第8話 烏羽色の制服の女

 私は瞼を上げた。カビの臭いが鼻を突く。暗く湿った石壁が視界の前に広がっていた。いや、これは天井だ。私は上身を起こした。無意識に腰に手をやり剣の柄を握ろうとしたが、無い。腰を載せているのは粗末なベッドだった。硬い板張りで、寝具というよりも只のだ。周りを囲む壁は近く、一面が傷だらけ。


 状況を悟った私は、明るい方に顔を向けた。予想通り、そこには鉄格子が立っていた。どうやら、ここは牢獄らしい。


 足音が近付いてきた。鉄格子の向こうで眼鏡の女が立ち止まる。烏羽色からすばいろの詰襟スーツにパンツとブーツ姿。この国の高級官吏が着る制服だが、胸に付いている徽章には見覚えが無い。


 女は共に歩いてきた兵士に牢戸の錠前を外させると、扉を開けさせた。眼鏡を整え、抱えていたバインダーを持ち直して胸の前に傾けて立てると、そこに挟んであった書類に目を落としながら言う。


「ドレミマツーラ特別顧問兵ですね。御身分の確認がとれました。もうお出になられて結構です」


 その言い方に若干の不快さを覚えたが、私はとりあえず牢から外に出た。横にいた兵士から渡された私の剣を腰に戻しながら、その女に尋ねる。


「いったいこれは、どういう事だ」


 女は眼鏡を軽く持ち上げてから、深々と頭を下げた。


「大変失礼しました。現場が混乱しておりましたので、誰が爆破犯か分からず、このような事に。どうか、お許しください」


 私は眉を寄せた。


「爆破犯? 分かるように説明してくれないか」


「師範は昨夜起きた王都中央街での爆破テロに巻き込まれたのです。幸い、死人は出ておりませんが、周囲の数店舗が吹き飛ぶほどの爆発でした」


「す、数店舗だって? 『二刀流』や『ビストロ・オカンス』もか!」


 すると、隣の牢獄から出てきた女が口を挿んだ。


「『ビストロ・オカンス王都中央街店』や。どないしてくれんねん、まったく」


「オカンねえさん! 無事だったか!」


「みんな無事や。後ろを見てみい」


 私が振り返ると、反対隣の牢獄から汚れたワイシャツ姿の中年男が出てきた。牢を開けた兵士から、腰ベルトに吊るされた両刀を受け取っている。


「ヒグラシ! 生きていたか!」


 ヒグラシは黙って手を上げて応えたが、随分と消沈していた。


「無理ないやろ。苦労して立ち上げた店が一瞬で吹き飛んだのやから」


 金髪をかき上げながらそう言ったオカンねえさんに私は尋ねた。


「いったい誰がそんな事を……」


 オカンねえさんは目を丸くして答えた。


「あの小娘に決まっとるやろ。ドレミも見たやろ。あのえげつない魔法」


 確かに、あの若い女が呪文を唱えて天から光の玉を引き落とした事までは覚えているが、その後の記憶がない。そんなに激しく爆発したのか……。


「なんもかんもドッカーンや。憲兵さん達も、馬も、ヒグラシも、ウチも、ドレミも、みーんな吹き飛ばされてもうた。ヒグラシなんか、二街区隣のパン屋の屋根の上で見つかったんやで。飛び過ぎやて」


 驚いた私が振り返ると、ヒグラシは腰を押さえながら手を振っていた。筋肉が腰を守ってくれたのだろう。教えた筋トレは、なまけずに続けていたようだ。


 微笑みかけた私は、ハッと気づいて制服の女に尋ねた。


「あの強盗犯の兄弟は!」


 制服の女は指先で眼鏡の端を少し持ち上げてから答えた。


「不思議な事に無傷でした。気は失っておりましたが。今、我々の方で尋問をしています」


「我々の方? 失礼ですが、あなたはどの部門の……」


 女は姿勢を正して言った。


「申し遅れました。私は司法調査官のシーシ・マコーニです。王様より、昨夜の爆破テロ事件の調査をするよう、仰せつかりました」


「ニクス王が直接あなたに?」


「はい」


 シーシ・マコーニ調査官ははっきりと頷いて答えた。


 それだけ、このシーシ・マコーニが優秀だという事か。いや、どうもそれだけではなさそうだ。


 それに、あの爆発で一人の死傷者も出ていないという事も気にかかる。いくら鎧を着けていたとは言え、私は擦り傷一つ負っていない。まして、何も防具を着けていなかったオカンねえさんやヒグラシたちも無傷だとは。しかも、爆心地点にいた強盗の兄までも無事だという。あの魔法は……。


 私は再びハッとして声をあげた。


「あの子は。あの魔法使いの子は生きているのですか」


 シーシ・マコーニは黙って頷いた。そして、振り返る。


 オカンねえさんが、その先を指差して言った。


「居るがな、そこに」


 私が入っていた牢獄の向かいの牢獄の中に彼女は居た。エメラルドグリーンのローブに虹色のマフラー。そして奇麗な赤毛。間違いない、彼女だ。


 その女は鉄格子を握りしめて、眉をハの字に垂らし、大きな瞳から涙を溢しながら言っている。


「ごめんなさい。ごめんなさい……」


 彼女の方に顔を向けたまま、シーシ・マコーニは言った。


「昨夜からずっと、あの調子です」


 オカンねえさんも小指で耳を掻きながら言う。


「一晩中ずっとやで。もう、ええちゅうねん」


 私は逆に、その魔法使いの若い女に憐憫の眼差しを向けた。



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