第十八話 安心しろ、今日はずっと傍にいてやるからな

「どうぞ、上がってください。すみません、散らかっていて、すぐに片付けますね」

「お邪魔します。いや、構わないよ。気にしないでくれ」


 俺は二度目の安藤家を訪れていた。

 既に外は暗い上に、会社に連絡は入れていない。


 なぜならマネージャーとしてではなく、今泉式の意思でここにいるからだ。


「すごいな。豪華じゃないか」

「えへへえ、夜通しで頑張ったんですけどね」


 曇った表情で笑う風花を見ていると、心に何かが突き刺さる。


 家の中は色とりどりの装飾が飾られていた。とても丁寧で、とても綺麗だ。

 ひときわ目立つ場所には『お母さん、お誕生日おめでとう』と書かれた手作りのお絵描きボード。


「よく描けてるじゃないか」


 風花と手を繋いでいるお母さんとのイラスト。

 効けば今日は母の誕生日だったそうだ。仕事を終えて帰って来る予定に合わせてサプライズを計画していたのだが、海外勤務が長引いて来られなくなった。


 本来なら俺が業務外で、更に親御さんの許可も得ずに入るなんてありえない。これは犯罪に近い行為だ。


 だが見捨てる事が出来なかった。俺を頼ってくれた風花を一人寂しく帰らせたくなかった。


「今あったかいお茶入れますね!」

「ああ、悪いね」


 片親だった俺は、一人の寂しさはよく知っている。

 それに俺は彼女のマネージャーであると同時に、一人の人間だ。


 それに風花は、まだ中学生なのだから。


「はいどうぞっ、熱いので火傷しないようにしてくださいね」

「ああ、あつっ。こんなに熱いと、デザートが欲しくなるな」


 すると風花は笑みを浮かべ、冷蔵庫から箱を取り出した。

 誕生日ケーキだ。賞味期限が切れるので捨てるかもと言っていたので、それはさせたくなかった。


「ちょうどあるんです! それもいっぱい!」

「だったら小皿にとりわけなくて、そのままスプーンで食べちゃうか」

「おおっ、式さんワルですね。でも、賛成です!」


 箱から出てきたケーキは、美味しそうだが、少し生クリームがいびつなロールケーキだった。


「……もしかして手作りか?」

「えへへ、はい」


 何とも言えない気持ちになる。

 大きめなスプーンですくって食べると、クリームの甘さの中に入ったフルーツが口いっぱいに広がった。

 美味しい、美味しすぎる。


 なのになんで、帰ってこないんだ。


 ただ……彼女の母親は悪い人ではない。

 風花の給料もキチンと管理し、自身も働いて彼女を養っている。

 確かに仕事熱心なところはあるが、母親としてやるべきことはやっている。


 いや、それは言い訳にならないか。


「風花、今日はやっぱり泊まっていくよ」

「え?」

「一人にさせたくない……しな」


 家には行くと言ったが、泊まるとはいっていなかった。

 もしこれがバレたら……とんでもないことになる。


 間違いなくクビだろう。だがそれでもよかった。


 今日は、今日だけは彼女を一人にさせたくない。


「……本当にいいんですか?」

「ああ、でも黙っててくれよ」

「はい! 嬉しいです! えへへ、あ、! パジャマどうしよう……」

「ああ、それと一つだけ約束というか、決め事がある」

「なんですか?」

「俺は泊まるけど、寝たりはしない。それで朝になったら出ていくよ」

「ええ!? どういうことですか!?」

「流石に親御さんの許可も取らずに勝手に眠ったりはできない。まあ、家に来ておいてって感じだけど……そこは俺の我儘を通させてくれ。だから、パジャマはいらない」


 不満そうな風花だったが、俺が折れないと知って諦めてくれた。

 ただ、お風呂は入ってくださいねと言われ、仕方なくそれは了承した。


 何の意味もないかもしれないが、俺の中の最大限の譲歩だった。

 彼女を安心させられれば、それでいい。


「分かりました……、じゃあお風呂は沸かしてきますね?」

「ああ、何から何まで悪いな」

「いえいえ、お客様ですからっ!」


 ◇


 そうして俺は風花の強い後押しでお風呂に漬かった。


 湯舟の中で天井を見上げていると、凄い状況だなと俯瞰的に考えてしまう。

 やべえことしてるよなあ……。


 その時、ガラリと扉が開いた。


「私も入っていいですか?」

「……閉めなさい」

 

 風花だ。腕まくりして、冗談交じりに笑っていた。


「だったら、お背中流しましょうか?」

「早く閉めなさい」

「むう、式さんは私のことを女性だと思ってないんですね!?」

「中学生だと思っています」

「それはそうですけど……もう、知らないです」


 理不尽に怒られてしまう。選択肢なさすぎるだろ……。

 風呂を上がると、俺のスーツはどこにもなかった。

 代わりに男物のパジャマが置いてある。


 俺のスーツは? と問いかけても、返事は返ってこなかった。

 流石に裸で動き回ることはできないので、なし崩し的に着替えると、彼女の名を呼びながら探しはじめた。


「風花、俺のスーツは――」


 そして一つの部屋で、丁寧にアイロンをかけてくれている風花がいた。

 俺に気づいた瞬間、「パジャマ似合いますね」と笑う。


「昔のお父さんのなんですよ。といっても、随分と古い記憶ですが」

「……取ってたってことか?」

「はい、お母さんが全部棚に入れてるんです。スーツは皺になるといけないので、掛けておきますよ」

「わかったよ。ありがとう」


 それから俺と風花は、他愛もない話をした。

 これからしたいこととか、ちょっと嫌だった話とか、それこそ色々だ。


 今日はマネージャーとしてというより、友達として話を聞くことができた。


 そうして時間が立ち、風花の瞼が重くなってきているのに気づく。


「そろそろ寝ようか」

「んっ、でも、式さんが……」

「大丈夫。芸能界ってのは徹夜が多いから慣れてるよ」

「……はい」


 彼女をベットに潜り込ませると、突然、風花は俺の手を握った。これで二度目、今度は彼女から。

 俺は彼女を寝かしつけるようにベットの端に座る。


「……本当に寝ないんですか? 何だったら、一緒のお布団でも。私、式さんのこと信じてるので大丈夫です」

「バカを言うな。でも、ずっと傍にいるから安心しろ」


 手を握ったまま、風花は静かに笑みを浮かべた。


「式さんのお手て、あったかい。お父さんがいたらこんな感じなのかな」

「そうかもしれないな。俺も娘がいたらって思う時があるよ」

「えへへ、幸せだあ……」


 段々と声が小さくなっていく。


「式さん、大好きです……」

「……俺も好きだよ、風花」


 そうして俺は一晩中、風花が寂しくないように、ずっと起きていた。


 ただこの好きは、俺の中でもどういう意味なのかはわからなかった。


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