とか、何とかとりなしてもらえないでしょうか。私は商家の娘です。お金なら何とか」
武士は鼻で笑った。
「いろは!」秋穂はいろはに抱きついた。
「離れろ」武士が二人の間に刀を差し込んで、秋穂を力ずくで倒した。
「無礼者!」秋穂は武士をひっぱたいた。
「何?」武士が刀の鞘に手をやった。
「お武士さん、あんたは強えんだろ。女一人に血相変えて。俺に免じて許してくれよ。な? 俺に免じて・・」いろはが言った。
「黙れ、小僧!」思い切りいろはは殴られた。
口から血を垂らし、いろはは秋穂に笑った。
「もう良い。行け!」武士が馬の前にいた者に声をかけた。
「秋穂。秋穂」いろはが秋穂を呼んだ。馬がいなないた。秋穂はいろはに顔を近付けた。
馬の尾につながれた綱がいろはの首を絞め、ズルズルといろはは引きずられた。
「いろは、何? いろは」
「何の罪もない人の子をいっぱい産め!」
「いろは!」
「生きろ! 九十九髪になるまで・・!」
「いろはー!」
目をつぶる者もいたが、いろははまるで物のように、殺された。
孫娘に梳いてもらった髪をひっつめて、キセルを吸って、秋穂は出かけた。
野仏がある。いろはと約束したように、髪の入った巾着袋を埋めた上に作り据えた物だった。
秋穂はその前にしばらく立ち尽くし、
白露に わびしからずや いつの代か
句をしたため、置いた。
「いろは、また来てしまいましたよ」秋穂はしゃがんで、地蔵に語りかけていた。
道行く人は会釈していくだけ。
地蔵はそっと見つめている。
「いろは、人の心が分かりますか? 私には、まだ、分かりかねます」
秋穂は合掌して、いろはの名を呼んで泣いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます