第17話 標的

 晩餐会場にざわめきが広がった。


 ミカンさんは、伸ばした左腕の先でまっすぐに弓を立てたまま、黙って網目シャツの男を見据えている。


 私がポシェットのベルトだと思っていたのは、弓の弦だったのだ。


 弓を構えて奇麗な姿勢で立っているミカンさんは、前を見たまま右手を下げた。ミカンさんの腰のあたりにしがみついている子熊がミカンさんの腰の後ろの筒から矢を取り出して、ミカンさんの右手に渡した。


 ミカンさんは標的に視線を合わせたまま、矢を弓に交えて弦と共に後ろに引く。キリリと高い音が響いた。


 ミカンさんの右肩に乗っている小さなペンギンが黒い色眼鏡を頭の上に持ち上げて、遠くのまとの方、網目シャツの男の方を望みながら、ミカンさんの耳もとで何かを囁いている。ミカンさんはその言葉が分かるのか、ペンギンの指示に合わせるように矢の角度を細かく動かし、修正しているようだ。


 一方、網目シャツの男は何が起こったのか分からなかったようで、床に転がった斧と壁に突き刺さった矢を見て暫く固まったように動かなかった。


 ハッとして我に返った男は、こちらの席のミカンさんに顔を向けると、全身の筋肉に力を込めて「ぬうう」と唸り声を響かせた。そして躊躇なく、先ほどオカンねえさんが投げたナイフをこちらに投げ返してきた。


 私の背後で弦が弾ける音がする。風を切る音の後、飛んできたナイフに矢が空中でまっすぐに命中し、それを弾き落とした。


 私が目を見開いて振り返ると、頭を抱えて屈んでいたオカンねえさんが、そのままの姿勢で上身を捻って後ろを向き、ミカンさんを見上げていた。


 ミカンさんはストローを咥えて黙ったまま、まっすぐに網目シャツの男の方を向いて、さっきと同じように腰の子熊から次の矢を受け取っていた。


 オカンねえさんが身を屈めたまま言う。


「自分、弓矢の名手なん? はよう、言いや。めっちゃ達人やんけ!」


 ミカンさんは返事をすることもなく黙したまま次の矢を引き、肩のペンギンのアドバイスを聞きながら、視線の先の網目シャツの男に狙いをつけている。


 網目シャツの男は興奮気味に顔を赤くして右に左にと歩き回っていた。体が赤くなるほどに筋肉に力が入り、血管が浮き立っている。額からは湯気が立ち昇っていた。


 邪魔をされてキレたのか、男は着ていた網目のシャツを引き千切ると、近くの仮面の男から鞘ごと剣を奪い取った。鞘から剣を抜き、雄叫びをあげてそれを高く突き立てる。男はそのままの姿勢でミカンさんを睨みつけた。


 すると、テーブルの向こうからシーシ・マコーニさんが言った。


「ミカンさん、弓矢を下ろしてください。これは王様主催の晩餐会ですよ。それを中止させてしまうと、あなたが罪に問われます」


 屈んだまま、オカンねえさんが反論する。


「何言ってんねん。あの男、またこっちに、今度は剣を投げてくるかもしれんのやで!」


 シーシ・マコーニさんは司法調査官らしく意見を通した。


「ミカンさん、挑発に乗ってはいけません! もし反逆の罪にでも問われることになれば、あなたはあの犬どころの刑では済まないのですよ! 早く弓矢を下げてください!」


 たしかにシーシ・マコーニさんの言うとおりだ。これはニクス王主催の晩餐会であり、あの曲芸師たちも形式的にはニクス王が招いた客人。その中の一人に矢を放ったとなれば、それはニクス王に矢を放ったのと同然という事になる。そうなれば反逆者として過酷な刑に処されるだろう。いや、死刑になるかもしれない。


 私はミカンさんに叫んだ。


「ミカンさん、下ろしてください! 今ならまだ不問になる可能性があります! ミカンさんが弓矢を下ろせば、相手は剣を投げてはこな……」


 私の背後で椅子を引く音がした。振り向くと、ヒグラシが立ち上がっていた。彼はまっすぐに兄を睨みつけたまま、ミカンさんと自分の兄を結ぶ直線上に立った。自分が盾になるつもりなのだ。


 ヒグラシは前を向いたまま、背後のミカンさんに言った。


「武器を下ろしてください。あなたが罪に問われるのは見たくありません」


 ヒグラシは両手を大きく広げて、立ち塞がった。


 それを見た兄はニヤリと片笑むと、円板にはりつけにされたまま回っているひろしの方に躰の向きを変え、前に足を踏み出した。振りかぶり、握っている剣を投げる体勢に入る。


「ミカン! あかん!」


 そう叫んだオカンねえさんの向こうで、ミカンさんは弓を強く引いた。矢先はヒグラシの兄に向けられている。


「やめよ!」


 その場にニクス王の低く太い声が響いた。


 ヒグラシの兄は剣を投げる直前でピタリと停止する。ミカンさんも動きを止めた。そして、矢先を下に向けて、ゆっくりと弦を戻す。


 ニクス王は言った。


「この余興には、もう飽きた。そろそろ他の余興で楽しませてくれ」


 ヒグラシの兄は剣を床に置き、片膝をついて頭を垂れた。


「御意。では、我々の舞をご披露いたしましょう」


「その犬は放してやれ。よいな」


「仰せのままに」


 その返事を聞いて、王は深く頷いた。



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