第二十話 代理マネージャーの終わり

『ほら、手を振ってー』

『ばぶばぶー?』


 オフィスの一室、俺と風花、小松原さんはタブレットに手を振っていた。

 そこに映し出されていたのは、前任のマネージャーである山本さんと、その赤ちゃん。


「可愛いーっ! はあ、キュンキュンしますね!」

「山本さん、おめでとうございます。女の子だったんですね」


 はうーと悲鳴を漏らしながら風花が顔を綻ばせる。生まれるまで性別を聞きたくなかったらしく、出産してから知ったそうだ。


「復帰はいつでもいいので、ゆっくりしてください」


 小松原さんの優しい声掛けに、山本さんはタブレット越しに首を振る。


『いえいえ、旦那も手伝ってくれるので、来月には仕事を復帰しますよ! いつまでも今泉さんに甘えっぱなしではよくないので』


 その時、心臓がドクンと脈打った。


「気にしないでください。楽しくやっているので」


 冷静なフリをして答え、風花に視線を向けると、彼女は曇りなき笑顔だった。

 やっぱり、山本さんのほうが安心するよな。


「そうですよ! ゆっくりしてください! 楽しみにしていますね!」


 そう、俺は代理マネージャー。

 山本さんが復帰するまでの――繋ぎなのだ。


 ◇


 仕事終わり、車内に乗り込むと、風花は静かだった。

 いや、今日はずっと浮かない顔をしていた。


「どうした、風花」

「……私は最低な人間です。いや、もう最低最悪な中学生です」


 落ち込んだ声で、悲し気な表情を浮かべている。

 一体何があったんだろうか。


「何がだ? 仕事は順調だったし、褒められてたじゃないか」

「違います。……山本さんのことです」

「山本さんがどうかしたのか?」


 俯いたまま、前を見ている。


「赤ちゃん、とっても可愛かった。山本さんのことも大好き。でも……もう少し、仕事の復帰が遅くてもいいって思ってしまいました。いや、ずっと……かもしれません。式さんとの日々が、それだけ楽しくて」


 正直、驚きで声が出なかった。風花は、俺とおなじことを考えてくれていたのだ。

 楽しい日々、忙しい日々、それが完全に失われるのはいつかと思っていたが、まさかこんなに早かったとは。

 けれども、これは遊びじゃない。仕事として、風花を支えていたのだ。


「確かに俺は営業担当だし、今まで風花と顔を合わせることはなかった。けど、もう違うだろ? 仕事が変わっても、時々様子を見に来る――」

「時々じゃ嫌なんです! 式さんは、そう思わない……思ってくれてないんですね」


 俺の言葉を遮って、風花が叫ぶように言った。

 言葉の重みが、いつもと違う。なんて答えればいいのか、自分の気持ちにも困っていた。


「…………」

「すみません、無茶なこといって。シートベルトつけました」

「じゃあ、発進するね……」


 なんて答えればいいのか、俺もわからない。

 山本さんは俺なんかよりも実績のある素晴らしいマネージャーだ。

 これからの風花の活躍を見通してでも、間違いなく俺じゃないほうが彼女の為になる。


 それを抜きにして、感情論で続けさせてくださいと主張するのは、あまりにもナンセンスだと……思っている。


「ちょっと寄り道していいかな」

「……はい」


 都会のど真ん中に、大きな電光掲示板がある。

 普段はオフィスと反対側なので行くことはないが、そこまで車を走らせた。


 風花は無言で、なにを考えているのかはわからない。


 ようやく目的の場所に辿り着いた時、外は暗くなっていた。


「風花、上を見上げてごらん」

「……これ」


 そこには、以前、風花が撮影した映画の電光掲示板が大きく表示されていた。

 俺ではなく、山本さんと作り上げたものだ。


「俺も風花と一緒に仕事をするのは楽しい。これからも続けられたらなって……。けれども、俺たちは人に夢や感動を与えるのが仕事だ。その気持ちを優先するのがプロだと思う。山本さんは俺よりも素晴らしい仕事をしてくれる」

「……でも……」

「風花、俺は君の仕事をしている姿が好きだ。歌声が好きだ。演技が好きだ。それが一番魅力的に見えるかどうかを考えてほしい」

「そんな……式さんは凄いです! いつも一生懸命で、それでいて優しくて」

「ありがとう、でもまだ……足りない。聞いてくれ、風花。このまま諦めるわけじゃないよ。俺はもっとマネージャーの勉強する。その時はまた風花のマネージャーになりたいと言ってみるつもりだ。だから、これが最後だとは思わないでほしい」

「……本当ですか?」

「ああ、ちゃんと君のことを一番に輝いてもらえるようにね」

「……わかりました」


 そして風花は顔をあげた。えへへといつものように笑って、目に涙を浮かべながら。


「じゃあ、約束ですよ」


 小指を立て、ピシッと向けてきた。


「はっ、この歳でやるとは思わなかったな」

「年齢なんて関係ありません。約束は約束です。はいっ、指きりげんまーん――、どうして言わないんですかー!」

「恥ずかしいだろ……」

「ダメです。約束は強固なものにしないといけません」

「……わかったよ」


 そして俺は約束をした。

 再び彼女のマネージャーになることを。


 ◇


 来月、山本さんが正式に戻って来る前、俺と風花はオフィスに呼び出された。


「いよいよだな、風花」

「はいっ! 指切りげんまんですよ!」

「ちゃんと覚えてるよ」


 ニカッと笑い合う。

 そこには小松原さんと山本さんが――、あれ山本さんが……いない?


「今泉くん、安藤さん。ごめんね、そこに座ってくれる?」

「は、はい?」

「はい」


 俺たちは言われるがままに椅子に座ると、タブレットが置いてあった。

 そこに映っていたのは――山本さんだ。


『あ、ごめんね。実は……もう少し今泉さんにマネージャーをお願いしてもいいかな?』


「「え!? ええ!?」」


 俺と風花は目を見開き、お互いに顔合わせる。ついさっき、さようならと言い合ったばかりだ。

 言葉が頭に入ってこない。


「どういうことですか?」

『旦那が育休取れる予定だったんだけど、海外勤務が決まって難しそうなのね。もちろん、私も思ってたより育児が大変なだなって思って、当分の間、実家に戻ることにしようと思ってるの。小松原さんには伝えたから、後は今泉君が良ければなんだけど……』


 俺が驚いていると、小松原さんがタブレットのカメラの前に出て、優しく微笑んだ。


「山本さんが思っている以上に、二人は楽しくやってますよ。だからもう一年以上はゆっくりしてても大丈夫だと思います。ねえ、今泉くん?」


 何か裏がありそうな不敵な笑みだったが、何もかも見透かされている様な気もした。


「そうですね。僕としても今の仕事は凄く楽しく勉強させてもらっています。全く問題ないですよ、いえむしろ続けさせてもらえてありがたいくらいです」

『本当!? ごめんなさいね。ありがとう、風花ちゃんもごめんね』

「いえいえ! 山本さん、ゆっくりしてください。私も大丈夫です!」


 そうして俺たちは、再び延長契約を結ぶことになったのであった。


 ◇


「もしかして、指切りげんまんの効果ですかね?」

「だとしたら効力が強すぎるだろ。山本さんには悪いけど、正直嬉しかった。もう少し風花と一緒に仕事が出来るなんて思わなかったからな」

「私もです。――でも、仕事って言われるとなんだか不満です」

「ええと……一緒に居ることができて」

「はい! 式さんっ、大正解です!」


 にへへーと笑う風花。しかし本当に嬉しかったのだ。

 ひょんなことから始まった代理マネージャーだったが、今はもう欠かせない生活の一部になっている。

 風花といることが、俺の生きがいでもある。


「式さん、今日は帰りにアイス買っていきませんか? ちょっと高いやつでも!」

「最高の案だ。採用」

「えへへ、シートベルト装着しました!」

「はい、出発します」


 いつもの帰り道、いつもの車内、けれどもいつもの何倍も幸せな時間だった。


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